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02.オオカミちゃんと赤ずきん 後編

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 さて、二人が森を歩いていると少し開けた場所にたどり着きました。そこには小さな木の家が建っていました。当然ですがランの目的地である町ではありません。不思議に思ってルージュの方を見ると、彼は「ああ」と言って家を指さしこう言いました。
「あれは俺が今住んでる家だ。町に行く前に用事が合ったから寄らせてもらった。悪いな」
 なるほど、確かにせっかく町まで行くのです。ルージュにも買いたいものや売りたいものがあるかもしれない、そう思ったランは特に何も思わず彼の言葉に頷きました。
「せっかくだし、少し休憩するか。ランも少し疲れただろ」
 実を言うとそこまで疲れてはいなかったのですが、久しぶりの再会なこととルージュが気を使ってくれたので、ランはその案に賛成しました。二人は一緒に家の中に入ります。
 中はランが予想していたよりも清潔に保たれていました。温かみのある木のテーブルも、その後ろにあるキッチンも、汚れ一つありません。ランは失礼だとは知っていましたが、初めて来た旧友の家に興味が湧いて辺りをきょろきょろと見渡してしまいました。
 そんな時、ランの背後でガチャンと何かが閉まる音が聞こえました。振り返ると、なんとルージュが玄関の扉に大きな鍵を付けているではありませんか。
「ルーくん、それじゃ外に出られないのだ」
 そう言うと、ルージュがこちらを向いてこう言いました。
「こうしておかないとこの扉は建付けが悪いから勝手に開いてしまうんだ。それに出る時はちゃんと鍵を外せばいいだけだろう」
 ルージュのその言葉に、ランはどこか違和感を感じながらも何も言えませんでした。ルージュの言葉には有無を言わせぬ妙な力強さがあったからです。
「じゃあお茶でも淹れるからランは座って待っててくれ」
 そう言うとルージュは持っていた猟銃を壁掛けに置き、帽子を帽子掛けにかけてからキッチンに立ちました。ランは言われた通り、木の椅子に座って待っています。
 とはいえ、ただ待つのもつまらないですからランはこっそり部屋を観察することにしました。年季の入った暖炉、少しほつれているクッション、丁寧に手入れのされている猟銃、何となくルージュがどんな生活をしているのかが想像できます。そんな中でランの目はある物に止まりました。
 それは一見すると何の変哲もないただの檻です。少々サイズが大きいですが、猟銃を持っている彼の事ですから猟犬を飼っていたとしてもおかしくはありません。ただ……その檻はどこか妙でした。例えば床に敷いてある布が上等なものであったり、中に檻と繋がっている首輪が落ちていたり、明らかに女性が着るような服が入っていたりと、明らかにおかしいのです。もし、ルージュが少しずぼらな人間で、あちらこちらに物を置くような人間であれば納得したかもしれません。ただ、そうと考えるにはその檻以外の場所があまりにも整頓されすぎていました。
「何見てるんだ」
 ランが檻から目を離せないでいると、ルージュがそんな風に話しかけました。慌ててランが正面を向くと、ルージュは二人分のカップをお盆に載せて、本当に不思議そうにこちらを見ていました。
「き、気になっちゃって色々見回しちゃったのだ。ごめんなさい」
 ランが謝ると、ルージュは「別に謝らなくていいのに」と言ってお盆をテーブルに起きました。ランは妙にざわざわする心を落ち着かせようと、ルージュが入れてくれたお茶に手を付けようとして――。
「飲まないのか?」
 ――そのカップから妙な匂いがすることに気づき、そっと口元から離しました。
「あ、熱いの苦手だから少し冷まそうと思って」
 ランは嘘をつきました。もしランの感じた変な匂いが気のせいだったら、せっかくルージュが入れてくれたものにケチをつけたことになります。そしたら今度こそ友達ではいられないかもしれません。
「ランは結構猫舌なんだな。今度から気を付けるよ」
 そう言うとルージュはカップに口を付けました。特に何事もなくお茶を飲むその様子に、ランはやはり気のせいだったのかもしれないと思い、もう一度さりげなく匂いを嗅いで、やっぱり薬のような変な匂いがすることに気づいて止めました。
「それで、何か面白い物でもあったか? 俺の家は」
「え、ええと」
 ランは迷いました。あの檻について聞くべきかどうか、何となく聞かない方がいいかもしれないとは思うものの、気になって気になって仕方がありません。昔からランは好奇心が強い方なのです。結局、あの妙な檻についてルージュに聞くことにしました。
「その、そこにある檻だけど、もしかしてルーくんは犬を飼っているのか?」
 あくまでも何でもないことのようにへらへらと笑いながらランは聞きました。それに対してルージュは静かに答えます。
「飼ってない」
「え? じゃ、じゃあ、あの檻は」
「でもこれから飼う予定だ。犬じゃないけどな」
