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第三章
花びら
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「綺麗な雨だな……」
別れを惜しむ自分の心を映し出すように、二日前から雨が降り出していた。
しかし、銀鼠色の雲から降り注ぐ雨は清々しい。いつもは雨が降っていても何にも思わないのだが、何故か、この雨の粒は透明度が高い気がしたのだ。
不思議な感覚に薄曇りの空を見上げていた青に、東が感心したように言った。
「青の感覚は本当にすごいな……。この雨は普通の雨じゃない。天界にいる水の女神に頼んで雨を降らしてもらっているんだ」
地上から遥か離れた天界の層の水は、高い神気が含まれた純麗な水なのだそうだ。
龍神を開放したとしても、地上の穢れを払わなければ龍神の居心地が悪くなってしまう。それ故、女神の雨で予波ノ島全体を浄化させているらしい。
縁側に立つ青はそっと手を空へ伸ばした。
水の女神が降らせる純然たる雨粒は、手のひらの上で弾けるたびに色を放っているような気がする。
そんな、現世では見られないような映像が青の脳裏に過る。
弾けた雨粒は彩り豊かで、淡い光を帯びていて。色と光が調和された雨粒が綾なす幻想的な世界に青は、ふふ、と笑った。
「さぞかし、龍神も喜ぶだろうな」
と微笑みながら、荷捌きをしている東へ振り返った途端、青は血相を変えた。
ずっと、――京樂から帰ってきてから畳の上に置きっぱなしにしていた数冊の本を東が抱えていたのだ。
恐らく部屋を綺麗にしてから出て行こうと考えた東の計らいなのだろうが。
「こらっ! それに触るな!」
青は慌てて東に駆け寄った。
動揺のあまり足を絡ませ、短い悲鳴を上げた青は倒れそうになった。傾いだ青を抱きとめようとした東の両掌から本が、ばたばたと落ちていく。
桜色が散らばる様子を瞳に映しながら青は東に掴みかかってしまい、二人とも畳に倒れて込んでしまった。
「痛い……」
東の困惑気な声を聞いて顔を上げた青の顔がたちまち赤くなる。
白い頭巾と布作面に、押し花にしていた桜の花びらが散ってしまっていたのだ。
東には見えていない。
見えていない。落ち着け、私の心臓。
「驚かせて悪かった。……これは私が片しておくから」
東の身体の上に圧し掛かってしまっていた青は平静を装って起き上がろうとした。
が、離れていく青の腕を東が掴んで引き留める。
「……於恵湖にいた花神の気配がする……」
どきり、と青の心臓が一段と高く跳ねた。
於恵湖のほとりで、手のひらに積もった桜の花びらを包み込むように東の手が重なったときの記憶が青の脳裏に淡く蘇る。
「あのときの、花びら……?」
青は何も言わない。言えない。
すると、おもむろに東の手が青の肩に触れる。次いで、首筋を伝って頬に触れた。
「青の顔、熱い」
やかましい、と言おうとした青の唇が震えて音にならなかった。
頬に感じる東の温もりも、もう感じることはできないのだと思うと、胸が締め付けられて喉の奥が熱くなる。
心のどこかで、東とは一緒にいられないと思っていた。
いつか、東は遠くへ行ってしまうだろう、と。
そのときが来ただけのこと。
永遠なんてありはしない。
わかっているのに、望みが溢れ出す。
青は火照った頬を覆う東の手の甲に触れて、自分の手のひらを重ねた。
「東、私は……」
別れを惜しむ自分の心を映し出すように、二日前から雨が降り出していた。
しかし、銀鼠色の雲から降り注ぐ雨は清々しい。いつもは雨が降っていても何にも思わないのだが、何故か、この雨の粒は透明度が高い気がしたのだ。
不思議な感覚に薄曇りの空を見上げていた青に、東が感心したように言った。
「青の感覚は本当にすごいな……。この雨は普通の雨じゃない。天界にいる水の女神に頼んで雨を降らしてもらっているんだ」
地上から遥か離れた天界の層の水は、高い神気が含まれた純麗な水なのだそうだ。
龍神を開放したとしても、地上の穢れを払わなければ龍神の居心地が悪くなってしまう。それ故、女神の雨で予波ノ島全体を浄化させているらしい。
縁側に立つ青はそっと手を空へ伸ばした。
水の女神が降らせる純然たる雨粒は、手のひらの上で弾けるたびに色を放っているような気がする。
そんな、現世では見られないような映像が青の脳裏に過る。
弾けた雨粒は彩り豊かで、淡い光を帯びていて。色と光が調和された雨粒が綾なす幻想的な世界に青は、ふふ、と笑った。
「さぞかし、龍神も喜ぶだろうな」
と微笑みながら、荷捌きをしている東へ振り返った途端、青は血相を変えた。
ずっと、――京樂から帰ってきてから畳の上に置きっぱなしにしていた数冊の本を東が抱えていたのだ。
恐らく部屋を綺麗にしてから出て行こうと考えた東の計らいなのだろうが。
「こらっ! それに触るな!」
青は慌てて東に駆け寄った。
動揺のあまり足を絡ませ、短い悲鳴を上げた青は倒れそうになった。傾いだ青を抱きとめようとした東の両掌から本が、ばたばたと落ちていく。
桜色が散らばる様子を瞳に映しながら青は東に掴みかかってしまい、二人とも畳に倒れて込んでしまった。
「痛い……」
東の困惑気な声を聞いて顔を上げた青の顔がたちまち赤くなる。
白い頭巾と布作面に、押し花にしていた桜の花びらが散ってしまっていたのだ。
東には見えていない。
見えていない。落ち着け、私の心臓。
「驚かせて悪かった。……これは私が片しておくから」
東の身体の上に圧し掛かってしまっていた青は平静を装って起き上がろうとした。
が、離れていく青の腕を東が掴んで引き留める。
「……於恵湖にいた花神の気配がする……」
どきり、と青の心臓が一段と高く跳ねた。
於恵湖のほとりで、手のひらに積もった桜の花びらを包み込むように東の手が重なったときの記憶が青の脳裏に淡く蘇る。
「あのときの、花びら……?」
青は何も言わない。言えない。
すると、おもむろに東の手が青の肩に触れる。次いで、首筋を伝って頬に触れた。
「青の顔、熱い」
やかましい、と言おうとした青の唇が震えて音にならなかった。
頬に感じる東の温もりも、もう感じることはできないのだと思うと、胸が締め付けられて喉の奥が熱くなる。
心のどこかで、東とは一緒にいられないと思っていた。
いつか、東は遠くへ行ってしまうだろう、と。
そのときが来ただけのこと。
永遠なんてありはしない。
わかっているのに、望みが溢れ出す。
青は火照った頬を覆う東の手の甲に触れて、自分の手のひらを重ねた。
「東、私は……」
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