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第五十五話影武者の言い分『ミシェルのセカンドキス』

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遠雷が音もなく時折光を発しては、
曇天の暗い空に尾を引いて消えていきます。

全神経を集中させて私たちは対峙しています。
同じ日の同じ時に生まれた、同じ顔を持つ双身の片割れに、
今私は刃を向けています。

それはとても不思議な感覚でした。

ゼノアを愛するということは、この身を愛することと同様で、
そのゼノアに対して今まで敵意というものを抱いたことがありませんでした。

双子というものは不思議なもので、語らずとも深い所で繋がっていて、
自然と相手を理解することができるのです。

そんな魂の片割れの腕に、私は既に太刀傷を与えてしまったのです。

灰色の景色の中で、その腕から滴る鮮血だけが、
やたらと鮮やかに視界に飛び込んできて、
私の神経を麻痺させていきます。

痛みに殺気立つゼノアの瞳が血走り、
また同時に怒りや悲しみに隠した私への慈愛が
駄々洩れになって、私の中に流れて来ます。

一瞬の静寂の後で、ゼノアの剣が私の間合いに入りました。
もとより力の差は歴然で、私がゼノアに敵うはずはありません。

なんとか剣でそれを受けますが、防一戦の消耗戦です。

「くっ!」

剣の重みがこの手を痺れさせ、徐々にその感覚がなくなってきました。

「今なら特別に許してやってもいい。
 お兄ちゃんに謝りなさい」

交えた剣の先で、ゼノアが小声で言いました。

「嫌ですっ!」

私も目を半眼にして言い返しました。
ゼノアのこめかみがピクピクと脈打っています。

「証としての役割はきちんと果たします。父上からの縁談の話も受けます。
 ですから、ミシェル様に危害を加えることだけはやめて下さい。
 このことを約束してくだされば、謝ります」

私の言葉にゼノアが目を細めました。

「よかろう、約束しよう。
 私はミシェルには危害を加えない」

私はその場に剣を置いて、膝をつきました。

「お前……」

ミシェル様が唖然とした表情で私を見つめておられます。

「申し訳……ありませんでした」

私は三つ指をついて、その場でゼノアに詫びました。

「分かればいいんだ、分かれば……」

そう言ってゼノアが手を差し出し、私を立たせました。
これが最後なんだと、自分に言い聞かせて私はミシェル様に向き直りました。

「さようなら、ミシェル様」

微笑んでそう言おうとしたのに、不覚にも涙がこぼれてしまいました。

「覚えておけっ! 私の心はお前と共にある。
 たとえお前がどこに行こうとしても私は必ずお前を連れ戻しに行くから」

ミシェル様は自分の首からネックレスを外して、私の首にかけました。
サファイアでしょうか、澄んだ青い宝石の周りを、ダイヤが縁どっています。

ゼノアがその宝石を凝視しました。

「これは我が国の秘宝。
 代々ライネル公国の王の正妃となるべき人に送られる品だ。
 そこの従者、いや、ゼノアの身内の者か。
 私はこの人を辱めるつもりはない。
 私は貴国を対等の同盟相手として、今この品をこの人に贈った。
 これはライネル公国から貴国の王女セシリア・サイファリアに対する
 正式な婚姻の申し入れである。
 親書を持ち帰り、この件をエリック王にお伝え願いたい」

ミシェル様が真っすぐにゼノアを見つめて、そう言いました。
ゼノアは歯を食いしばって、ミシェル様を睨みつけています。

そしてゼノアはその顔を隠す領巾を取りました。
ミシェル様の瞳が驚きに見開かれました。

「我が妹セシリア・サイファリアへの婚姻の申し入れ、確かに承った。
 だがこの件が国元で審議される期間は、
 セシリアは我が屋敷に連れ帰ることをご了承いただきたい」

ゼノアが少し目を細めてミシェル様を見ました。

「許可しよう」

ミシェル様もそう低く呟いて、ゼノアを見つめました。
そこに一瞬の静寂が漂います。

その後でミシェル様は私に向き直りました。

「セシリア」

ミシェル様にその名を呼ばれて、心臓が跳ねました。

「セシリア……。
 私は生まれて初めてお前の本当の名前を知り、そして呼んだ」

そういってミシェル様が私の頬に触れました。
冷たい指先とは裏腹に、その触れられた部分が強かに熱を持っています。

「その意味が分かるか?」

そう問われて私は下を向きました。

「私はずっとミシェル様を欺いておりました」

私はミシェル様を見ることができませんでした。
ただその頬にとめどなく涙が伝います。
 
「責めているのではない。嬉しいのだ」

そしてダークアッシュのミシェル様の瞳が
私を見つめたかと思うとその顔が近づいて来ました。

その長い睫毛が伏せられたかと思うと、唇が触れました。

「受け取れ、私のセカンドキスだ。
 そして理解しろ。これが私のお前への気持ちだ」

ぽかんと呆ける私の腕をゼノアが引っ張りました。

「ぐずぐずするなっ! 行くぞ」

そういって無理やり車に押し込められました。
走り去る車の中で、この目がミシェル様を追います。

そんな私の様子に、ゼノアが片手で額を覆いました。

「馬鹿か、お前はっ!
 魂の片割れであるお前の気持ちを俺が理解できないはずないだろう。
 その上で父の親書を預かったんだ。お前はなぜそのことが理解できない?
 お前たちの気持ちが純粋であればあるほど、その傷は深くなるのだぞ?」

となりに座るゼノアが私を思って涙を流しています。

人魚姫の命を助けるために、姉たちは魔女に
その美しい髪を差し出したのだといいます。

「ごめんなさい。ごめんなさい。お兄様……」

私はゼノアの胸の中で泣きじゃくりました。

「お前はアホだ。絶対にアホだ……。
 だけど今はお前のミシェルを愛する気持ちが痛いほどわかってしまって、
 この俺としたことが、お前たちを引き裂くことに躊躇いを覚えてしまう」

私を抱くゼノアの腕が微かに震えています。
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