悪女がお姫さまになるとき

藤雪花(ふじゆきはな)

文字の大きさ
3 / 72
第一章 満月と新月の夜

第2話 異質な男

しおりを挟む
 砂浜に打ち寄せる穏やかな波の音に、風鈴の音のような、リーンという涼やかな音が混ざる。
 その音は頭蓋骨内部に響く。
 いつから、そしてどこから聞こえてくるのだろうか。
 もしかして、目を覚ましたときから聞こえていたのかもしれなかった。
 潮の匂いを意識しなければ、その香りに嗅覚がなじんでしまっていて、意識しなければ気が付かないようなものだ。

 ずるずると地を這いながら足元をすり抜けるような気配があり、悲鳴が喉をついた。

「蛇!?」

 本当のところ、暗がりの中で正体はわからない。
 海辺に生息する何か得体のしれないモノが闇の中に潜んでいて、わたしを驚かせてその反応を見て遊んでいるのか。
 はじめて恐怖を覚えた。
 すぐ先の、黒々とした嵩低い草木の茂みからわたしに向かって声がかかる。
 

「……〇×□〇、△■!」

 耳がおかしくなったのか、恐怖のせいなのか。
 言葉の音をつかみきれない。
 だけどその言葉のいわんとするところはわかる。

 お前は誰だ、どうしてここにいる、立ち去れ!

 とでもいうような、不審者を威嚇する男の声。
 ここは禁猟区で、わたしは踏み入れたらいけないところに立ち入ってしまっているのか。

 わたしは気迫に押されてにじり下がった。
 革靴の底にたまった水が厚手の靴下と足指の間でたぽんと揺れる。

 闇のなかから舌打ちとともに、不意に明かりがともされた。
 闇に慣れ始めた目にはまぶしすぎた。
 何度も瞬きをしながら指の間から見た。
 わたしを照らすのは懐中電灯ではなかった。
 野外キャンプに使うようなランタンを手に下げた男が、闇のなかからくっきりと浮かび上がっていた。

 その男を、シャツにジーパン姿をなんとなく想像していたわたしは、頭から体を覆うマントですっぽりと覆われた異様な風体に、入ってはいけないと知らなかったのです、すみません、ここはどこですか、とか助けてくださいとかなんとか、とっさにいうべき言葉をすっぽりと失念してしまった。

 何よりもわたしをたじろがせたのは、外国人の風貌である。
 鼻梁がくっきりとしていて、青黒い水晶のような目は険しく、肌は余分な色素が抜かれたように白い。
 スクリーン越しであればうっとりと眺めたくなる眉目秀麗な容貌。
 日本にも観光客の外国人はいつでもいるし、漫画にでてくる旅人風のマントを羽織ったコスプレ好きもどこにでもいるのに、わたしはまるで、日本ではなくて、目覚めたら別世界にいるかのように思えたのだ。
 鋭い視線が改めてわたしの足先から顔に上がっていく。
 わたしが男を異質だと思っているように、男も同様にわたしの様子に驚いているようだった。


「ラ イマーム ジャディーン 〇△△□、ラーララソ、□×ハ□!!*、アルメリア、レラソ、ジュリア、●□簡%!△■……、……チッ」

 英語でもドイツ語でもなく、わたしの知らない言語を口にする。
 わたしを驚かせないように、探るような、なだめるような低音である。
 手の届きそうなところで足を止めた。
 男がそれ以上近づこうとしてもわたしは同じだけ後ろに下がるから、それ以上近づいても無駄だった。

 最後はまた舌打ちである。
 言葉の響きやその顔立ちほどには上品な男ではないようである。
 わたしがまったく言葉を理解していないことにイラついていた。

 こんなわけのわからない状況で、わけのわからない理由で異様な恰好をした外国人に、言葉が通じないからといって一方的に腹を立てられたわたしも、怒りがこみ上げる。

 そもそも全身濡れそぼって、肩までの髪の毛から、とめどなく水が滴るのが気持ち悪い。
 鋭い視線がわたしの顔から離れないのも気持ち悪い。
 不可解で不可思議な状況に、この男の登場でさらに不可解さの厚みが増している。

 男は懐に手をいれてごそごそと探り、何かをゆっくりと引き出した。
 その指先には青く発光する第一関節ほどの大きさの何かがつままれていた。
 赤(ルビー)やら青(サファイア)やら黄色(トパーズ)やらの輝石の指輪が悪趣味にもどの指にもはまっている。

