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第五十七話わがまま王子の奮闘記『父の古傷』
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ライネル公国の西方に位置する豪雪地帯を、山陰と呼ぶ。
冬場はほぼ雪に閉ざされるその場所に、王家の修行場がある。
アレックのバイクから降りたミシェルは剣を持って道場に入った。
石畳の敷き詰められたその場所は、身体の芯を凍えさせるような冷気を発している。
吐息が白く凍てつき、明り取りの格子窓に霜柱が立っている。
ミシェルはジャージに着替えて、その場所に立った。
そしてセシリアの剣術をイメージする。
今思えば、セシリアは女としてのハンデゆえに、
剛の剣を振るう事ができなかったのであろう。
彼女の剣は柔の剣であり、敵の攻撃を受け流し、
すかし、的確に相手の急所を突く、
そんな鮮やかな剣であった。
か弱き女の身でありながら、あれほどの剣技を身につけるには一体どれほどの
血の滲むような努力を強いられたのか。
ミシェルの瞳に痛みが過る。
『私はミシェル様を欺いておりました』
そういって涙を流すセシリアの姿が、ミシェルの脳裏から離れない。
秘密を抱え、男として生きなければならない、
それは彼女にとってどれほどの心の負担であったのか。
それでもいじらしいほどに周囲には気丈に振舞い、優しく接し、
その反面、私の前ではよく泣いていた。
(この腕にお前を抱きしめたなら、もう二度と離さないものを)
ミシェルの中にツンとした甘い思いがこみ上げる。
彼女を取り巻くすべてのものから、
守ってやりたいと思う。
その為の力をミシェルは今、心の底から欲している。
白薔薇の毒に犯されたセシリアの姿を思い出し、
ミシェルは拳をきつく握りしめた。
(私はもう二度と、お前をあのような目に合わせはしない)
ミシェルは剣を握りしめ、空を切る。
(お前を守るためならば、私は修羅にでもなろう)
剣が唸った。
◇◇◇
王家の修行場よりももっと山頂のほうに、王家所有の山荘がある。
ミシェルは部屋に着くと、そのベッドの上に倒れ込んだ。
もう、靴紐を解く気力さえ残っていない。
膝が笑い、軽く死相が出ている。
(キツかった……まじでキツかった……)
それほどに、父アレックの指導がきつかったのである。
幼少期から剣豪といわれる家庭教師に手ほどきを受けてはいたが、
その誰よりも、くらべものにならないほどにアレックの指導はきつかった。
一方でミシェルは父の技量の凄さを肌身をもって悟った。
それは身体の辛さとは裏腹に、ミシェルにとって誇らしくもあった。
剣を交えて、語り合う男同士の会話であり、
憧れであり、いつもとは違う父を知ることのできる貴重な機会であった。
「ああ、くっそっ! 起き上がれねぇっ!」
ミシェルはベッドの上で吠えた。
「悔しいっ!」
ミシェルはそう言って掌で顔を覆った。
口ではそう言いながらも、妙な爽快感がある。
白けた天井の明かりを見つめながら、ミシェルは父を思う。
(これだけの力量を持った人が、ずっと私の傍にいてくれたって
実は凄いことじゃないのか?
どうしてこの人は母ではなく私の傍にいてくれたのだろう)
ミシェルは少し不思議に思った。
(ひょっとして、私の傍にいるために父は王配であることを表沙汰にせず、
私の執事のふりをしていたのだろうか)
そう思ったときに部屋をノックする音が聞こえた。
「ミシェルく~ん、お風呂一緒に行かない?」
ミシェルはノロノロと身体を起こして、ドアを開けた。
「ここの山荘の大浴場は、天然温泉でね、
なかなかのものですよ?」
父アレックは浴衣姿で、戦闘道具ではなく銭湯道具を一式持ってきていた。
氷点下にもかかわらず、もうこれ以上汗が出ないという程の運動量だったので、
ミシェルも風呂に入りたいのは山々だった。
身体はきつかったが、ミシェルもアレックとともに大浴場に行くことにした。
そういえば、父と一緒に風呂に入るのはこれが初めてだ。
浴衣を脱いだ父の身体が凄い。
鋼のような筋肉に、全身古傷だらけだ。
「お父さん……それって……」
ミシェルの視線がその古傷にくぎ付けになった。
「ああ、これ、気になっちゃいますよね。
こんなことならレーザー治療で消しておけば良かったですね」
ミシェルの視線に、アレックが一瞬気まずそうな顔をした。
「レーザー治療とかそういうことじゃなくって、
それだけの傷をあなたはその身体に負ったってことでしょう?
