陰陽師の末裔

ハリマオ65

文字の大きさ
上 下
74 / 74

73話「最終章」:満重先生の陰陽師資料、鑑定

しおりを挟む
 実は、私は、学生時代から、安倍晴明の大ファンで、陰陽師の末裔の研究をした時代があると話し始めた。そして、現在、新潟では、たまに大学病院で、講演するくらいで仕事をしていない。そこで、また電話するから見せて欲しいと言われ、おもわず、えーと答えた。

 その後、満重先生は、新潟に帰り、雨宮は、念のため1週間の入院と多くの精密検査を受けて、10月22日退院して、新横浜の自宅に帰った。その時、満重先生の話をすると、雨宮が、驚いた。

 そして、11月になり、満重先生から電話が入り、先生の友人で陰陽師研究の第一人者の長井さんと共に、陰陽師関連の資料を見せて欲しいと言われ、承諾した。そして、11月21日木曜日に、新横浜の雨宮の家へ来ると連絡が入った。

 21日の13時過ぎ、満重先生と長井さんが、雨宮の家を訪ねて来た。そして、陰陽師関連の資料を見せてと言い、見始めた。そして、この話は、口外しないし、関連資料の写真を世に出すこともしないと宣言した。

 そのため、写真を撮っても良いかと聞かれ、この話を知っているのは、このにいる人だけなので、了解しますが、絶対に秘密にしておいてくださいねと念を押した。満重先生が、絶対に約束すると答えた。

 そして、資料の入った大きな箱を空けて、次々と資料を見ていくと、小さな声だが、わーと言う小さな、歓声が上がった。終戦後、行方不明になったT家の揚羽蝶「あげはちょう」の門が、これかと驚いていた。

 その他、天文学の星の位置と季節の図などが、いくつも見つかったようだった。最近も妙な夢を見るかと満重先生が聞くので、えーと雨宮が答えた。具体的にはと聞くと、何の関連もない断片的な物ばかりと話した。

 何でもよいから、教えてくれと言うので、最初に、狭い洞窟から小さな蝙蝠「こうもり」が出てきた。その後、大きな市場で、数人の人が、バタバタ倒れる光景が見えた。

 そして倒れた人たちが、息が苦しい、助けてと言って絶命した。さらに、助けてくれと言う、地獄の亡者のような一団が、自分を追いかけてくる夢を何回も見たと証言した。

 その回数は、最近増えたか、減ったかと聞くので増え続けてると答えた。その人たちのいでたちはと聞かれ、西洋人ではなく、黒人でもない、多分東洋人だが、日本人ではないと答えた。

 すると、残されるのは、アジア人の中国、韓国、モンゴル系だろうと、満重先生が、語った。そして、17時には、すべて完了したと、満重先生たちが、話して、今日は、新横浜のホテルに泊まり、明日、新潟に帰ると語った。

 もし、体調が悪くなったら、すぐ連絡してくれと、満重先生が、真剣な顔で、言うので、はい、わかりましたと、朋子さんが答えた。その後、慌ててていて、新潟のお土産を渡すのを忘れていたと笑いながら言った。

 そして、加嶋屋の貝柱のうま煮、さけ茶漬け、いくら醤油漬けのセットを渡してくれた。その後、タクシーで、満重先生たちが、帰っていった。やがて、12月が明け、12月8日、再び、雨宮が、倒れて、近くの横浜労災病院に入院した。

 その情報を直ぐに、新潟の満重先生に報告すると翌9日、昼過ぎ、入院している病院へ行き、奥さんの智子さんと会った。その後、満重先生が担当の先生に状況を聞いて、すでに、回復したと言われ、満重先生が、雨宮の病室へ入った。

 その時、雨宮が、もう、すでに中国の内陸部の大都市で、新しい感染症の流行が拡大していると告げた。そして12月10日、満重先生が、彼の情報網から中国で、12月8日、原因不明の患者が、出たと連絡が入った。

 そうして、2020年が、訪れ、この時、予想も出来ない、大事件が起きて、日本だけでなく、ヨーロッパ、アジア、南米、アフリカ、全世界が、恐怖のどん底に落とされるとは、想像も出来なかった。【完結】
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...