裕福な同居人

ハリマオ65

文字の大きさ
上 下
6 / 20

6話:飯能で若隠居。ほんとに結婚してくれるの?

しおりを挟む

 池田は51歳で会社を退職し、埼玉県の自然豊かな東飯能の町に引越した。そしてひっそりと生活を続けた。2001年9月、月5万の2DKアパートに引っ越した。暇な、夏の一日を過ごしていた。

 日常生活にも飽きが来た頃、近くのアパートにシングルマザーの佐藤幸恵さん32歳とその子供さんの佐藤恵子10歳と佐藤孝夫12歳に住んでいた。母がいない昼間に佐藤孝夫と佐藤恵子が1人ぼっちの池田松男を見て、おじさん何やってるのと聞いた。

 働き過ぎたから、今、休んでいるのと言うと、佐藤孝夫が、ゆっくり休めて羨ましいなーとつぶやいた。池田松男が働かないと、お金が入ってこないし、そんなり楽じゃよーと言うと不思議そうな顔をしてみていた。

 池田の人なつっこい笑顔や子供好きの性格もあり子供達がなついてきて母が帰ってくるまでおじさん所で待っていて良いと聞くので構わないよと笑いながら言った。その後、おやつを食べたり宿題をしたり食事をするようになった。母の佐藤幸恵さんは、朝から夜8時まで働きづめの生活らしい。

 そこで居心地の良い池田の家に、いつしか子供達が入り浸るようになった。しかし池田が嫌な顔一つせずに子供達を可愛がっていて子供達も遠慮なく甘えていた。また池田が見たこともないパソコンを持っていて、料理も上手だった。

 子供の目には興味深く文句一つ言われないので我が家の様にくつろいでいた。そんなある日、パソコンを使って、株の投資しているところを見られた。長男の佐藤孝夫がパソコンに興味を持ち、また数学が大得意で特に計算好きで株の売買に興味を持った。

 それを聞いた池田は株の取引をしてる所を見せた。そして池田松男の料理が上手で、うまい食事をご馳走になるようになった。そして母が仕事から帰ってくる夜8時頃まで池田の家に、頻繁にくる様になった。

 池田は、1人で、ぽつんとしているよりは、にぎやかな方が好きで得意の中華料理や餃子、回鍋肉、青椒肉絲、圧力鍋を使った、鶏手羽煮込み、豚の角煮などを、多めにつくっておいて彼らが来るのを楽しみにしていた。

 すると佐藤幸恵さんがいつも申し訳ありませんと言って一緒に夕食をとる様になり、お金も請求することなく、いつもニコニコしている池田松男を見て、ある夏の日、ビールを飲んでいたとき、佐藤幸恵が自分の身の上、話をし始めた。

 彼女は関西出身で実家がお好み焼き屋をして店が繁盛して裕福な子供時代を過ごして名門女子校、名門女子大を出、順風満帆の青春時代を送っていた。お父さんは積極的に店を拡大してアルバイトを雇って30店のお好み焼き屋が盛況だった。そんな夏の日、店で食中毒が起きた。

 腹を壊した相手がヤクザ風の男で因縁を付けて最初は多額の賠償金を取られ続いて弁護士と称する男が出て来て訴訟を起こしぞと脅かされ、言葉巧みに店の買収の同意書にサインさせられて会社ごと乗っ取られた。

 それから奈落の底に落とされてしまい大阪を後にして埼玉の郊外に家を借りた。そこで細々と小さなお好み焼き屋を始めて2年して、父が突然、脳梗塞で倒れた。半年で心筋梗塞になり、あっけなく亡くなってしまった。

 子供は、私一人だったので一家離散の状態になり、私は一人で近くのスーパーで働いた。数年後、そこのスーパーの店長と仲良くなり結婚して子供と2人儲けて、これから幸せを掴もうと頑張っていた時、突然、旦那さんが、交通事故の巻き添えで死亡した。

 若くしてシングルマザーになったと身の上話をした。そこで、池田松男も自分の人生とトップセールスマン時代の事、2000年からの不況で部下を解雇しろとの命令に嫌気がさして早期退職した話を打ち明けて意気投合した。

