善次の投資と家族達

ハリマオ65

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20話:オリックス株の底値買いと家庭教師と気分転換

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 しかし、なかなか下げ止まらなかった。2008年11月13日、ついに、オリックスの株価が10000円の大台を割った。しかし、まだ下げ止まる気配は見えず、11月25日、6000円を割った。

 12月9日4000円を割った。投資研究会先輩達には、3800円で、買い始めていたが、秀一は、もう少し我慢しようと考えた。その理由は、年末12月よりも年明けの2009年1月、2月の方が下げる場合が多いという漠然とした勘だった。

 そして、どこかで、もう一段下げて、上げはじめを買おうと漠然とイメージしていた。ところが、年が明けた、1月5日、5000円を超し、1月7日、5500円を超えた。失敗したかと、半分あきらめた。

 ところが1月下旬に再度、ずるずる下げて再び4000円を切り3810円をつけた。その時、もし、3800円あたりで、下値だと思った連中が、まずいと思えば、値崩れがあるかもとひらめいた。

すると、その感が当たり、2月13日、初値で2900円になると出来高が上昇し、慌てて売り逃げてると感じられた。上げはじめを買えと、秀一は自分に言い聞かせ、2月23日以降も毎朝、オリックスの気配値を注視し続けた。

 すると2009年2月24日、1921円と、なんと2000円を切ったではないか、そして株の板「株数」が急上昇してるの見て、秀一は、パニック売りだと考えた。2月24日は、終日、パソコンに張り付いていた。

 1707円で底値で反騰の瞬間一気にオリックス株を成り行き2千株を入れると342万円で購入でき、残金が70万円となった。その後、株研究会に出たとき話すと、良く待てたなと、先輩から褒められた。

 そして先輩から売り時も、うまくやれよと、肩をたたかれ、やっと一人前と認められたのかなと思い、上機嫌になった。その後、毎日、家にいるときはパソコンで、外出中は、携帯電話で株価を見ていた。

 もう金もないので、投資することができず家庭教師のアルバイトをするためにギア付きの自転車を父に買ってもらい土日中心に稼ぎまくった。一方、秀一の妹、博美は、受験を終えて、日大経済学部は合格したが、首都大学経済学部は不合格となった。

 しかし、落ち込むこともなく、日大の方が自宅kら近くて良かったと強がった。和光市駅から大学まで50分程度で通学し始めた。大学は神田神保町の古本屋が立ち並ぶ一角にあった。

 大学に入ると、秋葉原のオーディオセンターの素晴らしいステレオで音楽を聴くのが好きになり通いだした。学校に通いだして、女性の友だが5人グループができ、神田の喫茶店で、長話してストレス解放させていた。

 その中の1人の沢野さんが、優秀で、学校から要求提出物の草稿を一番に書いてきた。それを見せてもらいのコピーし参考にしてレポートを提出するようになった。運動は、苦手なので入らず、図書館で本を読んだ。

たまに、気分転換に、秋葉原へ行って、大好きな音楽を素晴らしい音質で聞くのが最大の楽しみだった。兄の秀一は、春休み、夏休み、冬休みと、働きまくり、2009年中に投資残金が200万円を越した。

 2010年のお正月、実家に帰って、父に、オリックス株のことを話すと、カエルの子はカエルだなと言い、豪快に笑った。そして帰り際に、300万円を内緒で送金してやると言ってくれた。

 2010年に入っても同じように大学へ行って授業を受け、終わるとすぐに夜の家庭教師に出かけ投資研究会に顔を出す機会がめっきり減った。もちろん、女の子とデートする暇も映画を見る暇もなく、勉強と家庭教師の毎日だった。

 しかし、不思議に嫌になる事はなかった。金ができたら、また、株で勝負できると考えると、わくわくした程だった。大学の卒業論文も株投資につい書くと、担当のゼミの先生から、大学の卒業論文としては、あまり学術的ではないが、個性的で面白い小説の様な投資論だと言ってくれた。
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