 一瞬、ドキリとしましたがその後に続いた言葉にランは何故かホッとしました。ルージュはまっすぐランを見ながら話を続けます。
「あの檻に色々物が入っているのは、もし手に入ったらどんな感じなのかなと想像してたんだ」
「想像……」
「そう。体は痛くないだろうかとか、逃げ出さないようにしなければとか。そうそう、道具も沢山買ったんだ」
 そう言って席を立ったルージュが持ってきたのは、どう見ても人間に使う大きさの首輪や手枷、それから様々な拘束具でした。
「あ、あの、ルー」
「ずっと想像してた。毎日毎日、あの中に居たらどんなに素敵だろうか、と。朝起きたらおはようを言って、一緒に朝食を食べる。その後は一緒に遊んで、疲れたら隣に並んで昼寝でもする。夜は一緒に暖炉の火でも見ながら抱きしめてキスをする。それが出来たらどんなに素敵だろうかと」
 ランはとうとう、泣き出してしまいそうな気持ちになりました。何がどうしてか分かりませんが、怖いのです。ルージュの語る言葉におかしなところは一つもありません、それでも、ランは彼の事がまるで全く違う生物のように思えて怖くなってしまったのです。
「ラン」
 ルージュがまっすぐにランを見つめて言いました。
「ランの耳はどうしてそんなに大きいんだ?」
「そ、それは、どんな音でも直ぐに気づけるように、なのだ」
 ルージュはまだランを見つめています。
「ランの目はどうしてそんなに大きいんだ?」
「それは、敵を、すぐに発見できるように、なのだ」
 ルージュはまだまだランを見つめています。
「ランの手はどうしてそんなに大きいんだ?」
「それは、沢山の物を持つためなのだ」
 ルージュはまだまだまだランを見つめています。
「ランの口はどうしてそんなに大きいんだ?」
「それは……わ、分かんない、のだ」
 ルージュのジッと見つめてくるその視線に耐え切れなくなったランはとうとう目をそらしてしまいました。ルージュが、先ほど取り出してきた首輪の一つを手に取って立ち上がりました。
「分からないなら俺が教えよう」
 そう言ってルージュはランの側に近寄ると、固まっている彼女に優しく持っていた首輪を付けました。そして、ランの顎を持って無理やり目を合わせると、囁くようにこう言いました。
「ランの耳が大きいのは俺の声に直ぐに気づけるように。ランの目が大きいのは俺の事をよく見るために。ランの手が大きいのは俺を力いっぱい抱きしめるために。ランの口が大きいのは俺とキスがしやすいように、だ」
 ランは思わず小さく悲鳴を漏らしてしまいました。離れ離れになっていた幼い頃の友人、ルージュは最早『ルーくん』ではなくなっていたのです。いえ、もしかしたらランの知っている『ルーくん』など最初から居なかったのかもしれません。
「ランは今日から俺と一緒にここで暮らすんだ。安心しろ、痛いこと、苦しいことなんて何もしないさ。俺と一緒に居ればいいだけ、簡単だろ」
「……で、でも、は、町に」
「行ってもいいけど、また今度な。まずはランがこの家の暮らしに慣れなきゃいけないだろうし。ああ、もしランが檻が嫌って言うなら別にあそこじゃなくてもいいさ。その代わり、家の中では逃げないように鎖でつないでおかないとだけど」
 まるで手枷のサイズを測るかのように、ルージュはランの手首を握り、それに驚いたランは思わずその手を振り払ります。その拍子に、ランの手がまだ飲んでいないお茶の入ったカップにカツンとあたって少しこぼれてしまいました。その時、ランの頭にとある作戦が思いついたのです。
 ランはとっさにカップの中身のお茶を口に含むと、そのままルージュにキスをしました。ルージュの青い目とランの茶色い瞳が交差して、先にルージュが唇を離しました。
「ラン! お前……!」
 途端にルージュの体がガクンと崩れ落ちます。それをランが咄嗟に支えて、それから静かに床に寝かせました。
「ルージュが何を思ってこんなことをしているのか、は馬鹿だから分かんないのだ……。でも! 一つだけ分かることは自分の事は自分で決めるということなのだ! は町に行ってプレゼントを買って、皆のいる村に帰るのだ! だから……ルージュのお願いは聞けないのだ!」
「ラン、たのむ、行くな、行かないで――」
 ルージュは最後までランに手を伸ばしていましたが、急に力が抜けたようにその手は床へと落ちました。慌ててランが脈を確認すると、問題なく動いているようです。どうやらランのお茶に入っていたのは即効性の睡眠薬のようでした。それも随分と強力な。
 ランはルージュをソファーに寝かせてから、檻の中にあった新品の布を布団代わりにかけてやりました。それから、キッチンの窓を開けてそこから外に出ます。振り返って家の中を除けばルージュが穏やかな寝息を立てていました。
「ごめんなのだ……」
 ランは少し躊躇ってから、やがて振り切るようにその場から走って逃げました。幸いなことにルージュの家は森の中でも町寄りにあったようで、親切に町までの方向を示した看板がありました。
 太陽の位置はまだ上りかけ。それでも、ランが町に着くころにはきっとてっぺんまで登っている事でしょう。
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