曾祖母の秘密

ハリマオ65

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12話:台湾旅行とリーマンショック

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 これは楽しいもので他人の 提灯が上げるのを見ているだけでも面白い。台湾最大の夜市、士林夜市にも行ったが混雑して直ぐ帰った。台北の郊外にも有名な温泉があり豪華な鳥来温泉と秘湯の感じな陽明山温泉に出かけて見たが、昔の日本という感じがして、多分これに引かれて、日本の中高年の人達が台湾に良く来るのだろうと考えた。

 そして3月になって3月12日、日本に帰ってきた。その後2007年4月に金井絵美は新生銀行橫浜支店に就職して橫浜駅近くの賃貸マンションに引っ越して言った。2007年7月16日15時37分40秒に新潟中越地震で長岡市、柏崎市、刈羽郡、飯綱町で震度6強の地震が起きた。

 死者15名、重軽傷者2316名、住宅全壊1331棟、半壊5710棟で直後の断水と停電が起きた。この地震のため、この夏がドライブに出かけず家でエアコンの前で過ごした。しばらくして2008年を迎えた。2008年の冬は沖縄の那覇のマンション風のホテルで1月末から5週間、滞在して散歩したりして過ごした。

 昼食は近くの店で朝食と夕食はスーパーで買い物をしてきて間に合わせて5週間で2人で20万円弱で過ごした。2008年3月初旬に戻ってきて米国ではサブプライムローンの問題がささやかれ始めていた。2008年4月には亡き、金井次郎の長男、金井秀二はKDDIに入社し東京の社員寮に入った。

 金井一郎の家を出て言った。その後、2008年9月15日に投資銀行、リーマンブラザースが経営破綻した。米国の住宅バブル崩壊で地価下落してリーマンブラザースが経営破綻しFRBや政府の莫大な資金供給で2009年に入り少しずつ株式市場が上がって来て終結した。

 2009年4月に金井秀二が橫浜市大医学部の循環器内科の研修医を終えて三ツ沢の橫浜市民病院の循環器内科にに配属されて委任前の医師として外来を診て病棟の患者さんの担当医を務め始めた。2009年6月に金子一郎が胸が苦しいと言い近くの開業医に行ったが逆流性食道炎と断されたが痛みが治まらなった.

 そこで孫の金井秀二の勤める橫浜市民病院で診察を受けると心筋梗塞とわかり、その当日、2009年6月11日のうちに手術がきまり主治医が金井秀二となった。ステント手術はうまく言ったから1週間の入院で退院できそうだと言い血液をさらさらにする薬と止まりにくくすると心臓の動きを多少抑える薬を出すと言われて退院した。

 3ヶ月後、普通通りの生活を遅れるが血圧を下げているから貧血に気をつけてめまいがしたら休むように言われた。リーマンショック後、日本の株価も地価も下げていて橫浜のみなとみらいのマンションにも売り物が出始めた。2009年12月、山下公園行ったとき、金井義朗はMM21地区にできたマンションに住みたいなーと漏らした。

 みなとみらい地区のマンションの販売広告に目を通すようになった。M.M.タワーズの8年経った中古マンション2LDK、80平米以上を予算8千万円代で買いたいと考えて不動産屋に打診した。空き物件が出たら知らせてと言った。その後、2010年があけ2010年2月14日、4つの物件が出たと連絡が入った。

 その中で間取り2LDK82平米の海側の部屋で8千万円で金井義朗の気に入り購入した。その後、金井一郎とかなえさんも、そのマンションを見に来て、その景色の良さに驚いた。たまに泊まらせてもらえるかと聞くと義朗が、えー結構ですよと言われた。その後、花火や食事会の後など泊まらせてもらう事にした。

 その後、義朗の子供や孫達が、たまに訪ねて来て泊まるようになった。2010年6月14日に橫浜市民病院の循環器内科、金井秀二の診察を金井一郎が受けて異常ないので10時間以内の飛行機移動なら旅行も許可され、今後、年に1回の検診で結構ですと言われた。

 その話を聞いて8月3日から6週間、小樽に移動して涼しい夏を過ごし札幌、小樽周辺を散歩した。温泉や食事を楽しんで療養した。その後も体調管理のために自宅近くのスポーツジムに通った。奥さんのかなえさんとともに定期的に運動をするようにした。その後2011年があけて、初詣でに行って、元気で長生きできるように祈願した。

 2011年2月上旬から避寒のために沖縄に飛んで那覇でゆっくりした。2011年3月11日、午後14時47分、東日本大震災が起こり、日本中がパニックになった。携帯電話を一日使えず、3月12日の夜に長男の金井義朗に電話が繋がった。兄弟と孫達に怪我はなく無事だとわかり、3月16日に羽田から長津田の自宅に戻った。
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