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③計画
九九式艦上攻撃機
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双発艦攻の開発に目途が経ったと確信した山本は海軍大臣の米内光政を通じて③計画を若干修正。
陸攻や艦爆、艦攻などを調達するための資金を全て、この双発艦攻につぎ込むことにしたのだ。
実際、いまだ制式化されていないのにも関わらず、フライング的に十一試艦攻の製造は始まっている。
だが、空技廠としては改善するべき点もあった。
最も大きいのは翼内燃料タンクである。
試作機ではフェルト材で覆うだけだったが、量産機ではゴム膜を持ってこれを保護しようと考えていた。
そうすると若干航続距離は下がるが、その分被弾時の生存性が向上する。
だが、日本の石油加工技術はお世辞にも高いとは言えず和田は”できれば国産品のゴムで…”と考えていたが、量産開始がずれ込む方が問題であり、当座の間に合わせとしてアメリカから輸入したゴムを使用することとした。
燃料タンクをゴム膜で覆った試作機は1938年11月2日に初飛行。
そこからたっぷり2か月の間に各種試験を行って、年が明けた1939年1月12日に九九式艦上攻撃機として制式採用された。
九九式艦上攻撃機二一型
最高速度:時速552㎞
武装:12.7㎜旋回連装機銃1挺、12.7㎜機銃1挺
翼面荷重:200㎏/㎡
プロペラ:直径3.42mが3枚
搭乗数:4人
搭載能力:500㎏爆弾1発(急降下)/250㎏爆弾2発(急降下)/800㎏航空魚雷1本/800㎏爆弾1発/250㎏爆弾3発/60㎏爆弾12発
航続距離:時速400㎞で1400海里(増槽装備時1600海里)
全長:12.16m
全幅:16.90m(折り畳み時8.96m)
本機採用と同時に1500馬力を発揮する火星一一型が制式に採用され、これを搭載したために速度性能が向上した。
また、翼内燃料タンクをゴム膜で覆った型を二一型とし、先行生産されていた機体を一一型とした。
一一型の生産を急いでいた理由は、中国戦線へ投入するためであった。
1938年当時、日本軍は武漢三鎮を陥落させるのに躍起になっておりこの双発艦攻を攻略戦に役立てようと考えていたのである。
制空権は日本軍が掌握していたため、ほとんど被弾を気にする必要が無かったことも一一型のフライング生産を可能とした。
結果的には先行量産された63機が海を渡り、武漢を猛爆撃。
これを陥落させるのに一役買っていた。
陸攻としても十分な航続距離を見せたのである。
ただ、やはり防護機銃は改善の余地があり中国空軍相手であったから12.7㎜でも事足りたが、欧米列強とよもや戦争となった際には力不足かもしれなかった。
だが、何はともあれ双発艦攻の開発は完了したのである。
陸攻や艦爆、艦攻などを調達するための資金を全て、この双発艦攻につぎ込むことにしたのだ。
実際、いまだ制式化されていないのにも関わらず、フライング的に十一試艦攻の製造は始まっている。
だが、空技廠としては改善するべき点もあった。
最も大きいのは翼内燃料タンクである。
試作機ではフェルト材で覆うだけだったが、量産機ではゴム膜を持ってこれを保護しようと考えていた。
そうすると若干航続距離は下がるが、その分被弾時の生存性が向上する。
だが、日本の石油加工技術はお世辞にも高いとは言えず和田は”できれば国産品のゴムで…”と考えていたが、量産開始がずれ込む方が問題であり、当座の間に合わせとしてアメリカから輸入したゴムを使用することとした。
燃料タンクをゴム膜で覆った試作機は1938年11月2日に初飛行。
そこからたっぷり2か月の間に各種試験を行って、年が明けた1939年1月12日に九九式艦上攻撃機として制式採用された。
九九式艦上攻撃機二一型
最高速度:時速552㎞
武装:12.7㎜旋回連装機銃1挺、12.7㎜機銃1挺
翼面荷重:200㎏/㎡
プロペラ:直径3.42mが3枚
搭乗数:4人
搭載能力:500㎏爆弾1発(急降下)/250㎏爆弾2発(急降下)/800㎏航空魚雷1本/800㎏爆弾1発/250㎏爆弾3発/60㎏爆弾12発
航続距離:時速400㎞で1400海里(増槽装備時1600海里)
全長:12.16m
全幅:16.90m(折り畳み時8.96m)
本機採用と同時に1500馬力を発揮する火星一一型が制式に採用され、これを搭載したために速度性能が向上した。
また、翼内燃料タンクをゴム膜で覆った型を二一型とし、先行生産されていた機体を一一型とした。
一一型の生産を急いでいた理由は、中国戦線へ投入するためであった。
1938年当時、日本軍は武漢三鎮を陥落させるのに躍起になっておりこの双発艦攻を攻略戦に役立てようと考えていたのである。
制空権は日本軍が掌握していたため、ほとんど被弾を気にする必要が無かったことも一一型のフライング生産を可能とした。
結果的には先行量産された63機が海を渡り、武漢を猛爆撃。
これを陥落させるのに一役買っていた。
陸攻としても十分な航続距離を見せたのである。
ただ、やはり防護機銃は改善の余地があり中国空軍相手であったから12.7㎜でも事足りたが、欧米列強とよもや戦争となった際には力不足かもしれなかった。
だが、何はともあれ双発艦攻の開発は完了したのである。
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