上 下
9 / 10

06.オオカミちゃんと四人のメンヘラとヤンデレ

しおりを挟む
「コウ様!」
 ランとコウのいる部屋に切迫した声が響きました。障子の向こう側に誰かの影が映ります。
「な、……なにが、あった。今夜は誰も近づくなと言っておいたはずだが?」
 コウが息を整えながら、影に返事をします。その声には隠す気のない棘が含まれていましたが、影はよっぽど焦っているのか構わずに話し続けます。
「む、村に侵入者が居るのです。それも三人も」
「そんなもの捕らえてそこらの木にでもしばりつけて置け!」
「それが、侵入者たちは一様に、その、ラン様を探しているようなのです」
「…………は?」
 影の声にコウが怒りと驚きと困惑が入り混じった声をあげます。それに気づかなかったのか影は再びつらつらと話し始めます。
「侵入者の一人は赤い帽子をかぶった体格のいい男です。猟銃を持っているので恐らく猟師なのではないかと。それから町で有名な山羊の七人兄弟の長男と、我々の交易隊と交流のある牧場の主もいます。どうやら示し合わせたわけではなく、偶然一緒になったようですが、全員ラン様に会いに来たと」
「父、村長には報告したのか」
「しましたが……ラン様を探していると伝えると、コウ様が場を収めた方が良いだろうと仰られて」
「チッ、臆病者め……」
 コウは報告を聞くと、何か考え込むように顎に手を当てます。そしてランの方を向くとこう言いました。
「ラン、心当たりは?」
「あ、えと、多分町で知り合った人たちだと思う、のだ」
「そう。……じゃあ僕ちょっとお話してくるから。ランはここで待っててよ」
「あ、も」
「駄目、僕が帰ってくるまで絶対にここから出ないで。まだ話は終わってないんだから」
 そう言うとコウは急ぎ足で部屋から出て行ってしまいました。途端に部屋には静寂が訪れます。静かな部屋でランは考えます。
 きっと村に来た三人の侵入者とはルージュ、ベリエ、シェーブルの事でしょう。どうやってこの場所を知ったのかは知りませんが、ランを探していると言っていたことから偶然たどり着いたということは無いでしょう。そしてそんな三人にコウが話に行ったのです。ランは自分の心臓がどきどきと早くなっているのを感じていました。まるで牙をむいた獣を前にしているような、そんな恐怖にも似た感情がランの胸の中で蠢いていました。
 どうしてこんなに怖いのだろう──ランはさらに深く考えて、最後にランが見た四人の様子を思い出しました。
 体格も性格も違う四人ですが、最後にランを見る瞳は同じでした。飢えた獣の目です。ギラギラと変に輝いていて、目の前の獲物を逃す気などみじんもない、そんな目です。勿論、始めに会った時はそんな風ではありませんでした。皆、ランと話しているうちにそうなってしまったのです。
 ランは自分が何かしてしまったのだろうかと思いました。何か彼らにとって、心変わりするようなことをしたのだろうかと。しかし、思い当たる節はありませんでした。ランにとってはごく普通に出会って、ごく普通に会話をしていたつもりなのです。
 けれどもランは思います。もっと自分がちゃんとしていたらこんなことにはならなかったんじゃないかと。もっと四人とちゃんと話したり友達になったりして、そうすればあんなおかしな目をすることも無く、こんな夜更けに村まで追いかけてくるようなことも無かったのではないかと。四人にも、村の皆にも迷惑をかけることは無かったんじゃないかと。
 鬱々とした思考がランの頭の中ににじみ出てきたその時、タァーンと何かが破裂したような甲高い音が鳴りました。ランはハッとして思わず部屋を飛び出します。すると、広場の方から恐怖で顔を真っ青にした何人かの村民が逃げていくのが見えました。ランはその様子を見て、一目散に広場の方に向かいました。
 広場では──ルージュがコウに猟銃を突きつけていました。ベリエとシェーブルは身構えながらその様子を見ていました。いつその銃口がこちらに向くか分からないのです、迂闊に手出しは出来ないでしょう。
「最初からこうすればよかったんだ」
 ルージュがぽつりと言いました。帽子を目深にかぶっており、表情は読み取ることが出来ません。ランが状況を飲み込めずにいると、ルージュがランの方を向きました。
「ラン、俺と一緒になろう。拒否したらこの狐を殺す」
 そう言って両手で構えた銃をコウに押しつけました。ランはようやく何が起きているのか理解して、顔から血の気が引いていくのを感じました。
「あ、あの」
「ラン! 絶対に頷くな。どうせ答えに関わらず僕を殺すにきまっている」
「うるさいぞ、狐」
