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第四章 帝国の皇子
第23話 闖入者
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「アストリアに来るまでに、もう何度も打診をしています。こちらは段階を踏んでいこうとしているのですよ。むしろこちらがはぐらかされているのです。だからこうして強硬な手段を取らなくてはならなくなったのです。筋を通さないのはむしろ、あいつの方でしょう」
「あいつ?」
グリーは鼻先だけわたしに向けた。
伏せられた長い睫の下から艶やかな観葉植物のエキスを凝縮させたような眼が、わたしを非難する。
口元から頬がひき締められ、わずかに震えている。
思い通りにいかないことを許せない子供じみた怒りを感じた。
彼がどのような生活をしてきたのか、わたしは知らない。
案外、わがまま放題に育ってきたような気がする。
「あいつって、誰のこと?グリーはお父さんと船で上陸した際に、ルシルス王子と謁見をしようとして王城に訪問したのでしょう?昨日は会えたっていっていたかな?今日も謁見の場が設けられたから、朝から来場して、今日も続くパーティーに参加して、そのついでに図書館を見に来てわたしと一緒に立ち入り禁止の書庫に入って……」
持ち帰った本に書かれた衝撃的な事実を思い出した。ジュリアを早く目覚めさせるか、ジュリアが死ぬことで役目から解放され、刻々と体をむしばむこの世界から解放されなければならないことを思い出した。それは黒くどろりと粘りつく重油を飲み込んで、臓腑がにちゃにちゃと病にむしばまれていくような連想を引き起こす。死の恐怖から逃れるために、シャディーンがわたしを助けることを期待して、つい先ほどまで体を彼に与えていたのだった。
シャディーンの気配を彼のマントのように羽織っているような気がする。
肌に貼り付いた濡れた下着の冷たさにぶるっと体が震えた。
喉元に上がってきそうになる恐怖を飲み下す。
いまは恐怖で思考停止をしている時ではない。
恐怖を逃れるためにしがみついた美貌の男のひんやりと冷たい、そして熱い感触を思い出すときではなかった。
「別れた時のことを思い出せないけど、あのままずっと王城に、潜んでいたの?はじめからジュリア姫に会うことが目的だったの?」
グリーの手が紗幕から離れた。
くるりと天蓋を背にしてわたしに向き直った。
彼も、病床にいるという姫のやつれた顔を、本人の許可なく暴くことに対して罪悪感を持っていたのか。
「質問が多すぎますよ。わたしがここにいるのは、ジュリア姫に会って確かめることが目的です。父に同行してアストリアに来たというのは嘘です。ルシルスに謁見するためにパーティーに参加するというのも嘘です。姫の状況を探り、この半月ほど姫の友人として自由に姫の部屋を行き来しているという異国のレディの存在を知りました。あなたに近づければ、姫の状況が探れるのではと、あなたのことを探らせていただきました。レディにしては風変りで常識がずれていて、この国随一の魔術師に大事にされている。深窓の姫とどこでどうやって知り合って友人になったのかどうしてもつながらない。脚をさらし、誰彼へだてなく遠慮のない話し方は、遊女のようでもあるけれど、遊女にしては色気が足りない。それに、姫と遊女が友人というのも解せませんし」
色気で吹き出しそうになる。
王妃や侍女たちがはしたないという足は、遊女を連想していたのだ。
誰にでも体を許すわけではないけれど、生き残るためには体も与えることができてしまえるのは、遊女と同列なのかもしれない。
グリーの興味は、わたしの方に向けられている。
「そんなに姫の友人だということが不思議なの?」
「なら、病床の姫をベッドの上でなだめる遊女なのですか?」
シャディーンのように、グリーは手を伸ばして肩までの短い髪に触れようとする。
近づく分だけ、わたしは距離をとった。
ベッドで慰めるという表現は、外れているようで案外あたっている。
「色気が足りないわたしなのに、遊女だと思うのは矛盾してない?」
「美しい髪を誇り、男を虜にする女もいるそうですが、遊女の中には、何度も体を清めるためにそのたびに髪を乾かすのが面倒であったり、乱暴な男に髪をつかまれたりするのを防ぐために髪を短くしているものもいるとか。脚をさらすのはその先に続く妖艶な体を卑猥に想像させるためだとか」
