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44話:株の儲けで新居建築
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その後、2007年5月7日、早朝、証券会社の担当者から電話が入った。電話で、2002年購入した日本ビルファンドが、200万円の気配値で、全株成り行き売りを指示すると、全株100株が、1株200万円で売れ、税引き後利益が16700万円となった。
そのため、雨宮ほたるの投資残金が45200万円となり、朋子さんの全株50株も売れ、税引き後利益が8350万円となり、口座残金が、9900万円となった。その後、日本ビルファンドの価格は、急降下していった。
そして1年が過ぎた6月には、雨宮佐織さんが、毎朝、雨宮良雄を両親の家に預けて仕事に出かけ、帰る時、実家に立ち寄り、子供を連れて帰るようになった。この頃、雨宮ほたるの奥さんが、子供と孫が、同じ敷地に住める様な広い土地と家を作りたいとなと述べた。
この意見に、金もできたし、確かに孫と一緒に住めるのは楽しいだろうと雨宮ほたるも同意した。そのため、車で、新横浜、周辺を回ってみた。場所的には、新横浜から武蔵小杉の間とした。
数日、回ってみると横浜市営地下鉄グリーンラインの高田駅の近くに古くなった農家が、数件あることが分かった。そこで、周辺の数件の不動産屋さんに、古家付きで敷地が100~150坪の農家を現状渡しで、買いたいと伝えた。
それに対して、できるだけ多くの農家を当たって、交渉してみると答えてくれた。6月中旬、不動産屋さんから電話があり現状渡しで良いなら4軒、売っても良いと言う農家が、あると電話が入った。
その後、4軒を不動産屋と一緒に見て回ると、平坦な土地で、電気、水道の設備がしっかりしている130坪の敷地に築70年の母屋と離れ、牛小屋が、見つかった。ざっと見て、家の解体、整地で500万円かかる。
新しい家は、格安木造住宅で、標準的な建坪30坪から50坪で2000~3000万円で作れると言った。老夫婦なら平屋で、しっかりした断熱設計でも2000万円で作れると話した。
そのため6000万円あれば、実現できると言われた。その物件は、3つの不動産屋が、奨めてくれた。その中でも一番大きなM不動産は、自分の兄が、P建設を経営してるので全て任せてくれれば、電化製品などをサービスできると説明した。
そこで、M不動産のとP建設に任せるから打ち合わせしたいと述べた。数日後、P建設の社長に面会して、挨拶すると早速、モデルルームを見せてくれた。そして、数枚の設計図案を提出するからその中から決めてくれと言われた。
その話を息子の雨宮時雄にすると、俺たちに出せる金は、2000万円までだと言われた。それを聞き、とりあえず、資金は、俺たちが立て替えて、金は、少しずつ返してくれれば良いと告げると、そりゃありがたいと喜んでくれた。
その後、設計図の完成予想図が3枚、送られてきて、建てる家の構想が、まとまり整地が、完了した。7月初旬に地鎮祭をして、7月7日から、建築を開始し、今年中の完成をめざすと言われた。これで一安心した。この結果、雨宮ほたるの投資残金が39200万円となった。
ちなみに家から横浜市営地下鉄グリーンライン高田駅まで1200メートルで徒歩15分、自転車で5分。東横線日吉駅まで、約3キロで自転車で113分、車で5分と交通の便も良かった。その後、7月下旬の暑い夜、雨宮ほたるが、寝た後、急に激しい頭痛に襲われた。
そのため、鎮痛剤を飲んだが、あまり効かない。我慢して、目を閉じると、大きな地震で建物が、崩壊するのと、濁流の中を家や車、人が流されている姿が見えた。最後に、海が、真っ赤な炎につつまれ、まるで、地獄のような光景の夢を見た。
数日間、そんな夢にうなされ、体調を崩した。たまらず、翌日、近くの開業医へ行ったが、原因がわからず、念のため、近くの横浜労災病院へ行くように紹介状を書いてもらった。数日後、少しずつ、落ち着き、頭痛もおさまってきたので横浜労災病院へ行く必要もなくなった。