一体、いつ、どこでそんな深手を……」
ミシェルの瞳が心配そうにアレックを見つめた。
「そんな顔をしなくていい。
私はちゃんと生きてお前の傍にいるだろう?」
そういってアレックはミシェルに微笑み、その頭をクシャッと撫でた。
「だけど、お父さん、あなたが話してくれないと、
私はあなたのことを知ることが出来ません。
あなたが父であるということも、知ったのはごく最近で……」
ミシェルの瞳が哀しみに揺れるのを見て、
アレックがミシェルを抱きしめた。
「ごめん、ミシェル。ちゃんと話そう。
だけどお前は何も心配しなくていいんだよ」
アレックのミシェルに向けられる微笑みはいつも優しい。
しかしその優しさは、アレックの強さに裏打ちされたものなのだと、
ミシェルは思う。
その微笑みに隠された、無数の傷の意味を今夜自分は知るのだろう。
ミシェルはその眼差しを真っすぐに父に向けた。
冬場はほぼ雪に閉ざされるその場所に、王家の修行場がある。
アレックのバイクから降りたミシェルは剣を持って道場に入った。
石畳の敷き詰められたその場所は、身体の芯を凍えさせるような冷気を発している。
吐息が白く凍てつき、明り取りの格子窓に霜柱が立っている。
ミシェルはジャージに着替えて、その場所に立った。
そしてセシリアの剣術をイメージする。
今思えば、セシリアは女としてのハンデゆえに、
剛の剣を振るう事ができなかったのであろう。
彼女の剣は柔の剣であり、敵の攻撃を受け流し、
すかし、的確に相手の急所を突く、
そんな鮮やかな剣であった。
か弱き女の身でありながら、あれほどの剣技を身につけるには一体どれほどの
血の滲むような努力を強いられたのか。
ミシェルの瞳に痛みが過る。
『私はミシェル様を欺いておりました』
そういって涙を流すセシリアの姿が、ミシェルの脳裏から離れない。
秘密を抱え、男として生きなければならない、
それは彼女にとってどれほどの心の負担であったのか。
それでもいじらしいほどに周囲には気丈に振舞い、優しく接し、
その反面、私の前ではよく泣いていた。
(この腕にお前を抱きしめたなら、もう二度と離さないものを)
ミシェルの中にツンとした甘い思いがこみ上げる。
彼女を取り巻くすべてのものから、
守ってやりたいと思う。
その為の力をミシェルは今、心の底から欲している。
白薔薇の毒に犯されたセシリアの姿を思い出し、
ミシェルは拳をきつく握りしめた。
(私はもう二度と、お前をあのような目に合わせはしない)
ミシェルは剣を握りしめ、空を切る。
(お前を守るためならば、私は修羅にでもなろう)
剣が唸った。
◇◇◇
王家の修行場よりももっと山頂のほうに、王家所有の山荘がある。
ミシェルは部屋に着くと、そのベッドの上に倒れ込んだ。
もう、靴紐を解く気力さえ残っていない。
膝が笑い、軽く死相が出ている。
(キツかった……まじでキツかった……)
それほどに、父アレックの指導がきつかったのである。
幼少期から剣豪といわれる家庭教師に手ほどきを受けてはいたが、
その誰よりも、くらべものにならないほどにアレックの指導はきつかった。
一方でミシェルは父の技量の凄さを肌身をもって悟った。
それは身体の辛さとは裏腹に、ミシェルにとって誇らしくもあった。
剣を交えて、語り合う男同士の会話であり、
憧れであり、いつもとは違う父を知ることのできる貴重な機会であった。
「ああ、くっそっ! 起き上がれねぇっ!」
ミシェルはベッドの上で吠えた。
「悔しいっ!」
ミシェルはそう言って掌で顔を覆った。
口ではそう言いながらも、妙な爽快感がある。
白けた天井の明かりを見つめながら、ミシェルは父を思う。
(これだけの力量を持った人が、ずっと私の傍にいてくれたって
実は凄いことじゃないのか?
どうしてこの人は母ではなく私の傍にいてくれたのだろう)
ミシェルは少し不思議に思った。
(ひょっとして、私の傍にいるために父は王配であることを表沙汰にせず、
私の執事のふりをしていたのだろうか)
そう思ったときに部屋をノックする音が聞こえた。
「ミシェルく~ん、お風呂一緒に行かない?」
ミシェルはノロノロと身体を起こして、ドアを開けた。
「ここの山荘の大浴場は、天然温泉でね、
なかなかのものですよ?」
父アレックは浴衣姿で、戦闘道具ではなく銭湯道具を一式持ってきていた。
氷点下にもかかわらず、もうこれ以上汗が出ないという程の運動量だったので、
ミシェルも風呂に入りたいのは山々だった。
身体はきつかったが、ミシェルもアレックとともに大浴場に行くことにした。
そういえば、父と一緒に風呂に入るのはこれが初めてだ。
浴衣を脱いだ父の身体が凄い。
鋼のような筋肉に、全身古傷だらけだ。
「お父さん……それって……」
ミシェルの視線がその古傷にくぎ付けになった。
「ああ、これ、気になっちゃいますよね。
こんなことならレーザー治療で消しておけば良かったですね」
ミシェルの視線に、アレックが一瞬気まずそうな顔をした。
「レーザー治療とかそういうことじゃなくって、
それだけの傷をあなたはその身体に負ったってことでしょう?
一体、いつ、どこでそんな深手を……」
ミシェルの瞳が心配そうにアレックを見つめた。
「そんな顔をしなくていい。
私はちゃんと生きてお前の傍にいるだろう?」
そういってアレックはミシェルに微笑み、その頭をクシャッと撫でた。
「だけど、お父さん、あなたが話してくれないと、
私はあなたのことを知ることが出来ません。
あなたが父であるということも、知ったのはごく最近で……」
ミシェルの瞳が哀しみに揺れるのを見て、
アレックがミシェルを抱きしめた。
「ごめん、ミシェル。ちゃんと話そう。
だけどお前は何も心配しなくていいんだよ」
アレックのミシェルに向けられる微笑みはいつも優しい。
しかしその優しさは、アレックの強さに裏打ちされたものなのだと、
ミシェルは思う。
その微笑みに隠された、無数の傷の意味を今夜自分は知るのだろう。
ミシェルはその眼差しを真っすぐに父に向けた。
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