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第五話 商店街の名物親子
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「ちょいと、ごめんくださいよ」
そこに『魚正』の大将、ダケさんが入ってきた。
ロマンスグレーの髪がダンディーな男である。
「よう! 聡子ちゃん帰ってたんか。
おっ、あんたは昼間のイケメンの兄ちゃんじゃないか」
ダケさんは聡子と宝生をまじまじと見つめた。
「いやあね、なんでも話を聞くとこの人、
聡子の会社の社長さんだったらしいのよ。
私はてっきり市内に生息する、
貧乏な大学生さんだとばかり思ってたのよ。あはははは」
女将がカラカラと底抜けに明るい声で笑い飛ばした。
ダケさんはそんな女将に苦笑を浮かべ腕を組んだ。
「う~ん、天然物の真鯛を買っていく貧乏学生なんて、
あまりいないやろうなあ。
まあいいや、それよりテレビや。阪神どうなってる?」
今日の阪神はすこぶる快調だ。
宿敵巨人のエース上原を三回でノックアウトし、
現在七回の表で巨人が攻撃を終えたところ。
阪神の先発ピッチャーの能見の好投に、阪神打線も火を噴いて、
七点差で阪神がリードをしている。
阪神の能見投手が、ゆっくりとマウンドに向かうと、
痺れるようなピッチングを披露した。
聡子もつい興奮してテレビに見入ってしまう。
最速百五十一キロの速球と、スライダーを軸にフォークボール、シュート、
チェンジアップも交えて、実にテンポよく好投しているのだ。
「大きくなったね♡能見」
まるで可愛い我が子の成長を思う、
母のような気持ちにすらなる。
(ああ、阪神が好調だとお酒が美味しいわ)
テレビに映る能見投手に熱い視線を送りながら、
聡子は日本酒の『加茂鶴』をグラスに注いでちびりちびりとやる。
巨人のピッチャーの交代にダケさんと、
聡子の父の富雄が肩を組んで『蛍の光』を歌い出した。
「あけ~てぞ、今朝はわか~れ~ゆ~く~。
ちゃちゃちゃ♪ 阪神タイガース~」
相の手を経て、そしてなぜか『六甲おろし』に変化していくのだ。
あれよあれよと言う間に試合は既に九回、
マウンドには我らが守護神、藤川球児が向かう。
いつもながらの鮮やかなピッチング。
三球三振! 三者凡退。
ピッチャーの頭上に高く上がったボールを、
藤川球児がしっかりとグローブに掴んで、ゲームセットである。
「バンザーイ!」
人口密度の高い六畳の和室で、
大人五人が一斉に叫んだのだった。
「そりゃ、今の阪神も一昔前に比べりゃあ随分と強くなったけどよ、
だけど俺りゃあ、やっぱり八十五年の阪神日本一が忘れられないね。
バース、掛布、岡田のバックスクリーン三連発。あれは痺れた」
ダケさんは当時を懐かしんでじんわりと涙ぐんだ。
聡子はそのとき生まれたばっかりで、当時の記憶なんて全然ない。
だけど不思議とそのときの光景が聡子には容易に想像できた。
父を含む商店街のおじさん連中に何度も繰り返し聞かされたからかもしれないし、
そのときの黄色っぽい画像を、なにかの番組で見たからかもしれない。
物心つく前から聡子は野球が大好きだった。
阪神タイガースが大好きだった。
阪神が勝つと皆が喜ぶ。
阪神が大阪の下町の聡子の大好きな人たちに元気を与えてくれるのだ。
父の富雄は幼い聡子を膝に抱き、
その頭を撫でながらよく『お前が男やったらなあ』と残念そうに呟いた。
『お前が男やったら、絶対に野球をさせるのに』と。
今思えば、それが聡子の原点だったのかもしれない。
「ねえ、お父ちゃん。せっかく帰ってきたんやし、
私、久しぶりにキャッチボールがしたいわ」
と聡子は父にねだってみた。父もまんざらでもなさそうで、
ほいきたとばかりにグローブを取り出してきた。
使い込まれたフェザーバスケットのグローブは、懐かしい革の匂いがした。
手になじむ質感がしっくりとくる。
「へえ、また聡子ちゃんの剛速球が見られるんや」
ダケさんが目を細めた。
商店街を照らす常夜灯のぼんやりとした明かりの下に、
商店街の名物親子が立った。
「聡子、ちょっとは加減してや。
お父ちゃん今キャッチャ―マスク持ってへんし」
「そんな……私だって高校卒業して以来やし、
現役のときみたいな球は投げられへんわ」
準備運動がてらに、聡子はぐるぐると肩を回した。
二三度グローブに硬式の球を投げ入れ、感触を確かめる。
(ああ、この感じ)
聡子は目を閉じた。
手になじむ重量百四十一.四グラム、
円周二二.九センチメートルのボールについた百八個の縫い目を
愛おしそうに指でなぞると不意に懐かしさが込み上げて、聡子は一瞬泣きそうになった。
最初は軽くキャッチボールからはじめた。
まるで会話をするようにぽーんと放っては相手のグローブに吸い込まれ、
そして今度は空に放物線を描きながら、また自分のグローブへと戻ってくる。
聡子は息を吸い、きっと顔を上げた。
「行くで、お父ちゃん」
聡子はゆっくりとボールを胸に抱き、
スリークォーターのフォームからその球を放った。
バシィィィィィッ!!!