伝聞にするところが、同じ年ぐらいの若者である。
「髪や裾が長いと思いっきり体を動かすのに邪魔になったりして、活動を制限されてやりたいことができないという発想はないのかしら」
「高貴な女が自ら活動する必要はないでしょう?長い髪は女の魅力の源泉だと聞く。女は愛され愛でられるものだろう?夫のために美しく装い、あでやかな笑みで迎え入れ、ひと時の快楽と安らぎを与える……」
冗談かと思ったが、けれんみのない表情を見て、本当にそう思っていることを知る。
「まるで平安時代の絵巻の世界ね。女の体を不自由にしてその家の裕福さを競うところは、かつての隣国の纏足のようなものに通じるかも」
「てんそく?」
「女の子の足を布で縛って足の骨や肉の成長を阻害させ、小さな足を男が愛でる習慣よ。そんな足じゃ、ろくに家事育児、外にでて労働することは難しいでしょうし」
グリーは思考をめぐらした。
「なるほど。男は女を不自由にすることによって女を閉じ込め豊かさを示し、女も不自由さを進んで求めることになるわけですね。そういう解釈をしたことがないけれど、言われてみればそうかもしれない」
「わたしは、誰かに閉じ込められて守られるよりも、自分の気持ちの赴くままに何かをしたい」
「浅はかな知恵では失敗して痛い目にあうこともありそうですが」
「それは男でも同じでしょ。失敗を恐れていては、何もできないでしょ」
グリーから先ほどまでその体を張りつめさせていた緊張の熱が体から放散し、肘に触れてさざめくセロームの葉に溶け込んだようだった。
部屋の中央から今は入口近くの観葉植物の森の中に入っている。
わずかに黄色く色づいたマンゴーの実がわたしの肩の高さでいくつも完熟を待っていた。
芳醇な香りが肌に触れ、ここがどこだか失念しそうになる。
わたしの手からグリーはタオルを取り、わたしの頭にかぶせた。
目線の高さがそろう。
値踏みする目がわたしをのぞき込み、わたしの価値を図ろうとする。
「纏足?の風習のある国の話は帝国内で聞いたことがない。ジュリは一体どこの国の出身なんですか?か弱き女の身でありながら自由を手に入れて、あなたは一体何を成し遂げようというのですか?」
グリーはわたしに興味を持っていた。
ここがどこだか失念しかけているのはグリーも同様だった。
このままジュリアから引き離せるかもしれなかった。
「あいつ?」
グリーは鼻先だけわたしに向けた。
伏せられた長い睫の下から艶やかな観葉植物のエキスを凝縮させたような眼が、わたしを非難する。
口元から頬がひき締められ、わずかに震えている。
思い通りにいかないことを許せない子供じみた怒りを感じた。
彼がどのような生活をしてきたのか、わたしは知らない。
案外、わがまま放題に育ってきたような気がする。
「あいつって、誰のこと?グリーはお父さんと船で上陸した際に、ルシルス王子と謁見をしようとして王城に訪問したのでしょう?昨日は会えたっていっていたかな?今日も謁見の場が設けられたから、朝から来場して、今日も続くパーティーに参加して、そのついでに図書館を見に来てわたしと一緒に立ち入り禁止の書庫に入って……」
持ち帰った本に書かれた衝撃的な事実を思い出した。ジュリアを早く目覚めさせるか、ジュリアが死ぬことで役目から解放され、刻々と体をむしばむこの世界から解放されなければならないことを思い出した。それは黒くどろりと粘りつく重油を飲み込んで、臓腑がにちゃにちゃと病にむしばまれていくような連想を引き起こす。死の恐怖から逃れるために、シャディーンがわたしを助けることを期待して、つい先ほどまで体を彼に与えていたのだった。
シャディーンの気配を彼のマントのように羽織っているような気がする。
肌に貼り付いた濡れた下着の冷たさにぶるっと体が震えた。
喉元に上がってきそうになる恐怖を飲み下す。
いまは恐怖で思考停止をしている時ではない。
恐怖を逃れるためにしがみついた美貌の男のひんやりと冷たい、そして熱い感触を思い出すときではなかった。
「別れた時のことを思い出せないけど、あのままずっと王城に、潜んでいたの?はじめからジュリア姫に会うことが目的だったの?」
グリーの手が紗幕から離れた。
くるりと天蓋を背にしてわたしに向き直った。
彼も、病床にいるという姫のやつれた顔を、本人の許可なく暴くことに対して罪悪感を持っていたのか。
