悪女がお姫さまになるとき

藤雪花(ふじゆきはな)

文字の大きさ
4 / 72
第一章 満月と新月の夜

第3話 キス

しおりを挟む
 子供たちが騒ぐ声がする。
 しかりつける女の声。
 近所の子供たちは休みの朝は早い。

 瞼をすかして朝日を感じ、頬が日差しを受けて温まって気持ちがよかった。
 深い眠りから覚めるときの独特のけだるさがまったりとまとわりついていた。
 このままベッドに抱かれるように沈み込んだまま、しあわせな夢の名残をいつまでも味わいまどろんでいたいと願う。

 扉が軋み誰かが部屋の中に入ってきた。
 父も母も弟も、わたしが寝ている間に部屋に入ってくることはない。
 急激に夢の世界から引き戻されていく。
 夢から覚めたくない自分と戦った。

「……□△●%^&」

 低く静かな言葉の響きに聞き覚えがあった。
 その音を捕まえようとしても明確に捕まえきれないところも、覚えのある感覚だった。
 不意に昨夜のことを思いだした。
 暗がりの中、やみくもに逃走しようとして、失敗したのだった。


 惰眠を貪る余裕などなかった。
 誰かが髪に触れる気配に、必死に瞼を開いた。
 清浄な朝の空気を大きく吸い込んだ。
 ベッドの横の椅子に座った男は、マントを羽織っていなかったが昨夜の男である。片側で三つ編みに編む銀色の髪が朝日に輝いて美しい。
日の光の元でみても、マント男は近寄りがたいほどの美貌である。

 男は目を細めてわたしの髪に触れ、何かをつぶやいている。
 一定のリズムで繰り返され、お経のようにも、怪しげな呪文のようにも思えた。

 わたしが目覚めたことに気が付くと、顔を寄せてきた。
 夜闇の中では濃い青い色の目だと思った色は、グレーがかった灰色の、氷のような冷たさを感じさせる色だった。
 男もわたしの瞳を覗き込む。その近さに心臓がどきりと跳ねた。

 男は何かきらりと青く光るものを口の中に含んだ。
 視線がわたしの口元に注がれる。
 まつ毛が長い。
 こんなに美しい男に出会ったことがなくて、思わず見とれてしまう。
 男がこれから何をしようとしているのか悟ったときには、唇を奪われていた。
 舌が侵入し歯の間をこじ開け、口内を探られる。
 舌を探し当てられ絡められた。

 突然のキスにわたしは慌てた。
 この美貌の男とキスしたい願望が自分にあったのか。
 夢だと思おうとしても、感覚が生々しすぎる。
 舌の奥に塊が押し込まれた。
 わずかな圧で塊は弾け、口内中にどろっとした甘いはちみつのようなものが広がった。
 そのまま飲みくだしてしまった。

「何を……」
「受け入れて、飲み込んで」

 押しのけようとした手首が掴まれ、頭を固定される。
 再び濃厚なキス。
 やわらかな唇は、たばこでがさついた厚い唇の貴文とは全く違った感触だった。
 このままだと窒息してしまう。
 そう思ったときようやく体を拘束する重みが解放される。

「いきなり何するのよ!し、心臓が……」

 爆発してしまう!
 同意なしのキスは、犯罪ではないか。
 男は顔を真っ赤にして唇をぬぐうわたしを、どこか冷めた目で見る。

「これで、君と話が通じることができるだろ?君と意志疎通ができないという状況をなんとかしなくてはならなかったから」
「言葉が通じている……?」
「風の魔力と俺の知識の言語能力を凝縮したものを君の体の中になじませるために、飲ませることが必要だった」
「昨夜、わたしに飲ませようとした青い菓子のようなものを?」
「その通りだ。君が乱暴な扱いをしたから砕けて散ってしまったから、もう一度作らなくてはならなくなった。魔力と時間の損害だよ」
「だからといって口移しで飲ませる必要ないじゃない」
「理由を説明するにも言葉が通じないだろ」
「ちょっと待って、言ってる意味がわからないわ!」

 男は淡い目で、改めてじっとわたしの目を見て意味がわからないというわたしの言葉の意味を図ろうとする。

「俺は君の言葉を理解できているのに、君が俺の言葉を理解できないなんて、そんな変則的な魔力の利き方などしないはずだが」
「表面上の言葉ではなくて、根本的なことがわからないのよ。冬が夏になったのはどうして?わたしは川に落ちて死んで、ここは死後の世界なのかしら?死後の世界に魔力があるなんて知らなかったわ。それともこれはすべて意識を失ったわたしが見ている、願望の世界なのかも」
「願望?」
「いい男と素敵なキスをしたいっていう……」