風を切る音とともに、グローブに叩きつけられた白球が唸る。
白球を受け止めた富雄が顔を顰めた。
「おお痛た。聡子ちょっとは加減してくれや。お父ちゃん手痛いわ」
富雄はグローブを外し、
左手を振っている。
「ごめん、ごめん。ボール持ったらつい嬉しくなってしまって。
今度は私がキャッチャーをするから、お父ちゃんが投げて」
そう言って聡子がグローブを構えると、富雄は少し照れたような顔をした。
「お父ちゃん、ちゃんと投げれるかなあ」
富雄がボールを胸に抱いた。
ゆっくりと振りかぶり、放たれる白球。
富雄のフォームは、聡子よりも腕の位置が低い。
どちらかというと聡子のスリークォーターより、サイドスローに近い角度から投げる。
ボールが唸り、聡子のミットの中で小気味良い音を立てた。
「ほう、富雄さんもいい球を投げる」
酒気の抜けた真顔で、宝生が名物親子をじっと見つめていた。
そこに『魚正』の大将、ダケさんが入ってきた。
ロマンスグレーの髪がダンディーな男である。
「よう! 聡子ちゃん帰ってたんか。
おっ、あんたは昼間のイケメンの兄ちゃんじゃないか」
ダケさんは聡子と宝生をまじまじと見つめた。
「いやあね、なんでも話を聞くとこの人、
聡子の会社の社長さんだったらしいのよ。
私はてっきり市内に生息する、
貧乏な大学生さんだとばかり思ってたのよ。あはははは」
女将がカラカラと底抜けに明るい声で笑い飛ばした。
ダケさんはそんな女将に苦笑を浮かべ腕を組んだ。
「う~ん、天然物の真鯛を買っていく貧乏学生なんて、
あまりいないやろうなあ。
まあいいや、それよりテレビや。阪神どうなってる?」
今日の阪神はすこぶる快調だ。
宿敵巨人のエース上原を三回でノックアウトし、
現在七回の表で巨人が攻撃を終えたところ。
阪神の先発ピッチャーの能見の好投に、阪神打線も火を噴いて、
七点差で阪神がリードをしている。
阪神の能見投手が、ゆっくりとマウンドに向かうと、
痺れるようなピッチングを披露した。
聡子もつい興奮してテレビに見入ってしまう。
最速百五十一キロの速球と、スライダーを軸にフォークボール、シュート、
チェンジアップも交えて、実にテンポよく好投しているのだ。
「大きくなったね♡能見」
まるで可愛い我が子の成長を思う、
母のような気持ちにすらなる。
(ああ、阪神が好調だとお酒が美味しいわ)
テレビに映る能見投手に熱い視線を送りながら、
聡子は日本酒の『加茂鶴』をグラスに注いでちびりちびりとやる。
巨人のピッチャーの交代にダケさんと、
聡子の父の富雄が肩を組んで『蛍の光』を歌い出した。
「あけ~てぞ、今朝はわか~れ~ゆ~く~。
ちゃちゃちゃ♪ 阪神タイガース~」
相の手を経て、そしてなぜか『六甲おろし』に変化していくのだ。
あれよあれよと言う間に試合は既に九回、
マウンドには我らが守護神、藤川球児が向かう。
いつもながらの鮮やかなピッチング。
三球三振! 三者凡退。
ピッチャーの頭上に高く上がったボールを、
藤川球児がしっかりとグローブに掴んで、ゲームセットである。
「バンザーイ!」
人口密度の高い六畳の和室で、
大人五人が一斉に叫んだのだった。
「そりゃ、今の阪神も一昔前に比べりゃあ随分と強くなったけどよ、
だけど俺りゃあ、やっぱり八十五年の阪神日本一が忘れられないね。
バース、掛布、岡田のバックスクリーン三連発。あれは痺れた」
