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始まり
呉にて
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「とても軽空母には見えんほど大きいな…」
そうあっけらかんに話すのは1941年10月付で第六航空戦隊司令長官に就任した大西瀧次郎少将であった。
彼は今、タグボートに乗って自らの旗艦を海上から見上げていた。
「この伊吹はなんたって最新の軽空母ですからね。お古の瑞鳳とはまるで違いますよ」
そう応えるのは参謀長である加来止夫大佐である。
剛毅な性格で大西とウマが合う。
「お古か…時流は早いものだな」
彼らがそう話しているとタグボートが伊吹に到着した。
伊吹はマル急計画によって1940年4月に建造が始まった軽空母である。
伊吹型軽空母の長女であり、およそ1年6カ月の建造期間を経て竣工した。
なかなかに早いがこれには理由がある。
そもそも、マル急計画自体が1940年1月に行われた図上演習において、アメリカ軍航空隊の練度を日本側と同等とした際の結果を受けての物だった。
結果を言うと、日本海軍はアメリカ太平洋艦隊と戦うと”8隻の空母を失う!”とされたのである。
8隻と言うのは赤城、加賀、蒼龍、飛龍、瑞鳳、祥鳳、そして現在建造中の翔鶴、瑞鶴である。
日本海軍のすべての空母が吹き飛ぶのである。
一応、アメリカ側も10隻の空母を失うとされたがアメリカの工業力は底知れず、10隻程度なら大した損害ではないと考えられた。
そこで、海軍は計画していた④計画を凍結し急遽、マル急計画を策定。
日本海軍としてはこの8隻の穴を埋めたいため、ちょうど8隻を建造することになる。
だが、翔鶴型空母のように大型かつ高性能では時間と労力がかかりすぎる。
そこで、日本海軍は2種類の空母を建造することと定めた。
それが改飛龍型空母と改最上型空母であった。
改最上型空母に関しては船体を最上型から流用するためである。
こうしてマル急計画は進展し、1941年の年末から1942年の頭頃に相次いで竣工することとなっている。
「艦長、これからよろしく頼む」
伊吹の艦橋にて大西は出迎えてくれた伊吹艦長の阿部俊雄大佐に手を差し出す。
これに阿部は笑顔で応じた。
「こちらこそです。海軍航空の第一人者でもある大西さんが六航戦の司令なら一安心です」
そうにこやかに阿部は語って、これからの予定を話す。
「明日にはここを出て、徳山沖で筑波と合流する予定です。その後、佐世保で艦載機を受領し対馬沖で訓練を行う予定となっております」
大西はこういうことは頭に入れてきていたが、阿部の厚意を無下にすることは無くただ頷いたのである。
そうあっけらかんに話すのは1941年10月付で第六航空戦隊司令長官に就任した大西瀧次郎少将であった。
彼は今、タグボートに乗って自らの旗艦を海上から見上げていた。
「この伊吹はなんたって最新の軽空母ですからね。お古の瑞鳳とはまるで違いますよ」
そう応えるのは参謀長である加来止夫大佐である。
剛毅な性格で大西とウマが合う。
「お古か…時流は早いものだな」
彼らがそう話しているとタグボートが伊吹に到着した。
伊吹はマル急計画によって1940年4月に建造が始まった軽空母である。
伊吹型軽空母の長女であり、およそ1年6カ月の建造期間を経て竣工した。
なかなかに早いがこれには理由がある。
そもそも、マル急計画自体が1940年1月に行われた図上演習において、アメリカ軍航空隊の練度を日本側と同等とした際の結果を受けての物だった。
結果を言うと、日本海軍はアメリカ太平洋艦隊と戦うと”8隻の空母を失う!”とされたのである。
8隻と言うのは赤城、加賀、蒼龍、飛龍、瑞鳳、祥鳳、そして現在建造中の翔鶴、瑞鶴である。
日本海軍のすべての空母が吹き飛ぶのである。
一応、アメリカ側も10隻の空母を失うとされたがアメリカの工業力は底知れず、10隻程度なら大した損害ではないと考えられた。
そこで、海軍は計画していた④計画を凍結し急遽、マル急計画を策定。
日本海軍としてはこの8隻の穴を埋めたいため、ちょうど8隻を建造することになる。
だが、翔鶴型空母のように大型かつ高性能では時間と労力がかかりすぎる。
そこで、日本海軍は2種類の空母を建造することと定めた。
それが改飛龍型空母と改最上型空母であった。
改最上型空母に関しては船体を最上型から流用するためである。
こうしてマル急計画は進展し、1941年の年末から1942年の頭頃に相次いで竣工することとなっている。
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そうにこやかに阿部は語って、これからの予定を話す。
「明日にはここを出て、徳山沖で筑波と合流する予定です。その後、佐世保で艦載機を受領し対馬沖で訓練を行う予定となっております」
大西はこういうことは頭に入れてきていたが、阿部の厚意を無下にすることは無くただ頷いたのである。
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