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第七章 公開生懺悔

第20話 亡霊の追憶

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 杉並区にあるマンション。
 ニューファミリー向けに建設されたそのマンションは、三LDKで広々とした造りの間取りだ。

 夫婦二人だけとなり、慣れ親しんだ多摩の一軒家を手放した。それからこのマンションに移り住んだが、年老いた夫婦にとって、この広さでもまだ持て余してしまうほどの広さがある。

 歳を重ね、得るものよりも失うものの方が多くなった。しかし、愛する娘まで喪うなんて、想像さえしていなかった。

 黒田から「強盗に入られ、茜が連れ去られた」と連絡を貰った時には頭が真っ白になった。

 受け入れられなかったからではない、あまりに現実離れした話に、自分の人生に現実として起きたことであると理解することができなかったからだ。

 病院で黒田と会った時に彼は憔悴しきっていた。
 説得を聞かず病室のベッドを出て茜を探しに行こうとしたため、ベッドに身体を拘束されていた。

 ──すみません。私のせいで。
 彼は何度も謝った。

 目から大粒の涙をこぼしながら。涙は横になった彼の枕を濡らし続けた。警察は茜を捜索し続けた。

 そして二日後、ようやく乗り捨てられた逃走車を発見した。しかし発見したのは車だけではなかった。

 報せを聞き、刑事の胸ぐらを掴んで何度も「茜のはずがないだろ! 早く茜を見つけてくれ!」と叫んでいたというが、自分では全く憶えていなかった。憶えていたのは妻の雅子は、ただ泣き崩れていたことだけだ。

 しばらくして、冷たくなった茜と再会した。

 可愛かった顔は、殴られて無数の黒い痣ができていた。それだけで茜がどれほど惨い目に遭ったか判るのに、その顔は不思議なほど安らかで優しいものに見えた。

 刑事は「必ず犯人を捕まえます」と言ったが、その言葉は現実にはならなかった。娘が殺されるという現実紛いの事件が身に起きたのに、現実とはなんと残酷なものだろうか。

 黒田や私たち夫婦だけでなく、妹の響子きょうこの心もまた壊れてしまった。成長してからも姉にべったりと甘え、二人でよく旅行をしていた。姉の結婚に喜びながらも、陰では寂しさで泣いていたという。

 事件のショックから響子は休学し、一年間ほとんど部屋から出ることはなかった。なんとか少しずつ心を取り戻していったが、家にいると姉のことを思い出してしまうと家を出た。

 響子は日本を離れたいと大学の制度でハワイへ語学留学に行った。そこで出逢った男性に精神的にかなり支えてもらい、そのまま結婚をすることになった。

 思えば茜を失ったことで呆然としてしまっていた私たちの姿に、響子は思うものがあったのだろう。
 ショックを受けたとしても、私はまだ生きている、これからまだ生きていかなければならないという響子の想いに、なぜ気付いてやれなかったのだろうか。

 娘たちに本当に甘えていたのは他でもない、親である私たち自身だったのだ。

 黒田は壊れそうな心を仕事で誤魔化そうとしていた。

 訊けば、何度も自殺を考えたそうだ。しかし、茜を殺した男たちがのうのうと生きている世界で、自分が死ぬことが赦せなかったという。私たち夫婦も同じ思いだった。

 警察からは何の進展ももたらされなかった。

 ある日、黒田から話があった。知り合いの記者を使って、犯人たちの情報を得たというのだ。「私が、茜の無念を晴らします」黒田はそう言った。復讐を誓う黒田を説得するでもなく、私たちは「協力しよう」と申し出た。

 黒田は時に非合法な手段も使いながら、犯人グループの情報を集めて行った。長い時間を掛けて計画を練り、ようやく実行に移す日が来た。

 まず実行犯の一人である太田洋一に目をつけた。この男が茜を殺して遺棄したラブホテルの廃墟を見つけたらしい。

 実行は全て黒田が一人で行った。私たちは襲う瞬間を黒田と共有し、太田が配信していた動画を見ながらコメントを入れた。精神的に追い込ませるくらいはできると思ったからだ。

 太田を廃村の蔵に監禁して、衰弱死させることにした。

 翌週、新しい施設のプレオープンのイベントで黒田と落ち合い、残りの二人を殺して三人とも廃村に埋めることにした。
 しかし、計画は変わってしまった。私が電車であの男、鷹津を見かけてしまったからだ。

 潮汐のセキュリティを任せたいと黒田から鷹津が所属する警備会社へ意向を出していた。

「素行の悪い警備でも構わない。今はとにかく一人でも人手が欲しい」と警備会社の人事を誘導し、問題が多く社の厄介者と評判になっていた鷹津の受け皿となった。

 うまくいかなければ強制的に拉致する予定だったが、計画は黒田の思惑通りに進んだ。

 面接に呼び出された鷹津は会社から渡された特急券を使い、意気揚々と電車に乗り込んできた、その席が偶然私たち夫婦と近い席だったのだ。

 あの男は、これから面接だというのに、酒を飲んでいた。
 この手の面接があってないようなものだと高を括っていたか、こんな状況でさえ酒に手を出さずにいられないほど依存していたかは判らない。

 一つだけ確信したのは、この男は生きている価値がないということだ。

 フラフラと座席の間を歩く鷹津の姿に怒りが込み上げた。鷹津がトイレに行くのを見計らって、廃村で殺すために用意していたアルコール入りの注射器を準備した。

 通路を気付かれない程度の距離を保ちながら歩き追いかけると、どこからか茜の声が聞こえた気がした。

 この手の電車のトイレは簡易的な鍵で、簡単な工具があれば外から開閉できることは知っていた。万一の時のために十徳ナイフを持っていたので、それで十分だった。

 人がいないことを見計らって、鍵を開けた。雅子は外にいてもらった。トイレを待っている人がいると見せかけることで人を近寄らせないためと、見張りのためだ。

 トイレのドアを開けると、勝負は一瞬で決まった。
 小便をしながら驚いた顔をした鷹津の頭を、後ろの壁に叩きつけた。

 荷物を置くための棚があり、その角が鷹津の後頭部を打った。混濁した意識の鷹津の腕にアルコールを注射し、ドアを閉めて立ち去った。

 誰か来るかもしれないので、鷹津が死んだか確かめる余裕さえなかった。
 席に戻ってからも気に掛けていたが幸い次の停車駅が近かったせいか、自分たちが電車を降りるまで誰もトイレを利用しなかった。

 これほど衝動的な犯行になってしまったのは他でもない。あの時、あそこであの子の面影が過ってしまったからだろう。あれから、我々も《亡霊》となったのだ。

 連絡が入った。黒田が闇バイトの指示者を拉致してこちらに向かっている。私たちも合流し、あの場所へ向かうのだ。全てが終わり、全てが始まった、あの場所へ。

 最後の裁きを行うために。
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