わがまま王子の取扱説明書

萌菜加あん

文字の大きさ
66 / 72

第六十六話お兄様は心配性『父の決断』

しおりを挟む
(狒々爺がっ……)

ゼノアは内心毒づいた。

「これはセシリア様もお手柄でございますねぇ、
 よもやライネル公国の王太子を手玉に取られるとは。
 まだまだ幼いと思っておりましたが、なんのなんの。
 一体どんな睦言を閨房で囁かれたのやら」

大臣のひとりが下卑た笑い声を上げた。
つられて他の者たちも忍び笑いを漏らす。 

父王の御前で行われている会議の議題は、
ライネル公国の王太子、ミシェル・ライネルから、
サイファリア国王の娘、セシリア・サイファリアへの
求婚についてだった。

薄い綾絹の隔たりの向こうに、玉座が据えられており、
父、エリック王が鎮座している。

その隔たりから、父王の輪郭は見えても、
表情を伺い知ることは出来ない。

自身の娘がこうして家臣たちの戯言によって
貶められている今この時、綾絹の向こうで
父王は一体どんな表情をしているのだろうか。

ふとそんな疑問が過ったが、
ゼノアは強いて知りたいとは思わなかった。

知ったからといってどうなるものでもないし、
いや、正直知るのが恐いのかもしれない。

自身のやるせない思いを持て余して、
ゼノアは視線を窓の外に移した。

師走に振る氷雨は、身体の芯まで凍てつかせる。
ゼノアは不意にセシリアに切られた腕が痛むような気がした。

それはひょっとすると自身の痛みというよりは、
セシリアの心の痛みなのかもしれないと
ゼノアは思った。

鉛色の空から降りてくる氷雨は、随分残酷なんだなと
ゼノアは思う。

庭園に植えられている健気な和花を痛めつけては、
パラパラと音を立てて、四方に散っていく。

(これが雪ならば、まだ風情があるものを)

ゼノアは悲し気な笑みを浮かべた。

氷雨に打たれ続けた紅の寒椿が、とうとう耐え切れず
その花を地に落とした。

ゼノアはその光景にセシリアを重ねて、唇を噛みしめた。

(父王が何と言おうが、誰がお前の敵であろうが、
 この俺が必ずお前を守る)

握りしめたゼノアの拳が震えている。

同時にゼノアの脳裏にエリオットの姿が過る。

『あなたのその傷を見て、
 この心がどれだけ乱れているかわかる?』

そういってエリオットはゼノアの背中で泣いていた。

この身を盾にしなければ、守れないものがある。
自分がそういう風にしか生きることのできない
修羅の運命であることは、よくよく理解していたはずなのに。

自分は一人の人を愛してしまった。
それをきっと人は罪というのだろう。

彼女の望むささやかな幸せというものを、
自分は与えてはやれない。

戦って、戦って、やがて力尽きて、冷たい躯となり果てる。

そういう運命なのだ。
だって仕方がないだろう?

四方八方を敵に囲まれて
一体誰が自分たちを守ってくれるというのだ?

ゼノアの唇に自嘲がこみ上げた。

この手を血に染めずに、
お前を抱きしめることができない俺の、
救いはどこにある?

こみ上げてくる感傷を振り払うかのようにゼノアは唇を噛んだ。

「セシリア様には是非ともライネル公国に嫁いでいただき、
 我が国の利権をと守っていただかなくては。
 セシリア様の婚姻に乗じて、わが国は甘い汁を吸い尽くしてやりましょうぞ」

先程の大臣が、そう発言すると、

「いや、貴殿の考えは甘いっ!
 憎きライネル公国との婚姻などあり得ないっ!
 サナ姫様の一件を忘れたか?!
 セシリア様との婚姻を足掛かりに、
 我国がライネル公国の属国とされることは必至!
 それよりも今こそ女王ロザリアと
 王太子ミシェルを暗殺するべきでは?」