 男の手は肩までのわたしの髪に触れて指先で弄んでいる。
 無意識の挙措なのかもしれないと思った。
 わたしの顔をまぶしいもののようにみた。
 目をほそめて何度か瞬いた。
 だが、表情は冷たいままである。

「俺は光り輝く強い命を持った存在を探していた。満月の引き寄せる力を利用して呼びかけ、君を探して引き寄せた。はじめはうまくいったことがわからず、聖地に紛れ込んだヤツかと思ったが」
「呼びかけて異世界に引き寄せることができるなんて、信じられないわ。光り輝く強い存在と言われて悪い気持ちはしないけど」

「信じられないもなにも、青い玉を飲み込んで、言葉も理解できるようになっただろ?君の世界は魔力を利用できない世界なんだな。自然も社会の仕組みもこことはおそらく違うのだろう。体を起こせるのなら、一緒に視察に連れていってもいい。ここでの君の安全は俺がすべて責任をもつから、完全に安心してここにいたらいい」

 真剣な言い方にひとまず頷くと、男の肩の力が抜けるのがわかる。
 表情は冷たいが、わかりやすい男のようである。
 
「君の名前はなんていう?」
「藤崎樹里よ。樹里でいいわ」
「じゅり、だって?なるほど。じゅり、樹里……」

 男は口のなかで何度かつぶやいて転がしている。
 わたしの名前を味わっているようでこそばゆい。
 
「樹里殿。ここはアストリア国。俺は王宮お抱えの魔術師(イマーム)のシャディーン」
 シャディーンの顔が再び引き締まる。
 
「樹里殿、王からも正式にお願いすることになるだろうが、俺からもお願いする。どうか我が国を助けてほしい」
「助けるってわたしが?どうやって?それが終わったらわたしは元の世界にもどしてもらえるの?」
 
「帰りたければもちろん協力する。詳細は王城で伝えることになる。君に絶対に悪いことにはならないように配慮する」
「それは、本当にわたしにできることなの?」
「樹里にしかできないことだ」
「いやだとは言えないの?」
「言ってもいいが、そう決めるのは依頼内容を聞いてからにしてほしい」

 簡単な食事の後に、王城から迎えに来た騎士と合流する。
 中世の絵画に描かれた騎士のような防御の帷子を肩から胸にかけ直剣を腰に刷く姿に、本当に異世界に来たのだと感動を覚える。

 まさか小説や漫画のような話が自分の身に起こるとは思わなかった。
 自分の状況は、いわゆる異世界に召喚された聖女のようなものに分類されるのかもしれない。

 悪女のわたしがそんな窮地を助けるヒロイン役になるとは思わなかったのだけど。
 そしてもしかして、この冷たい表情の魔術師さまに愛されることもあるのだろうか?
 シャディーンでなければ王子さまに愛されるのかもしれない。
 自分都合の妄想が暴走し、思わず口元をだらしなく緩ませてしまう。
 

 完全に、安心してほしい。
 絶対に、悪いことにはならない。
 わたしにしか、できない。
 
 四択試験では絶対や全くなど断定の言葉は、間違いの選択肢だ。
 シャディーンは何度も口にする。
 それがかえって一抹の不安となる。
 喉の奥に小骨のように刺さったような不快さを、わたしはあえて無視したのだった。
 


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

はじめまして、私の知らない婚約者様

有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。 見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。 けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。 ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。 けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。 この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。 悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに? ※他サイトにも掲載しています。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

思いを込めてあなたに贈る

あんど もあ
ファンタジー
ファナの母が亡くなった二ヶ月後に、父は新しい妻とその妻との間に生まれた赤ん坊を家に連れて来た。義母は、お前はもうこの家の後継者では無いと母から受け継いだ家宝のネックレスを奪うが、そのネックレスは……。

婚約破棄された公爵令嬢ですが、戻らなかっただけです

鷹 綾
恋愛
王太子カイル殿下から、社交界の場で婚約破棄を言い渡された公爵令嬢リュシエンヌ。 理由は―― 「王太子妃には華が必要だから」。 新たに選ばれたのは、愛らしく無邪気な義妹セシリア。 誰もが思った。 傷ついた令嬢は泣き、縋り、やがて戻るのだと。 けれどリュシエンヌは、ただ一言だけ告げる。 「戻りません」 彼女は怒らない。 争わない。 復讐もしない。 ただ――王家を支えるのをやめただけ。 流通は滞り、商会は様子を見始め、焦った王太子は失点を重ねる。 さらに義妹の軽率な一言が決定打となり、王太子妃候補の座は静かに消えた。 強いざまあとは、叫ぶことではない。 自らの選択で、自らの立場を削らせること。 そして彼女は最後まで戻らない。 支えない。 奪わない。 ――選ばれなかったのではない。 彼女が、選ばなかったのだ。 これは、沈黙で勝つ公爵令嬢の物語。

処理中です...