そして涼しくなり9,10,11月と月日は流れた。こうして12月を迎え、24日、雨宮ほたるの家で、息子夫婦と孫が、参加してクリスマスパーティーを開いた。ケーキをみんなで、切り分けて食べた。雨宮良雄も喜んで、口いっぱいに、ケーキを入れて笑顔だった。
そのため、雨宮ほたるの投資残金が45200万円となり、朋子さんの全株50株も売れ、税引き後利益が8350万円となり、口座残金が、9900万円となった。その後、日本ビルファンドの価格は、急降下していった。
そして1年が過ぎた6月には、雨宮佐織さんが、毎朝、雨宮良雄を両親の家に預けて仕事に出かけ、帰る時、実家に立ち寄り、子供を連れて帰るようになった。この頃、雨宮ほたるの奥さんが、子供と孫が、同じ敷地に住める様な広い土地と家を作りたいとなと述べた。
この意見に、金もできたし、確かに孫と一緒に住めるのは楽しいだろうと雨宮ほたるも同意した。そのため、車で、新横浜、周辺を回ってみた。場所的には、新横浜から武蔵小杉の間とした。
数日、回ってみると横浜市営地下鉄グリーンラインの高田駅の近くに古くなった農家が、数件あることが分かった。そこで、周辺の数件の不動産屋さんに、古家付きで敷地が100~150坪の農家を現状渡しで、買いたいと伝えた。
それに対して、できるだけ多くの農家を当たって、交渉してみると答えてくれた。6月中旬、不動産屋さんから電話があり現状渡しで良いなら4軒、売っても良いと言う農家が、あると電話が入った。
その後、4軒を不動産屋と一緒に見て回ると、平坦な土地で、電気、水道の設備がしっかりしている130坪の敷地に築70年の母屋と離れ、牛小屋が、見つかった。ざっと見て、家の解体、整地で500万円かかる。
新しい家は、格安木造住宅で、標準的な建坪30坪から50坪で2000~3000万円で作れると言った。老夫婦なら平屋で、しっかりした断熱設計でも2000万円で作れると話した。
そのため6000万円あれば、実現できると言われた。その物件は、3つの不動産屋が、奨めてくれた。その中でも一番大きなM不動産は、自分の兄が、P建設を経営してるので全て任せてくれれば、電化製品などをサービスできると説明した。
そこで、M不動産のとP建設に任せるから打ち合わせしたいと述べた。数日後、P建設の社長に面会して、挨拶すると早速、モデルルームを見せてくれた。そして、数枚の設計図案を提出するからその中から決めてくれと言われた。
その話を息子の雨宮時雄にすると、俺たちに出せる金は、2000万円までだと言われた。それを聞き、とりあえず、資金は、俺たちが立て替えて、金は、少しずつ返してくれれば良いと告げると、そりゃありがたいと喜んでくれた。
その後、設計図の完成予想図が3枚、送られてきて、建てる家の構想が、まとまり整地が、完了した。7月初旬に地鎮祭をして、7月7日から、建築を開始し、今年中の完成をめざすと言われた。これで一安心した。この結果、雨宮ほたるの投資残金が39200万円となった。
ちなみに家から横浜市営地下鉄グリーンライン高田駅まで1200メートルで徒歩15分、自転車で5分。東横線日吉駅まで、約3キロで自転車で113分、車で5分と交通の便も良かった。その後、7月下旬の暑い夜、雨宮ほたるが、寝た後、急に激しい頭痛に襲われた。
そのため、鎮痛剤を飲んだが、あまり効かない。我慢して、目を閉じると、大きな地震で建物が、崩壊するのと、濁流の中を家や車、人が流されている姿が見えた。最後に、海が、真っ赤な炎につつまれ、まるで、地獄のような光景の夢を見た。
数日間、そんな夢にうなされ、体調を崩した。たまらず、翌日、近くの開業医へ行ったが、原因がわからず、念のため、近くの横浜労災病院へ行くように紹介状を書いてもらった。数日後、少しずつ、落ち着き、頭痛もおさまってきたので横浜労災病院へ行く必要もなくなった。
そして涼しくなり9,10,11月と月日は流れた。こうして12月を迎え、24日、雨宮ほたるの家で、息子夫婦と孫が、参加してクリスマスパーティーを開いた。ケーキをみんなで、切り分けて食べた。雨宮良雄も喜んで、口いっぱいに、ケーキを入れて笑顔だった。
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