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第二十四話影武者の言い分⑬『たい焼き』

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ミシェル様の声を聞いて、闇に溶けるように消えた兄の姿を
私はただぼんやりと見つめていました。

どうやら知らぬ間に涙が流れていたらしく、
このまま戻ったら皆に心配をかけてしまうなあと思っていました。

「ゼノア! こらゼノア!! 何処に行った!!! 出て来い!!!」

パーキングエリアにミシェル様の甲高い声が響いています。
独特だなぁ……この人。

「ここです、ここに居ますよ~、ミシェル様~」

売店の裏手から手招きして声をかけました。
ここは暗いので、泣きはらした顔を見られなくて済むかと思ったんで。

「だからなんでお前はそんな所にいる? 
 私から勝手に離れるなといっているだろう。心配する……ん?」

ここでミシェル様の目が点になりました。
うわっちゃぁ。
泣いていたの、バレちゃったかなぁ……。
嫌だなぁ。
って思っていたら

「ちっ……ったく……」

ミシェル様が舌打ちしています。

ほぅら、
だから嫌だったんですよ。
もう、一人にしといてくんないかな。
そりゃあ、私にだって泣きたいときはありますよ。

もちろん私はチキン族なので、これは心の声ですけどっ!

「あ……いや……コホン。
 取りあえず手をつなごうか、ゼノア」

ミシェル様が咳ばらいをして、口調を改めてなぜだか私の手を取りました。

「?」

私はこの人の行動が時々良く分かりません。
だってこの人、かなりの変人奇人の域ですし。
ですがこの人の温もりは、その手を通して伝わってきます。

「随分冷たい手だな」

そういってミシェル様は私の手を取って、口元に持っていき、息を吹きかけてくれました。
ミシェル様の吐く息が、夜の外気の中に白く溶けていきます。
どうしてこの人は私のことをこんなにも大切にしてくれるのでしょうか。
この人の不器用すぎる優しさを、私はもう随分受け取ったような気がします。

「お前、偉いぞ! ちゃんと一人で泣かずに私を呼んだな」

そう言って微笑んだミシェル様の顔が、私の涙で歪みました。
そんな私の頭をミシェル様が何度も撫でてくれました。

「人間はなぁ、泣けるように出来ているんだから、泣いてもいいんだ。
よし、思いっきり泣け! 出し惜しみするな! さあ、来い!!! ゼノア」

そう言ってミシェル様は、両腕を開いて私の前に仁王立ちになりました。
私もラガーマンのタックルのごとくに、ミシェル様の胸に飛び込んで大泣きしました。
ミシェル様が小さくても、細っこくても、それでも私にとっては
それだけが触れる事のできる唯一の温もりだったので
そこは遠慮とかする余裕はなかったです。

「うわーーーーーーーーーーーん!!!」

これが嘘笑顔の下の私なんです。
理不尽に人質に出されたことに対する怒り……。
愛しい人たちと引き離されたことの悲しみ……。
自分の無力さに対する絶望……。

結局のところ私はただのケツの青い12歳のガキでした。

「よーし、よしよしよしよし……」
なんだか動物王国のあの人のようにあやされております、私。
そのうちポチとか命名されそうで怖い……。

ひとしきり泣いた後で

「国に帰りたいか?」
いつもとは違う、少し低いトーンでミシェル様が囁きました。

それはこの腕の温もりと相反する願い。
知らず体が強張りました。

「まあ、お前の祖国と目と鼻の先にあるこの場所は、
お前にとっては酷だということは私にも理解できる」

闇に沈む針葉樹の森の向こうにある、祖国サイファリアを
ゼノア様のダークアッシュの瞳が無機質に眺めました。

「だがな、覚えておけ。私はお前を離しはしない。
それはお前の意志ではない、決定権は私にある」

耳に落ちる残酷な言葉とは裏腹に、
どうしてこの人の抱擁はこうも優しいのでしょうか。

「ひどいですね、ミシェル様は……。映画や小説に出てくるいい男っていうのは、
決まってこういう時に『お前の望むようにしろ』っとかって、
恰好つけて言うのに」

恨みがましくそう言うと、ミシェル様がキっとこちらを睨みました。

「できるかーーーー!!!そんな芸当!
私は粘着質なんだ! しかも筋金入りのっ!
思い込んだら地獄の果てまで追いかけるタイプで
絶対にあきらめたりしない。
安西先生も三井君に言っているだろう!
『あきらめたら試合終了だよ』って、
だから私は絶対にあきらめない。
なんてったって、この私は身体は弱いがメンタルは無駄に強いからなっ!
友情であろうが愛情であろうが、徹底的に束縛しまくるぞ! 覚悟しとけ!!!
あっ、それから元カレとか一切受け付けないから。
同窓会にもついて行くぞ?」

面倒くささ全開のミシェル様に、うっかりと笑いがこみ上げてきました。

「あっはは……なんなんですか、それは……」

大泣きして、頭が空っぽになって、随分楽になったように思います。

「よし、ようやく笑ったな。じゃあそろそろタイ焼きを食べて帰るとするかな」

ほっとしたようにそういってミシェル様が歩き出しました。

そういえば私もお腹が空きました。
成長期ですから。

ミシェル様は私の手を離しませんでした。
だけどそのことにどこか安堵している自分がいて、戸惑いを覚えます。

売店の前に置かれたベンチでタイ焼きを食べながら、ふとミシェル様が呟きました。

「ごめんな。粘着気質で……。
私も多くは持っていないから、
大切だと思うものを失くすのが死ぬほど怖い」

そういってミシェル様は頭を私の肩口にもたせかけ、目を閉じました。
「だからお願い。傍にいて……」
ミシェル様の囁きが、甘く耳に落ちました。
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