電子カルテの創成期

ハリマオ65

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第7話:医師達とのコンピューター研究会2

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 そうすれば医者としても大助かりだし、医学の発展にも大きき寄与するはずだと言った。それを聞いて、常本が、画像見たい大きなデータをリレーショナル・データベースに入れるとしたら、今のデータサイズの2桁上、数百倍になり現在のコンピュターの演算速度では、絶対できないと言った。

 さすが日本電気、コンピューター詳しいじゃんと、また肩をたたいた。これでも、一応、コンピューター技術者の端くれですと言い返した。だから君を僕らの仲間に入れたのじゃないかと池辺がいった。その通りでアイビーエムでもできない。マッキントッシュ以外はメモリの容量が小さすぎて実用化できない。

 マッキントッシュでカード型データベースを作っても、せいぜい10枚が限度だろうと言った。しかし、僕らは、近い将来、メモリーの価格が現在の10分の1、いや100分の1、1000分1、それ以下に下がると思っている。パソコンのチップの処理速度も千倍以上に速度になれば、この夢が叶えられる。

 現在のカルテをデータベース化して、瞬時に並べ替えられれば医学に大きな貢献ができると確信してると言った。実は、全国の医者でコンピュータ研究会の夏休み、冬休みの全国大会を企画した。近い将来、この信州の地で勉強会をしたいと考えていると言った。君も良かったら協賛金は、いただくが、参加しないかと誘った。

 それは、ありがたいと言い、常本は、彼と固い握手をした。約1時間して食事を終えると先生方に二次会へ行って良いですかと聞くとOKと言われタクシーを呼んだ。5人で松本駅近くの行きつけのスナックへタクシーの乗りつけた。常本が、ママに5人と言うと奥の席をセッティングしてくれた。

 そして各先生の好きなタイプの女性達が、間に入って話を始めると日本電気の人が緊張しているのを見て、これから仕事の話はなしねと常本が、ウインクした。そして今晩はどこのホテルと聞くと、Mホテルと答えると、ここから徒歩5分でつくと言った。そして店のママが、常本に久しぶりねと言った。

 まさか他に浮気してるのじゃないわよねと聞くと中小の製薬企業には、そんな暇ないよと笑った。そのうち先生方、カラオケOKよと言い、東京出身のS先生がビートルズの「ラブミードゥー」を歌い出した。次に、南信出身のK先生が、エルヴィス・プレスリー「ラブミーテンダー」が続いた。

 その時、常本が、製薬企業の池辺さんにコンピュター研究会のに参加させて欲しいと言った。ここでは、仕事の話は、しない事と言い、名刺を渡した。これで、電話、かけてきて良いとだけ言い、話をやめた。その後、常本は、女好きする良い男でスナックでも、大いに、もてた。

 そのうちスナックのママが、常本の所へ来て新しい人の手相を見るのが趣味なのと言いじっと眺めた。数分後、面白い手相していると言った。常本が、教えてと聞くと、まず、ここと言い、その線が下がっているというのは女難の相があると言った。続いて真面目で嘘が苦手だね。その点では、営業には向かない。

 何かの研究に没頭する研究者肌だねと言い、でも人には好かれて助けてくれる。争いごとや面倒な事は嫌いなタイプで、お金が、ついてくるタイプだと笑いながら言い、でも手相を見る料金は、入らないから、心配しなくても良いわよと、笑いながら言った。やがて0時近くなりスナックを出て、みんなと別れホテルに入り休んだ。

 翌朝10時にホテルを出て14時に日本電気の研究所に帰り報告書を提出した。日本電気に勤めてる仲間で近くに住んでいる人で土地持ちの人をさがしてると池田益子さんが、新横浜の郊外に実家があり現在、両親、2人で住んでいて、離れは、以前に祖父母夫妻が住んでいたが亡くなり、空き家になってると教えてくれた。

 御覧になりますかと聞かれ、是非と言うと実家に連絡してくれ、7月5日ならOKと言われた話した。そこで1981年7月5日、池田益子さんのアパートへ迎えに行き、彼女の実家に10時に到着。離れは、以前、曾祖父母が住んでいたが亡くなり荷物置き場になってると言った。

 しかし農地なので売れないくて困っていた様だ。借りたいと思っていますので、御両親に聞いてもらえるかと池田益子さんにお願いした。4日後、7月5日、日野家を訪問すると改修費用など全額支払ってもらい、月6万円で4LDKの部屋を貸すと言った。
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