「質問が多すぎますよ。わたしがここにいるのは、ジュリア姫に会って確かめることが目的です。父に同行してアストリアに来たというのは嘘です。ルシルスに謁見するためにパーティーに参加するというのも嘘です。姫の状況を探り、この半月ほど姫の友人として自由に姫の部屋を行き来しているという異国のレディの存在を知りました。あなたに近づければ、姫の状況が探れるのではと、あなたのことを探らせていただきました。レディにしては風変りで常識がずれていて、この国随一の魔術師に大事にされている。深窓の姫とどこでどうやって知り合って友人になったのかどうしてもつながらない。脚をさらし、誰彼へだてなく遠慮のない話し方は、遊女のようでもあるけれど、遊女にしては色気が足りない。それに、姫と遊女が友人というのも解せませんし」
色気で吹き出しそうになる。
王妃や侍女たちがはしたないという足は、遊女を連想していたのだ。
誰にでも体を許すわけではないけれど、生き残るためには体も与えることができてしまえるのは、遊女と同列なのかもしれない。
グリーの興味は、わたしの方に向けられている。
「そんなに姫の友人だということが不思議なの?」
「なら、病床の姫をベッドの上でなだめる遊女なのですか?」
シャディーンのように、グリーは手を伸ばして肩までの短い髪に触れようとする。
近づく分だけ、わたしは距離をとった。
ベッドで慰めるという表現は、外れているようで案外あたっている。
「色気が足りないわたしなのに、遊女だと思うのは矛盾してない?」
「美しい髪を誇り、男を虜にする女もいるそうですが、遊女の中には、何度も体を清めるためにそのたびに髪を乾かすのが面倒であったり、乱暴な男に髪をつかまれたりするのを防ぐために髪を短くしているものもいるとか。脚をさらすのはその先に続く妖艶な体を卑猥に想像させるためだとか」
伝聞にするところが、同じ年ぐらいの若者である。
「髪や裾が長いと思いっきり体を動かすのに邪魔になったりして、活動を制限されてやりたいことができないという発想はないのかしら」
「高貴な女が自ら活動する必要はないでしょう?長い髪は女の魅力の源泉だと聞く。女は愛され愛でられるものだろう?夫のために美しく装い、あでやかな笑みで迎え入れ、ひと時の快楽と安らぎを与える……」
冗談かと思ったが、けれんみのない表情を見て、本当にそう思っていることを知る。
「まるで平安時代の絵巻の世界ね。女の体を不自由にしてその家の裕福さを競うところは、かつての隣国の纏足のようなものに通じるかも」
「てんそく?」
「女の子の足を布で縛って足の骨や肉の成長を阻害させ、小さな足を男が愛でる習慣よ。そんな足じゃ、ろくに家事育児、外にでて労働することは難しいでしょうし」
グリーは思考をめぐらした。
「なるほど。男は女を不自由にすることによって女を閉じ込め豊かさを示し、女も不自由さを進んで求めることになるわけですね。そういう解釈をしたことがないけれど、言われてみればそうかもしれない」
「わたしは、誰かに閉じ込められて守られるよりも、自分の気持ちの赴くままに何かをしたい」
「浅はかな知恵では失敗して痛い目にあうこともありそうですが」
「それは男でも同じでしょ。失敗を恐れていては、何もできないでしょ」
グリーから先ほどまでその体を張りつめさせていた緊張の熱が体から放散し、肘に触れてさざめくセロームの葉に溶け込んだようだった。
部屋の中央から今は入口近くの観葉植物の森の中に入っている。
わずかに黄色く色づいたマンゴーの実がわたしの肩の高さでいくつも完熟を待っていた。
芳醇な香りが肌に触れ、ここがどこだか失念しそうになる。
わたしの手からグリーはタオルを取り、わたしの頭にかぶせた。
目線の高さがそろう。
値踏みする目がわたしをのぞき込み、わたしの価値を図ろうとする。
「纏足?の風習のある国の話は帝国内で聞いたことがない。ジュリは一体どこの国の出身なんですか?か弱き女の身でありながら自由を手に入れて、あなたは一体何を成し遂げようというのですか?」
グリーはわたしに興味を持っていた。
ここがどこだか失念しかけているのはグリーも同様だった。
このままジュリアから引き離せるかもしれなかった。
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