 銃口が腹にめり込み、コウはうめき声を上げます。ランは何が最善の選択かを必死に必死に考えて、しかし何も思いつきませんでした。両手をぎゅうと握りしめながら、ランが可能性にかけて首を縦に振ろうとした、その時です。
 いつの間に移動していたのでしょうか、シェーブルがルージュの背中を思いっきり蹴りつけ、こう言い放ちました。
「俺の嫁を脅すな!」
 思わぬ攻撃を食らったルージュは体勢を崩し、よろめきます。その隙をついてコウが猟銃をルージュから奪い取りました。ホッとしたランでしたが、広場は未だに緊張した空気に包まれています。
「おい、そこの山羊。誰が誰の嫁だって?」
 コウがシェーブルの方を向いて棘を含んだ声でそう言いました。するとシェーブルはさも当然のことのように答えます。
「ランが、俺の嫁、だが」
「へぇ、町で評判のコックの正体が虚言癖持ちだったとはね。知らなかったよ」
「嘘はついていない。俺たちは既に将来を約束しているのだから」
「はぁ?」
 再び広場に一触即発の空気が流れます。ランが慌てて止めようとしましたが、その前に手を引かれました。驚いてそちらを見やると、手を引っ張っていたのはベリエでした。
「ベリエ、悪いけど手を」
「ラン、逃げようよ」
 ベリエをそう言ってランをどこかに連れて行こうとします。が、ランがその場に踏みとどまったことでベリエの足もまた止まりました。ランは困惑気味に尋ねます。
「逃げるって、今は喧嘩を止めなくちゃ」
「あんなイカれた奴らなんて放っておこうよ。ランを脅して手籠めにしようとしたり、君を妄想癖に巻き込んだり、村人を巻き込んで君を乱暴な手段で帰らせたりする連中だ。これ以上ここにいたらどんなことをされるか分かったもんじゃない。さあ、逃げよう」
「手を離してほしいのだ! そもそもどこに」
「勿論、オレの家だよ。ああ、安心して。客人用の部屋くらいはあるから……」
 そう言ってなおもベリエはランの手を引っ張ります。ですが、ここでランが居なくなれば事態はもっと悪化するでしょう。手を振り払おうとしたところでまたもや破裂音──いえ、銃の発砲音が響き渡りました。
「その手を離せ、人さらい」
 なんと今度はコウが猟銃をベリエの方に構えていました。先ほどの音はどうやら空に向けて撃った威嚇射撃のようです。ベリエはランの手を離し、銃口からかばうようにランの前に出ました。
「どいつもこいつも隙さえあればランに群がりやがって……、いくら駆除しても土中から這い出るモグラみたいに湧いて出てくる害獣共が」
「ハッ、害があるのはどっちだよ。彼女をこんな狭い村に閉じ込めて、自分のいいようにして、おままごとは人形相手にだけにしておけよ」
「付き合いの浅い馬の骨がランの何を知っている。僕とランにはお前の想像もつかないような貴く深い繋がりで結ばれているんだよ!」
 言い争いはどんどんと激化し、最早罵詈雑言が飛び交っています。ランは何度も喧嘩を止めるように口を挟みましたが、二人はまるで聞く耳を持ちません。このままではいけないと他の誰かに助けを求めようとした時、シェーブルがまた、コウに気付かれないように背後に回っていることに気付きました。また、ルージュの時のようにコウの背中を蹴るつもりなのでしょうか。しかし、体の弱いコウはそんなことをされてしまっては何か月も寝込むことになってしまうかもしれません。ランはそれを止めようと、思わず体が動いていました。
 ランは銃を持ったコウに近づくと、コウのわきの下に手を入れ持ち上げました。突然のことにコウは驚いて目を丸くし、その後ろにいたシェーブルも戸惑った顔をしています。
「蹴るのはやめるのだ!」
「あ、ああ」
 ランの制止にシェーブルが戸惑いながら返事をすると、ランはコウを地面にゆっくりおろしました。そしてそのついでにコウから猟銃を取り上げます。
「コウもこんな物騒なものを使うのは止めるのだ! 村の皆も怖がっているのだ!」
「で、でもラン」
「『でも』も『だって』も無いのだ! 仲良くしろとは言わないけど、やりすぎなのだ!」
「う、は、はい」
 ランが怒ることはめったにありません。ランは誰よりも足が速く、力も強い女の子ですが、同時に誰よりも優しい女の子です。村の子供が規則を破ったりしても優しく言い聞かせるだけです。だからこそ、長い付き合いのコウやルージュも、また今日知り合ったばかりのベリエやシェーブルも驚き、戸惑っているのでしょう。勿論、遠巻きに見ていた村民も珍しいランの姿に少々ざわついているようです。
「今日はもう夜も遅いし、皆寝るのだ。三人はこのまま帰るのは危険だから今日は村に泊っていくのだ」
「え!? ラン、それは」
「コウ、コウの方が分かっているはずなのだ。こんな時間に森を歩かせることがどれだけ危険なのか」
「………………分かったよ。集会所が開いてるから、そこで良いでしょ」
