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14話:みなとみらいへ引越、旧友との再会
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2012年7月12日に金井一郎が義朗に相談があると電話した。夕方に長津田の家に来てもらった。一緒に食事をした。その後、一郎が、実は、自分も82歳になり、健康の事も心配であり、長津田の家も2人きりで広すぎるし、できたら、みなとみらいの義朗と同じマンションを賃貸で借りたいのだが探してもらえないだろうかと話した。
長津田の家は他の人に貸すことにして、こっちに移りたいと言った。その理由は、すぐ近くに、けいゆう病院があり安心な事、次に何と言っても景色と周りの環境が良いと言った。その話を聞いて義朗がわかったマンション探しに協力すると話した。この話に一郎の奥さんも義朗さんの近くに住めば何かあった時も安心だと大賛成してた。
義朗が、間取りは2人だから50平米以上あれば良いだろうと言い、できたら海側の部屋で良さそうな物件が見つかったら電話すると言ってくれた。その後、約1ケ月して1LDK、52平米で月に22万円ので義朗の部屋からも近い部屋が見つかった。すぐ引越をし長津田の家を賃貸にして数社の大手不動産屋に広告を出した。
9月10日、5LDKの建坪150平米の家を18万円で借り手が見つかったと連絡が入った。みなとみらいに引っ越した後、みなとみらい線で中華街駅でおりて、元町や中華街に出やすくなった。そこで週に何回も出かけ天気の良い朝、晩のどちらかは海沿いを散歩するようになった。
みなとみらいを散歩している時に旅行会社にクルーズのパンフレットが入っていて、翌日、義朗を呼んで見せると、是非、行こうと言い株で儲けた金があるから費用は出すと言いインターネットで予約した。最初はショートクルーズ、長崎、韓国5日の旅にした。10月6日から10月11日。海側の部屋で4人で40万円程度だった。
10月6日に近くの横浜港から出発し、翌日はⅠ日クルーズして2日目の午後に釜山に到着。バスで市内観光をして翌日10月9日長崎へついて市内観光。17時に出港して10日は1日中外海をクルーズし10月11日の午前中に横浜港に戻り下船した。今回、天気の良い日のクルーズが気持ちよく、これなら、また乗りたいと言った。
クルーズ船には大浴場もあり食事も良かったし中でも一番、海から眺める景色が良かった。多くのコースがあり、直前割り引きもあり時間のある人にとって良い旅行だった。
そして2012年が終わり2013年を迎えた。2013年1月25日から2月25日の1ケ月間、台南と高雄に避寒に出かけて温泉に入り散歩した。美味しい中華料理を楽しんで、ゆっくりの過ごし台湾人の友人も数名できた。毎年来てくれと言われ歓迎された。
何と言っても、日本に比べ、ゆっくり時間が過ぎていく気がして、金井一郎と、かなえにとって、それが一番、気に入り日本に戻った。その数日後の2013年3月7日に台湾の東の都市、花蓮でマグニチュード5.6、震度4の地震があり台北で震度2、高雄、台南で震度1だったと台湾の友人から連絡が入った。
被害はなかったようだが、最近、台湾で地震が増えたと嘆いていた。今年は夏に北海道周遊とサハリンの9日間のクルーズに金井義朗夫婦と一郎夫婦の4人で申し込みで約60万円で申し込んた。2013年8月26日から9月3日の9日間、8月26日に横浜港を午後に出発。
翌日は洋上を1日クルーズして28日に釧路港へ到着。釧路の町を見て歩き、翌日も1日クルーズしてサハリン・コルサコフに到着。町を散策し、翌日の朝、小樽港へ入った。小樽の硝子工房や寿司屋巡りをした。翌日は函館へ向かい、函館ラーメンと、いかソーメンを食べて函館山に登り立待岬、倉庫⑤階を観光した。
その後、船に戻った。翌日は終日クルーズして9月3日、横浜港に戻った。今年は暖冬だったので冬は横浜で過ごして中華街、元町でのお茶や食事、海の見える丘公園への散歩など身体に気をつけて生活して2013年を終えて、2014年を迎えた。
2014年2月13日、午後2時頃、みなとみらいからパシフィコ橫浜、インターコンチネンタルホテルを散歩していると、後ろから、聞き覚えの声がするので振り返ると、茨城で同じ中学に通っていた、親友の池上義武くんではないか、驚いて大声で名前を呼んだ。すると彼も一郎を見て久しぶりと肩をたたいた。
今日は、どうしたと言うと今日はツアーで横浜に来て、食事後に少し散歩していると言った。彼は現在、奥さんの実家のある九州、熊本市内で定年後、悠々自適な生活をしていると話した。奥さんの池上光代さんにもご挨拶した。今、みなとみらいの、あそこのマンションに住んでるというと、驚いていた。
近いうちに熊本にも遊びに来いと誘われ、わかったと言い別れた。そして暖かくなった2016年4月13日の早朝、新横浜から博多行きの新幹線にのり、博多で九州新幹線に乗り換えて、
