ワンチームで、勝利を

ハリマオ65

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13話:石上と八重に赤ちゃんが?!

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 イラクでは、開戦から3年以上経た今も、イスラム教の宗派抗争に歯止めが掛からず、テロが激化、治安は悪化の一途をたどった。11月には首都バグダッドのシーア派居住区で過去最大級のテロが発生し、200人以上が死亡。

 米主要メディアはイラクの現状を「内戦」と表現。国連報告書によるとテロなどで死亡したイラクの民間人は10月、3709人に達した。その数字は、民間人の死者数としてで過去最多を記録。

 開戦後の米兵の死者も約3千人に上り米国内では野党・民主党を中心に早期撤退を求める声が高まった。2006年12月になり12月16日土曜、明日、競馬に行かないかとお誘いが、かかり仲間4人が集合する事となった。

 そして、12月17日、上野に14時前に、集合して、14時半には、中山競馬場に入った。その後、15時から、出走馬が、現れた。その様子をじっと土佐が、見つめて、ビデオに取った。

 すると、6番のアポロティアラの調子が飛びぬけて良いと静かに言った。しかし、アポロティアラは、13番人気と不人気で、この馬券と買おうと考えた。そして、安全のため、6番のアポロティアラの単勝10枚と複勝10枚を購入することにした。

 その後、石上、富川、八重は、馬券を買いに走った。戻って来るや否や出走開始した。その後、サンタフェソレイユ、ニシノマオ、シベリアンクラシカが、先頭集団。そのあと中段後方に、アポロティアラがついていた。

 そして、徐々に中段にあがってきた。そして、最終コーナーあたりで、スピードアップして、先行馬を次々に抜き去って気がついた時には、ぶっちぎり優勝を飾った。

 これを見て、本命、対抗の馬券を持つ多くの人が、外れ券を放り投げ、白い馬券が、宙を舞った。そして、大きなため息が漏れた。その結果、単勝が、10200円の万馬券であり単勝で10万円と複勝で2万4千円の計12万4千円を手にした。

 万馬券も初めてだし、この配当額も大きかった。その後、いつもの秋葉原の八重の店で、大忘年会となった。すき焼きとビールで、万馬券に乾杯して、今年の成功、失敗などの話を続けて、22時過ぎに解散して帰っていった。

 こうして2007年を迎えた。この年は、1月に、同棲していた石上と八重から富川夫妻に電話が、入り石上が富川に八重さんが、子供を宿したというではないか。それを聞いて驚いた。それを知った優子さんが、電話を変わってと言い、石上に結婚届を出しなさいと言った。

 その後、両家の両親に事情を話すべきよと訴えた。
「石上が、でも・・・というと、優子さんが、男でしょ、しっかりしなさいとどなった」
「石上に八重さんに変わってと言うと八重さんは、涙で声が震えながら、ありがとうと言った」

「続けて、あんたは、しっかり自分の体を大事にいして元気な子供を産むこと専念しなさいと言った」
「それを聞いていた富川は、女は、強いと実感した」
「必要なら俺たちも石上に実家に、一緒に行ってあげると話した」
「もしそうなったら、お願いするかもしれないと石上が言い電話を切った」

 それから富川優子さんは、頻繁に八重さんに電話をした。2週間後、石上が、自分の実家で、両親に話すと自分のまいた種だから自分で処理しろと言明されたと電話で、富川に語った。

 八重さんの所へ行く時には、一緒について行ってくれと言われ、富川夫妻が、数週間後出かけた。
「八重さんの両親が、とにかく、元気な赤ちゃんを産むように最善を尽くせと言い、後は、了解すると答えた」

「結婚式も出産が、終わってからで構わない」
「とにかく、元気な赤ちゃんを産んで、育てることが一番大切だと、八重の両親が、言い切った」
「そう石上が言うと、富川が、素晴らしい両親だと褒めた」
 
「それを聞いて、石上が、珍しく涙を浮かべた」
 そして八重さんの両親には、申し訳ないことをしたと語った。その話を聞いて優子さんが、
「とにかく、石上さん、八重さんと生まれてくる赤ちゃんを守ってやるのが、あんたの仕事よ」と厳しい口調で言明した。

 2007年6月22日、近くの産婦人科病院で、3キロを超す、元気な男の赤ちゃんが誕生して、名前を勇気のある男に育てと「勇一」と名付けた。これには、八重さんの両親が、感涙にむせんだ。あまりに感動的なシーンに同席した人達の感動の涙を誘った。
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