などという物騒な反対意見が出た。

どちらにしても、それはセシリアの望むものではない。

セシリアはミシェルに危害を加えないことを前提に
自身の婚姻の話を受けることを承諾した。

セシリアはミシェルのことを愛している。

セシリアの抱く不器用であっても、
ひたすらに一途で、一生懸命に純粋なその思いを
どうか利害関係とか、国益とか、そんな無粋なもので
汚さないでやって欲しい。

ゼノアの胸に祈りにも似た想いがこみ上げた。

誰よりも一途に健気に咲く、
その一輪の花をどうか踏みにじらないでやって欲しい。

ゼノアは自身を制するために、目を閉じて息を吸った。

自分のことを棚に上げて、言えた義理ではないが、
自分たちはそもそも誰かを愛してはいけないのだ。

そして綾絹を一枚隔てた向こうで、そんな自分たちのことを見ている
父王はきっとそういう愛し方のできる人なのだろう。

この人に愛というものがないわけではない。
それは穏やかに家族を包み、この国を包んでいる。

しかしこの人にも傷がある。

かつて命を懸けて愛した人を奪われたこの人は、
その愛と引き換えに、きっとそういう愛し方を手に入れたのだろう。

それは誰かを傷つけない愛なのかもしれない。
しかし同時にそれは誰をも守ることのできない愛だ。

父よ、いまこの綾絹を一枚隔てたあなたの愛が、ひどく遠いと感じるんだ。
あまりにも遠くて自分たちには、届かない。

ゼノアの胸に痛みが過り、下を向いた。

「あなたがたの意見はよくわかりました。
 それを踏まえた上で、私はこの件を
 破談とさせていただきます」

それは静かだが強い意志のこもった声色で、
ゼノアはしばし自身の耳を疑った。

「お父……様?」

思わずそう呟いてしまったゼノアの瞳が、驚きに見開かれている。

(父はセシリアを守ったんだ……)

 

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました

美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?

悪役令嬢の末路

ラプラス
恋愛
政略結婚ではあったけれど、夫を愛していたのは本当。でも、もう疲れてしまった。 だから…いいわよね、あなた?

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

完璧(変態)王子は悪役(天然)令嬢を今日も愛でたい

咲桜りおな
恋愛
 オルプルート王国第一王子アルスト殿下の婚約者である公爵令嬢のティアナ・ローゼンは、自分の事を何故か初対面から溺愛してくる殿下が苦手。 見た目は完璧な美少年王子様なのに匂いをクンカクンカ嗅がれたり、ティアナの使用済み食器を欲しがったりと何だか変態ちっく!  殿下を好きだというピンク髪の男爵令嬢から恋のキューピッド役を頼まれてしまい、自分も殿下をお慕いしていたと気付くが時既に遅し。不本意ながらも婚約破棄を目指す事となってしまう。 ※糖度甘め。イチャコラしております。  第一章は完結しております。只今第二章を更新中。 本作のスピンオフ作品「モブ令嬢はシスコン騎士様にロックオンされたようです~妹が悪役令嬢なんて困ります~」も公開しています。宜しければご一緒にどうぞ。 本作とスピンオフ作品の番外編集も別にUPしてます。 「小説家になろう」でも公開しています。

兄様達の愛が止まりません!

恋愛
五歳の時、私と兄は父の兄である叔父に助けられた。 そう、私達の両親がニ歳の時事故で亡くなった途端、親類に屋敷を乗っ取られて、離れに閉じ込められた。 屋敷に勤めてくれていた者達はほぼ全員解雇され、一部残された者が密かに私達を庇ってくれていたのだ。 やがて、領内や屋敷周辺に魔物や魔獣被害が出だし、私と兄、そして唯一の保護をしてくれた侍女のみとなり、死の危険性があると心配した者が叔父に助けを求めてくれた。 無事に保護された私達は、叔父が全力で守るからと連れ出し、養子にしてくれたのだ。 叔父の家には二人の兄がいた。 そこで、私は思い出したんだ。双子の兄が時折話していた不思議な話と、何故か自分に映像に流れて来た不思議な世界を、そして、私は…

借金まみれで高級娼館で働くことになった子爵令嬢、密かに好きだった幼馴染に買われる

しおの
恋愛
乙女ゲームの世界に転生した主人公。しかしゲームにはほぼ登場しないモブだった。 いつの間にか父がこさえた借金を返すため、高級娼館で働くことに…… しかしそこに現れたのは幼馴染で……?

処理中です...