熊本に14時過ぎに到着した。その後、熊本日航ホテルにチェックインした。16時頃から熊本城を見学して17時過ぎにホテルに戻った。
その後、夕食をとり、早めに床について、休んでいた午後2016年4月14日21時26分
、ゴーという不気味な音とともに、震度7の大きな揺れがホテルを襲った。その後も3日間にわたり7回も大きな地震が頻発した。ホテルの停電と断水でホテルのフロントに飲料水が用意されて懐中電灯で暗い中を避難所へ向かった。
4月14日21時26分(1回目)マグニチュード6.5、最大震度7、
4月14日22時07分(2回目)マグニチュード5.8、最大震度6弱、
4月15日00時03分(3回目)マグニチュード6.4、最大震度6強、
4月16日01時25分(4回目)マグニチュード7.3、最大震度7、
4月16日01時45分(5回目)マグニチュード5.9、最大震度6弱、
4月16日03時55分(6回目)マグニチュード5.8、最大震度6強、
4月16日09時48分(7回目)マグニチュード5.4、最大震度6弱、
しかし、とても、まともに睡眠をとれる状態ではなく、ただ、呆然と過ごしていた。もちろん列車も高速道路も動いておらず全く移動手段がなかった。4月17日の昼頃になり胸の痛みがひどくなった。そこで近くの病院に連絡とったが、そのまま待機しておいてと言われ、4月18日になって熊本日赤病院に診察してもらった。
しかし持ってる薬んで休むしかないと言われ交通機関が動き出したら県外の医療機関に22時7分にも震度6強、午前1時25分に震度7の地震がの短い間に3度の大きな地震が起きた。ホテルで突然、また、胸の痛みを感じたが、医者はいないし安静にしていた。4月19日に福岡行きのバスが動くと連絡があり4月19日に福岡へ移動した。
その後ホテルで1泊して羽田行きの飛行機で4月20日に橫浜に戻った。みなとみらいのマンションの部屋に戻ってけいゆう病院で診察を受けた。数日間、入院しましょうと言われた。心臓周辺の顕官の状態やエコー、心電図など詳細に調べてもらった結果、特に、手術の必要はないと言われた。
そして7日間入院後、家に戻った。軽い外傷性ショックだろうという診断だった。金井一郎はやっぱり我が家が一番だと言いぐっすりに寝られるようになった。2016年のゴールデンウイークの頃には、すっかり、以前の様な体調に回復して顔色も良くなった。その後、旧友の池上義武に連絡を取ると自宅が半壊して困っているとの報告を受けた。
しかし本人は怪我もなく家族全員とも無事だったとの返事であり安心した。ただ自宅を改修は経済的に難しく新しく家を建てる事もできないと語った、今後、経済的に困るだろうと心配していた。この話を聞いて何とかしてやれないだろうかと、金井一郎が考え始めた。
長津田の家は他の人に貸すことにして、こっちに移りたいと言った。その理由は、すぐ近くに、けいゆう病院があり安心な事、次に何と言っても景色と周りの環境が良いと言った。その話を聞いて義朗がわかったマンション探しに協力すると話した。この話に一郎の奥さんも義朗さんの近くに住めば何かあった時も安心だと大賛成してた。
義朗が、間取りは2人だから50平米以上あれば良いだろうと言い、できたら海側の部屋で良さそうな物件が見つかったら電話すると言ってくれた。その後、約1ケ月して1LDK、52平米で月に22万円ので義朗の部屋からも近い部屋が見つかった。すぐ引越をし長津田の家を賃貸にして数社の大手不動産屋に広告を出した。
9月10日、5LDKの建坪150平米の家を18万円で借り手が見つかったと連絡が入った。みなとみらいに引っ越した後、みなとみらい線で中華街駅でおりて、元町や中華街に出やすくなった。そこで週に何回も出かけ天気の良い朝、晩のどちらかは海沿いを散歩するようになった。
みなとみらいを散歩している時に旅行会社にクルーズのパンフレットが入っていて、翌日、義朗を呼んで見せると、是非、行こうと言い株で儲けた金があるから費用は出すと言いインターネットで予約した。最初はショートクルーズ、長崎、韓国5日の旅にした。10月6日から10月11日。海側の部屋で4人で40万円程度だった。
10月6日に近くの横浜港から出発し、翌日はⅠ日クルーズして2日目の午後に釜山に到着。バスで市内観光をして翌日10月9日長崎へついて市内観光。17時に出港して10日は1日中外海をクルーズし10月11日の午前中に横浜港に戻り下船した。今回、天気の良い日のクルーズが気持ちよく、これなら、また乗りたいと言った。
クルーズ船には大浴場もあり食事も良かったし中でも一番、海から眺める景色が良かった。多くのコースがあり、直前割り引きもあり時間のある人にとって良い旅行だった。
そして2012年が終わり2013年を迎えた。2013年1月25日から2月25日の1ケ月間、台南と高雄に避寒に出かけて温泉に入り散歩した。美味しい中華料理を楽しんで、ゆっくりの過ごし台湾人の友人も数名できた。毎年来てくれと言われ歓迎された。
