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48話:ポルト観光2

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 内装をじっくり見た後は、礼拝堂にあるキリストの木も忘れずに。複雑に入り組んだ木製彫刻で、イエスの家系図などが木の形で表されている。 階下には教会建設当初から伝わる品々が収められた小さな博物館がある。当時の教区の人々が身に着けていたものと思われる衣服やアクセサリーなどを見ることができる。

 カタコンベに納められている骨はキリストが再臨する審判の日を待っていると言われている。サン フランシスコ教会はポルトの旧市街にあり、教会は毎日拝観できる。ただしカタコンベは入場料が必要。クレリゴス塔。クレリゴス教会はイタリア人建築家ニッコロ・ナッソーニによって建てられたバロック式の教会。

 17世紀、ポルトに誕生した3つのグループを束ねて発足したクレリゴス会には、活動の拠点となる教会がなかった。そこでドン・ジェロニモ・タヴォラ・イ・ノローニャが議長を務め、今後を検討する会議を開きました。その中で彼の支援するナッソーニの設計で教会を建てることに決めた。

 1732年6月32日、ニッコロ・ナッソーニが見守る中、教会の礎となる一つ目の石が設置されたとき、ポルト中のありとあらゆる教会の鐘が鳴り響き、こだまし、ポルト中が教会の建設をお祝いした。工事は途中まで順調に進んでいたのですが、途中で突然止まった。

 原因は新しい教会が誕生するのを懸念したサント・イルデフォンソ教会の司祭による様々な陰謀のせいだといわれている。サント・イルデフォンソ教会の司祭長を交代した後も状況は変わらず、工事が進まないはっきりとした要因も特定できなかったため1745年に心機一転、全てを一からやり直すことにした。

 3年後の1748年7月28日、クレリゴス教会で記念すべき初めての礼拝が行われました。残念ながらその時まだ正面のファサードすら完成しておらず、それには更に2年の月日を要した。教会へ続く階段は1750年に着工され1754年に完成した。

 その後もチャペル部分などの工事が続き、全てが完成したのは1779年、工事を始めてから実に47年の月日が経った。その間、1754年から1763年にかけて6階建てで高さ75メートルのクレリゴスの塔が併設された。建設当時、ポルトガルで一番高い建物でした。

 クレリゴスの塔からは360度、ポルトの街が見下ろせます。ドウロ川、対岸のガイヤ地区、カテドラル、劇場、市庁舎。オレンジの屋根が愛らしい家々や、屋根の上で猫やカモメが休んでいる姿を眺めることもできる。250年以上にわたり、ポルトの街を見下ろしてきたクレリゴスの塔。

 らせん階段を登るのは予想以上に体力を消耗するが登り切った後の爽快感と心地いい風、ポルトの街の美しい景色で疲れも吹き飛ぶ。最後にポルト大聖堂へ向かった。ここはゴシック様式とロマネスク様式が融合した壮麗な大聖堂。宗教彫刻や宗教画にも圧倒される。

 彩色されたタイルの壁や、銀製の見事な祭壇の細工、豪華な宝物が目を引くポルト大聖堂。上階からの眺めも抜群。ポルトの街並みを一望できる。ポルトの歴史におけるこの大聖堂の位置づけについて考えて見る。 外観は、まずロマネスク様式のファサードが印象的。13世紀の完成以降、建物は少しずつ改築されてきましたが、ファサードは建立当初の様式のまま残っている最古の部分の 1 つ。高い塔の上には先の尖った銃眼が付いており、一見すると要塞のようだが、近づくにつれて教会らしい特徴が見えてくる。

 メインの入口の上には、美しいステンドグラスのバラ窓。小塔の円屋根は、様式が少し異なることに注目。バロック様式のこの部分は、18世紀に増築されたもの。 教会内部は、宗教芸術の宝庫。サクラメント礼拝堂の光り輝く銀製の祭壇細工には目を奪われるばかり。

 小ぢんまりとしたサン ヴィセンテ礼拝堂には14 世紀の彫刻が並んでいる。宝物庫では、更に見事な彫刻や宗教画を見ることができる。その他、手書きの古い資料やジュエリーや ゴシック様式の修道院も必見。ジョアン 1 世の統治時代に増築されたもので、芸術家ヴァレンティム・デ・アルメイダによって描かれた壁のタイルはポルト大聖堂の見どころの 1 つ。イタリアの建築家、ニコラウ ナゾニの設計による見事な御影石の階段も見学したい。
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