ダケさんは当時を懐かしんでじんわりと涙ぐんだ。
聡子はそのとき生まれたばっかりで、当時の記憶なんて全然ない。
だけど不思議とそのときの光景が聡子には容易に想像できた。
父を含む商店街のおじさん連中に何度も繰り返し聞かされたからかもしれないし、
そのときの黄色っぽい画像を、なにかの番組で見たからかもしれない。
物心つく前から聡子は野球が大好きだった。
阪神タイガースが大好きだった。
阪神が勝つと皆が喜ぶ。
阪神が大阪の下町の聡子の大好きな人たちに元気を与えてくれるのだ。
父の富雄は幼い聡子を膝に抱き、
その頭を撫でながらよく『お前が男やったらなあ』と残念そうに呟いた。
『お前が男やったら、絶対に野球をさせるのに』と。
今思えば、それが聡子の原点だったのかもしれない。
「ねえ、お父ちゃん。せっかく帰ってきたんやし、
私、久しぶりにキャッチボールがしたいわ」
と聡子は父にねだってみた。父もまんざらでもなさそうで、
ほいきたとばかりにグローブを取り出してきた。
使い込まれたフェザーバスケットのグローブは、懐かしい革の匂いがした。
手になじむ質感がしっくりとくる。
「へえ、また聡子ちゃんの剛速球が見られるんや」
ダケさんが目を細めた。
商店街を照らす常夜灯のぼんやりとした明かりの下に、
商店街の名物親子が立った。
「聡子、ちょっとは加減してや。
お父ちゃん今キャッチャ―マスク持ってへんし」
「そんな……私だって高校卒業して以来やし、
現役のときみたいな球は投げられへんわ」
準備運動がてらに、聡子はぐるぐると肩を回した。
二三度グローブに硬式の球を投げ入れ、感触を確かめる。
(ああ、この感じ)
聡子は目を閉じた。
手になじむ重量百四十一.四グラム、
円周二二.九センチメートルのボールについた百八個の縫い目を
愛おしそうに指でなぞると不意に懐かしさが込み上げて、聡子は一瞬泣きそうになった。
最初は軽くキャッチボールからはじめた。
まるで会話をするようにぽーんと放っては相手のグローブに吸い込まれ、
そして今度は空に放物線を描きながら、また自分のグローブへと戻ってくる。
聡子は息を吸い、きっと顔を上げた。
「行くで、お父ちゃん」
聡子はゆっくりとボールを胸に抱き、
スリークォーターのフォームからその球を放った。
バシィィィィィッ!!!
風を切る音とともに、グローブに叩きつけられた白球が唸る。
白球を受け止めた富雄が顔を顰めた。
「おお痛た。聡子ちょっとは加減してくれや。お父ちゃん手痛いわ」
富雄はグローブを外し、
左手を振っている。
「ごめん、ごめん。ボール持ったらつい嬉しくなってしまって。
今度は私がキャッチャーをするから、お父ちゃんが投げて」
そう言って聡子がグローブを構えると、富雄は少し照れたような顔をした。
「お父ちゃん、ちゃんと投げれるかなあ」
富雄がボールを胸に抱いた。
ゆっくりと振りかぶり、放たれる白球。
富雄のフォームは、聡子よりも腕の位置が低い。
どちらかというと聡子のスリークォーターより、サイドスローに近い角度から投げる。
ボールが唸り、聡子のミットの中で小気味良い音を立てた。
「ほう、富雄さんもいい球を投げる」
酒気の抜けた真顔で、宝生が名物親子をじっと見つめていた。
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