何と言っても、日本に比べ、ゆっくり時間が過ぎていく気がして、金井一郎と、かなえにとって、それが一番、気に入り日本に戻った。その数日後の2013年3月7日に台湾の東の都市、花蓮でマグニチュード5.6、震度4の地震があり台北で震度2、高雄、台南で震度1だったと台湾の友人から連絡が入った。
被害はなかったようだが、最近、台湾で地震が増えたと嘆いていた。今年は夏に北海道周遊とサハリンの9日間のクルーズに金井義朗夫婦と一郎夫婦の4人で申し込みで約60万円で申し込んた。2013年8月26日から9月3日の9日間、8月26日に横浜港を午後に出発。
翌日は洋上を1日クルーズして28日に釧路港へ到着。釧路の町を見て歩き、翌日も1日クルーズしてサハリン・コルサコフに到着。町を散策し、翌日の朝、小樽港へ入った。小樽の硝子工房や寿司屋巡りをした。翌日は函館へ向かい、函館ラーメンと、いかソーメンを食べて函館山に登り立待岬、倉庫⑤階を観光した。
その後、船に戻った。翌日は終日クルーズして9月3日、横浜港に戻った。今年は暖冬だったので冬は横浜で過ごして中華街、元町でのお茶や食事、海の見える丘公園への散歩など身体に気をつけて生活して2013年を終えて、2014年を迎えた。
2014年2月13日、午後2時頃、みなとみらいからパシフィコ橫浜、インターコンチネンタルホテルを散歩していると、後ろから、聞き覚えの声がするので振り返ると、茨城で同じ中学に通っていた、親友の池上義武くんではないか、驚いて大声で名前を呼んだ。すると彼も一郎を見て久しぶりと肩をたたいた。
今日は、どうしたと言うと今日はツアーで横浜に来て、食事後に少し散歩していると言った。彼は現在、奥さんの実家のある九州、熊本市内で定年後、悠々自適な生活をしていると話した。奥さんの池上光代さんにもご挨拶した。今、みなとみらいの、あそこのマンションに住んでるというと、驚いていた。
近いうちに熊本にも遊びに来いと誘われ、わかったと言い別れた。そして暖かくなった2016年4月13日の早朝、新横浜から博多行きの新幹線にのり、博多で九州新幹線に乗り換えて、
熊本に14時過ぎに到着した。その後、熊本日航ホテルにチェックインした。16時頃から熊本城を見学して17時過ぎにホテルに戻った。
その後、夕食をとり、早めに床について、休んでいた午後2016年4月14日21時26分
、ゴーという不気味な音とともに、震度7の大きな揺れがホテルを襲った。その後も3日間にわたり7回も大きな地震が頻発した。ホテルの停電と断水でホテルのフロントに飲料水が用意されて懐中電灯で暗い中を避難所へ向かった。
4月14日21時26分(1回目)マグニチュード6.5、最大震度7、
4月14日22時07分(2回目)マグニチュード5.8、最大震度6弱、
4月15日00時03分(3回目)マグニチュード6.4、最大震度6強、
4月16日01時25分(4回目)マグニチュード7.3、最大震度7、
4月16日01時45分(5回目)マグニチュード5.9、最大震度6弱、
4月16日03時55分(6回目)マグニチュード5.8、最大震度6強、
4月16日09時48分(7回目)マグニチュード5.4、最大震度6弱、
しかし、とても、まともに睡眠をとれる状態ではなく、ただ、呆然と過ごしていた。もちろん列車も高速道路も動いておらず全く移動手段がなかった。4月17日の昼頃になり胸の痛みがひどくなった。そこで近くの病院に連絡とったが、そのまま待機しておいてと言われ、4月18日になって熊本日赤病院に診察してもらった。
しかし持ってる薬んで休むしかないと言われ交通機関が動き出したら県外の医療機関に22時7分にも震度6強、午前1時25分に震度7の地震がの短い間に3度の大きな地震が起きた。ホテルで突然、また、胸の痛みを感じたが、医者はいないし安静にしていた。4月19日に福岡行きのバスが動くと連絡があり4月19日に福岡へ移動した。
その後ホテルで1泊して羽田行きの飛行機で4月20日に橫浜に戻った。みなとみらいのマンションの部屋に戻ってけいゆう病院で診察を受けた。数日間、入院しましょうと言われた。心臓周辺の顕官の状態やエコー、心電図など詳細に調べてもらった結果、特に、手術の必要はないと言われた。
そして7日間入院後、家に戻った。軽い外傷性ショックだろうという診断だった。金井一郎はやっぱり我が家が一番だと言いぐっすりに寝られるようになった。2016年のゴールデンウイークの頃には、すっかり、以前の様な体調に回復して顔色も良くなった。その後、旧友の池上義武に連絡を取ると自宅が半壊して困っているとの報告を受けた。
しかし本人は怪我もなく家族全員とも無事だったとの返事であり安心した。ただ自宅を改修は経済的に難しく新しく家を建てる事もできないと語った、今後、経済的に困るだろうと心配していた。この話を聞いて何とかしてやれないだろうかと、金井一郎が考え始めた。
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