 わたしの目を用心深く見つめながら、自分で自分の口の中に入れるふりをして、手を差し伸ばして動きを止める。どことなく必死さが伝わる。
 万国共通のジェスチャーである。 

「受け取って、それを食べろっていうの?初めて会って、一番にそれ?」
「●△□」

 男は何かいいながら頷いた。
 わたしの言葉が理解できているようだった。
 わたしは受け取ろうと手をのばすと、安堵の表情が男の顔に浮かぶ。
 
「ねえ、その青い菓子?は相当やばいものでしょう?それを食べたら、気を失うか、抵抗することができなくなるんじゃないの?」
 
 言葉とは裏腹に、微笑んでみせた。
 男の手の緊張が緩み、わたしの笑みに引くついた笑みを返そうとした。
 それで、日本語を理解しているわけではないことがわかった。
 彼も声の調子からわたしの言葉を推測しているだけである。
 差し伸ばされた手を手力で力いっぱいなぎ払った。
 青い菓子が宙を飛ぶのもかまわない。

「□!@55!!(ああ、このバカ!何をするんだ!貴重なものなのに!)」

 男は焦って叫んだ。

「馬鹿なのはそっちでしょ。夜中に一人でコスプレしている怪しいヤツから差し出されたものを、ありがとうって口にするはずないじゃない!前後不覚に陥っている間に、犯されて、まわされて、閉じ込められて、身代金を請求されて、殺されて、内臓売られて、どこぞの湾にコンクリ詰めにされて沈められるのがオチではないの!それから、あんたわたしの好みの顔よ!!」


 海とは逆方向の、闇の中へと走り出した。
 足が足首まで砂にのめり込んでも必死で足を運ぶ。
 海から見た家の明かりの方向を見当づけた。
 無我夢中とはこのことだ。
 砂地は固くなり、イラクサが生い茂る。
 森の中に入れば、足元は地面から張り出した根が蛇のようにくねり絡まり、足元が一層おぼつかなくなる。

 獣の咆哮が、ほうぼうから仲間の声に呼応するように聞こえてきた。
 背後にはマント男。
 森には肉食の獣。
 海には正体不明の蛇のような気配があって……。
 これってかなり、やばい状況じゃないの?

 獣か人か。
 二者択一だとしたら、生きたままはらわたを食われるよりも、男のいう通りにした方がよかったかなと若干後悔する。
 恰好だけが変なだけで、あの青い塊は違法薬物でもなくて、ただのミント飴だった可能性もある。
 それに、真夜中の海辺で出会わなければ、顔立ちはハリウッド俳優の少し影のある美男子の役どころが似合いそうな、いい男だった。
 あの男は、わたしの置かれた不可解な状況を、すぱっと解決してくれたかもしれなかった。
 
 首を振った。
 直感が告げる。
 あの男は異質な存在。
 本能的な危険を感じる。
 あいつから逃げて、誰か彼でない人に助けを求めるのが正解なのだ。

              
 どんな苦境でも必死にあがけば生き延びることができるはず。
 藤崎樹里は、体は頑丈。
 心も丈夫。
 何キロも冬の川を流されてもこの通り、生きているのがその証拠。

「あの変な男さえふりきったら何とかなるわよ!ここから逃げるのよ、頑張れ樹里!」

 わたし自身を鼓舞した。
 足を何かに引っ掛けた。
 冷たくてやわらかな感触。砂浜で感じた気配に似ている。
 巨大な蛇の胴体のようなもの。
 朽ちかけた木の根だったのかもしれないけれど。

 盛大に転んだ。
 地面に打ち付けた腕と膝が痛くてしびれた。


 がさりがさりと草を踏む音が近づいてくる。
 見なくてもわかる。
 あのコスプレ、イケメン男だろう。
 体を起こせなかった。
 もう逃げられない。

 わたしは再び気を失ったのである。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

はじめまして、私の知らない婚約者様

有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。 見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。 けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。 ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。 けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。 この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。 悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに? ※他サイトにも掲載しています。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

冷遇妃マリアベルの監視報告書

Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。 第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。 そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。 王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。 (小説家になろう様にも投稿しています)

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

思いを込めてあなたに贈る

あんど もあ
ファンタジー
ファナの母が亡くなった二ヶ月後に、父は新しい妻とその妻との間に生まれた赤ん坊を家に連れて来た。義母は、お前はもうこの家の後継者では無いと母から受け継いだ家宝のネックレスを奪うが、そのネックレスは……。

処理中です...