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第9章 東慶寺への寄進 編

第112話 一人息子の危機

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梅太郎は、東慶寺の仕事を終えると、急いで弥生に教えてもらった場所へと向かった。
そこには、彼女の両親が住んでいるとのこと。

弥生は、自分の親元に一粒種の息子を預けていたのだ。
その息子の名は、誠之介まことのすけというらしい。

「えー、この角を曲がって・・・」

梅太郎が、目的の家に近づいた時、何やら騒がしくなっていることに眉をひそめた。
どこぞの家の前で、老夫婦が泣きながら、小さな子供を抱きしめているのである。

その周りには、如何にも奉公人調達を生業としている輩が立っており、それを見物する人の輪ができていた。
どうやら、この少年が年季奉公に出されるようである。

貧しい家庭など、口減らしとして、よく用いられる手段で、それほど珍しい話ではない。
ただ、問題なのは、その少年のこと。もしかすると弥生の息子、誠之介である可能性が思い浮かんだのだ。

思わず梅太郎は、その人垣の中に飛び込んで行く。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。その子は、もしや誠之介って名前じゃねぇよな?」

突然、現れた謎の男の発言に、一堂、きょとんとした。次に不審な目が向けられる。
しかも、梅太郎の予想は、ずばり的中していたのだ。

「お兄さん、どうして僕の名前を知っているの?」と、逆に誠之介が梅太郎に聞いてくるのである。
「おいおい、まじかよ」

何という偶然なのだろうか。梅太郎が、来るのが一日遅れていれば、誠之介に会うことも出来なかったのだ。
いや、今はそんな事より・・・

「俺は、お前の母ちゃんから、様子を見に行ってくれと頼まれたんだけど・・・これをどう説明しろって言うんだよ」
「あんた弥生の知り合いか?」

弥生の父親だろう。青ざめた顔で尋ねてきた。
どんな事情があるか知らないが、自分の行いを恥じている様子が窺えるのが、せめてもの救いである。

「知り合いってほどじゃないが、お互い、頼みごとをするくらいの仲ではあるよ」
「そうかい・・・でも、これは仕方ないんだよ。弥生に借金があるって、急にこの人らが押しかけて来て・・・」
「何だって?」

そんな話、弥生からは聞いていない。勿論、梅太郎に全てを話す義理などないが、借金をこさえて、寺の中に逃げ込むような女性とは思えなかった。

「その借金の話は、本当かい?」

そう言われると老夫婦は自信がない。
強面の連中が突然やって来て、言われるがままに話を聞いていただけなのだ。

「おいおい、兄ちゃん。俺たちに難癖つけようってのか?」

突然、現れた梅太郎に場を荒らされては、商売あがったりである。
調達人たちは、語気を強めた。

「こっちには、ちゃんとした証文があるんだよ」
「悪いが、そいつを見せてくれ」

梅太郎の言葉に、素直に書類を渡す。受け取ったのは、誠之介を奉公人として雇うという契約書だった。
これは、おそらく、この老夫婦を騙して書かせたもの。

確かに本物で間違いないだろうが、問題なのは、弥生が借金したという方だ。しかし、そちらは素直に見せてくれるとは思えない。

「ほら、もう、この小僧とは契約しているんだよ。後から、やって来て文句を言うんじゃねぇよ」
「ちっ」

舌打ちするも梅太郎には、どうしようもない。調達人が言うように誠之介とは、すでに契約が完了しているのだ。
ここで、騒いだとしても梅太郎の方が分が悪い。

その時。

「良かったら、その証文。私にも見せてもらえませんか?」
「何!」

次から次へと邪魔者が・・・
調達人たちが苛立ちながら、見つめた先には、見るからに高位の僧侶と尼僧とが立っていた。
それは沢庵と天秀尼である。

「あんたら、何者だ?」
「東慶寺の天秀という者です」

東慶寺と聞いて、調達人の間に緊張が走った。しかも、天秀という尼は確か、裏柳生も手玉にとる武術の達人という噂がある。
無闇に逆らえる相手ではなさそうなのだ。

相手の男たちの反応に、天秀尼は心中で、『勘弁して下さい』と思いつつ平静を装う。
梅太郎の手にある、誠之介に関する証文を拝借した。

そして、しげしげとその内容を確認する。
調達人たちも、仕方なく天秀尼が契約書の中身に目を通している間、黙っていた。

「なるほど。この証文は、お返ししますね」
「おう、分かったのなら、この小僧、連れて行くぜ」

この中身には自信がある。誰か分からないが、偉い坊さんまでもが認めたとなれば、大手を振って誠之介を連れていけるというもの。
調達人の一人が誠之介の手を引こうとすると、天秀尼は手刀をおみまして防いだ。

「な、何しやがる」
「この証文は無効です。無理に連れて行こうとするならば、人さらいですよ」

天秀尼が、そう言い切るが、調達人は鼻で笑った。
この老夫婦に直に書かせた証文に、落ち度がある訳がないのだ。

「変な言いがかりは止めてもらおうか。こいつは、そこの爺さんたちが認めた署名まである。」
「私が言っているのは、契約内容がおかしいことですよ」
「そんな馬鹿なこたぁねぇ」

調達人たちは、自分たちが作った文章を目の皿のようにして読み返す。
何度読んでも、間違いはない。それこそ、誤字の一つすらないのだ。

「どこも間違っていねぇじゃねぇか」
「本当ですか?確か年季奉公の期間は、最長十年と決まっていたはずですよ」

確かに天秀尼が言うように、人身売買が横行することを危惧して、幕府は奉公期間というのを定めている。
但し、なし崩し的に期間を延長することも多く、あまり機能していない律令だった。

「そんなこと、気にしている奴なんかいねぇよ」
「それでは、その話の続きは奉行所で行いましょう」

さすがに公的機関では、世の中の慣例は通用しない。杓子定規しゃくしじょうぎで裁かれるだけだ。
調達人たちは、自分たちの論理が通用しないと悟り、渋々ながら、退き下がる。

武力行使に打って出ようにも相手が、噂の天秀尼では・・・
男たちは、儲け話を失って、やけくそ気味に悪態をつく。

「くそっ、覚えてやがれ」

安っぽい捨て台詞を吐いて、去って行った。天秀尼の悪漢を撃退するさまに、傍観していた観衆からは、拍手喝采の声が上がる。

「しかし、あんな台詞、本当に言う人がいるんだねぇ」
「私も初めて、聞きましたが、驚いています」

沢庵と天秀尼のこのやり取りで、更に盛り上がるのだった。
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