 コウが不承不承と言った様子でランの言葉に頷きました。しかめっ面で納得はしていないようですが、まだランが怒っている事への困惑が残っているのでしょう。下手な事を言ってランに嫌われてしまう方が怖いのです。
 ランはコウにルージュたちを集会所へ案内するように伝えると、自分は布団を取りに家に戻りました。そして集会所で就寝の準備が整うと、三人に就寝の挨拶を告げて、自分も寝るために家へと帰りました。そうそう、コウが話の続きをしようとしていたようですが、ランが不機嫌そうな顔になるとすぐに思い直したようで自室へと戻っていきました。
 こうしてようやくランは今日という長い一日を終えたのでした。



 昨日の大騒ぎが嘘のように狼の村に静かな朝がやってきました。村人たちは眠そうな顔をしながらも畑の世話や狩りをするために家からのそのそと出てきます。
 さて、村人たちの寝不足の原因と言える四人とランはと言えば──。
「ラ、ラン? まだ怒ってるの?」
「……」
 なんとも妙なことになっていました。昨日の騒動の決着をつけるためにラン達は集会所に集まって座っているのですが、ランは一晩経っても不機嫌な様子のままです。四人も寝たことで頭が冷えたことやランがまだ怒っていることもあって、昨日の喧嘩の続きをする気にはなりません。四人がどうしたものかと各々で頭を捻らせていると、ランがようやく口を開きました。
「怒っているか怒ってないかで言えば、怒っているのだ」
 ランは四人をジトっとした目で見つめます。心当たりしかない四人は言葉に詰まってしまいますか、ランは気にせず話を続けます。
「あの後お布団の中で色々考えたけど、み、皆かってに色々言いすぎだしやりすぎなのだ! はシェーブルのお嫁さんになったつもりは無いし、銃を使って人を脅すなんて嫌だし、嫌って言ったら止めて欲しいのだ」
 そのままランはたどたどしくもはっきりと話を続けます。
「そもそもの事は自身で考えて動くのだ。その行動を自分が嫌だからって色々な手を使ってを止めようとするのは、なんか嫌なのだ! ……まあ、でも、ランにも悪いところがなかったわけではないと思うのだ」
 普通の人であれば十割四人が悪いと思うのですが、ランは度を超えたお人よしなので自分にも何か悪いところがあったのかもと思いました。
「もっとはっきり嫌なことを嫌って言ったり、逃げたりしないでちゃんと返事をしたり、そういうことをすればこんなことは起きなかったと思うのだ」
「いや、そうでもないと思うけど」
「シッ、ちょっと黙ってろ羊飼い」
「だから、先ず皆に言っておくのだ。は恋愛とかよく分からないし、結婚しようって言われても今はその気はないのだ。それからは今のところこの村を出ていくつもりはないのだ。にも村での役割と言うものがあるのだ」
 力の強く、運動神経の良いランは村での力仕事を引き受けています。ランが居なくなってしまったら困ってしまう村人は多いでしょう。
「ただ、は今の家を出て一人暮らしはしようと思ってるのだ」
「は!? 何で?」
「だってコウも変なことを言い始めたし、それに元々お祖父ちゃんが住んでた家の管理もしなきゃいけないなと思ってたところなのだ。だったらが住めば管理もできるし、森に近いから狩りにも行きやすいしお得なのだ。父上と母上にはもう許可を取ってあるのだ」
 コウが眉を吊り上げて怒りの表情をあらわにします。対して残りの三人、ルージュ、ベリエ、シェーブルは良いんじゃないかとランの言葉に頷いています。コウは何かを言いかけて、しかしそのまま納得のいかない顔で黙ってしまいました。ランの固い決意が伝わったのでしょう。こうなってしまっては梃子でも動かないことをコウは知っています。元々ランは自立したがっていました。一人で生活をする、というのも大人の証の一つです。コウは村を出ないだけマシだと考えることにしたようです。
「…………とりあえず、が話したいことは以上なのだ。これからもは町に行きたい時に町に行くし、誰と遊んだり、おしゃべりしたりするのかは自分で決めるのだ!」
 ごくごく当たり前のことですが、ランはそう宣言しました。その言葉に四人は何とも言えない顔をしながらコクリと頷きました。
「ところでさ、その家ってどこにあるの? 引っ越しするなら色々と準備が必要でしょ」
「誰にも教えなくていいよラン。これ以上部外者の人に村の中を歩き回られたくないし。僕が手伝うから十分でしょ」
「……病弱な狐の癖に」
「ラン! 上手い料理が食いたいならいつでも言え! お前だけには特別に料理を作りに行ってやっても良いぞ!」
 そしてまたぎゃいぎゃいと騒ぎ始めた四人に今度はランが何とも言えない顔をするのでした。
しおりを挟む

処理中です...