宝生の樹

丸家れい

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第二章

次期当主

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 八年前のことを思い出し、こうして罪の意識もなくのうのうと笑っている松老院に我慢ならなくなった青は、松老院の身体を押しのける。

「おまえのような惰弱な家に嫁ぐわけがないだろう」

「な、なんと無礼な!」

 でっぷりと贅肉を蓄えた松老院の身体がぐにゃりと傾いだ。同時に公家どもがどよめく中、青は立ち上がって片方の唇の端を吊り上げた。

「本当のことだろう? 蓮水家と面白おかしく謀反を企んでいたくせに、すべて蓮水家に罪を擦り付けたじゃないか。そのような意気地がなく、裏切り者の家に嫁ぐと思うか」

 青が冷笑を浮かべて見下ろすと、松老院はわなわなと薄い唇を震わせた。

「私にそのような口を聞いて、どのようなことになっても知らぬからな! 美弥藤家など、帝に頼めば領土を取り上げてもらえるのだぞ」

「……馬鹿馬鹿しい」

 と青が嘆息をついたそのとき、突如として鈴を転がすような声が響いた。

「青。無礼にもほどがありますよ」

 聞き覚えのある声に振り返った青は大きく目を見開いた。

「章子さま……!」

 そこには予波ノ島にいるはずの章子が慎ましく立っていた。

 桔梗色の裾濃すそごに染めた生地に、枝垂れ桜の文様が刺繍された美麗な打掛を纏った章子はしずしずと両手を床につけて礼を執った。

「うちの娘が失礼いたしました。松老院さま」

 ふん、と鼻の穴を盛大に広げて音を鳴らした松老院は苛立たしげに腕を組んだ。

「まったくだ。どのような躾をしているのか。……あぁ、実の娘ではない故、躾が行き届かぬか」

 松老院はにたにたと嫌らしい笑みを浮かべた。
 章子は顔を上げて、儚げな白い首を傾げて笑う。

「青は、美弥藤家を継ぐ大切な娘。私の子も同然でございます」

 松老院は、わざとらしく思案気にたるんだ顎を指でなぞる。

「次期当主とな。……このような無礼千万な娘では、先行きが不安であるな」

 いいえ、と章子は即答する。

「朝廷が決めた序列に臆することなく、物を言える気概がございます。人様の顔色を窺い、人様に頼ることしかできないような、愚鈍な道を歩むことはないでしょう」

 あなたさまと違って、と微笑みを崩すことなく章子は言い切った。

 気色ばんだ松老院が口を開きかけたところに、章子は声の調子をひとつ高くして続けた。

「そうそう、わたくしの父上が申しておりましたよ。帝が、松老院さまの護衛に不満を抱いていると」

「な……」

 一気に松老院の表情が強張る。
 章子は思案するように白い人差し指を口元に添えた。

「確か、行幸の際に不手際があったとか」

 思い当たる節があるのか、みるみるうちに松老院の顔から血の気が引いていく。
 章子の出は公家の佳山院けいざんいん家だ。位階は正四位で松老院より低いが、章子の父親は現在、蔵人頭くろうどのとうという役職についている。蔵人頭とは、天皇の勅命、上奏を承る所謂世話人である。

 章子は極上の笑みを湛えた。

「松老院家の先行きが不安ですね……?」

 一切の驕慢さを失い、茫然自失に陥った松老院を憐れむような空気が漂ったとき、突如としてひとつの笑声が上がった。

 笑声の主は、今まで静観していた保親だった。
 悪ぶれた様子もなく、腰を上げた保親は笑いを堪え切れないという風に腹を抱えてこちらにやってきた。

 一同、保親も笑うのかと驚いた顔をしていた。
 青も同様に開いた口が塞がらない。
 
 松老院の前に腰を下ろした保親は口髭を指で撫でながら言う。

「松老院殿、美弥藤の女は皆、気概のある女でね。私の出る幕がないんですよ」
 
 二の句が継げない松老院を見据えて保親は淡々と続けた。

「まぁ、私が気に食わないのであれば、正々堂々と私に刃を差し向ける気概は見せてくだされ。私と一戦を交えたあとに、じっくり話ましょうや」

 珍しく頬を揺らした保親は、やれやれ、と疲れたように、しかし満足そうに溜息をついて立ち上がった。

「皆さま、失礼しました。宴の続きをしましょう」

 保親は松老院に背を向け、自分の席へ飄々と戻っていった。
 公家らの態度が一変し、保親の機嫌を取るように擦り寄っている。下心が丸見えの公家に対しても、保親は素っ気なく、いつもの寡黙な父に戻っていた。

 幻でもみていたのだろうか。

 父親の珍しい姿に衝撃を受け、あんぐりと口を開けたままの青に章子が笑う。

「女子がはしたないですよ」

 章子に指摘された青は手で口を覆い、章子の側によって腰を下ろした。

「……章子さま、すみませんでした」

「何を謝ることがあるのです」

「いえ、本当ならば耐えねばならないところを……。私は堪え性がない」

 そう自嘲する青に、章子は瞳を瞬かせた。

「先ほども申したでしょう。ときには序列を気にせず物を言う気概は必要です。……まぁ、言葉を選ばなければ争いの火種となりますから、これからは気をつけてくださいね」

 柔らかく笑んだ章子に、青も困ったように笑う。

「以後、気を付けます。……お身体の調子はどうですか? 京樂に来られるのはつらかったでしょう」

 気遣わし気な青に章子は腹部に手を当てて言った。

「青に報告しなければならぬことがあります。……私の腹にやや子がいるのです。もしも、生まれてくる子が男児であっても、私はあなたを当主として扱いますからね」

「……はい」

 笑って返事をしたものの、青は複雑な心境だった。
 
 生まれてくる子が男児であろうと、女児であろうと、きっと、自分よりも当主に向いているに違いない。冷静沈着な保親と聡明な章子の子であれば。

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