 その後も親しい付き合いが続いた2001年12月24日クリスマスパーティをしているとき彼女の娘の佐藤恵子10歳が池田松男さんが、本当のお父さんになってくれたら良いなーと言ったのに、驚かされた。

 その言葉に対して僕は良いが、お母さんが、どう思ってるかが重要だと笑って誤魔化した。じゃー、私、お母さんを説得すると笑いながら言うので、お母さんが良いなら、私も大歓迎だと笑って返した。しばらくして2001年が終わり2002年を迎えた。

 2002年の3月14日にの誕生日パーティで佐藤恵子さんと佐藤孝夫の兄弟に、突然、お母さんと結婚しくもらえませんかと言われた。これには池田松男も佐藤幸恵も驚いて何てこと言い出すんだと言った。

 すると佐藤恵子が、おじさんは今年51歳を迎えて1人の老後は辛いでしょ、また、お母さんも子供達が独り立ちしたんだから、気兼ねなく松男おじさんと一緒になって楽しい人生を歩んで欲しいんだと言った。

 そして恵子さんが、お母さんに松男さん嫌いなのと聞くと、そんな事ないと答え、好きですよと言った。じゃーこれで決まり。次に孝夫が松男おじさんは、どうなのと聞いた。松男は、こんな年寄りに嫁に来てくれる物好きな人なんていないだろと言い無理しなくても良いんだよ幸恵さんに告げた。

 幸恵は笑いながら、「どうしようかなーと言い、私も1人ぼっちの老後さみしいから結婚しようかな」とつぶやいた。子供達が拍手して松男が本当に結婚してくれるのかいと聞き返すと、えー結婚しましょーと松男に抱き付いた。

 この答えが本当にうれしかったのか松男が、まだ一度も見せたことのない大粒の涙を浮かべ、やがて頬を伝って流れ落ちた。すると幸恵も抱き付いたまま、うれし泣きした。翌月の2002年4月12日の日曜、近くの結婚式場で内輪で結婚式をあげた。

結婚後、駅から遠くなっても広い4DKの貸家を探し始めて2002年5月7日に飯能駅から車で10分の4LDK・96m2の貸家・築20年を月に8万円で借り、各人1部屋ずつ使える様にして、駅まで、自転車で20分で行けるように自転車を3台買いそろた。

 更に中古車を100万円で購入。池田松男と幸恵の給料が年180万円で家賃が114万円。生活が厳しいと思われた。しかし退職金3600万円と預金が1500万円の合計5100万円あり毎年300万円を取り崩しても17年持つので当面はやっていけると考えた。

 池田松男は飯能の駅前の進学塾の講師として平日の14時から17時、土日の朝10時から15時で水曜日定休日で月に15万円の給料で働いた。池田孝夫は2006年に育英会奨学金を借りて立教大学短大を卒業した。就職先を探し歩き池袋のベンツの営業所で就職試験を受け合格した。

そして池袋に引っ越して働き出した。その2年後の2008年3月に友人の紹介で知り合った鬼頭麻衣子さんと結婚した。池田恵子が2009年3月に地元の商業高校を卒業し4月に近くの銀行に採用され働き出した。

 2009年5月に家から職場が遠いので飯能駅と勤務している銀行に近いのアパートに引っ越し2009年7月、池田松男と幸恵は2人きりになった。そこで、もっと便利の良い飯能駅から徒歩5分の3DKの家賃、月7万円のマンションに引っ越した。

 妻の幸恵に何とかなるさと言い、ゆっくり生きていこうと話すと幸恵が、お金大丈夫と聞くので余程のことがなければ大丈夫と答えた。池田恵子が2009年3月に地元の商業高校を卒業し4月に近くの銀行に採用された。

そこで働き出し彼女も同じの銀行の行員、山下達夫さんと仲良くなり2010年6月に結婚して山下恵子になり、飯能駅前のマンションに移り住んだ。その後、山下家で2009年8月22日、長女の山下織江が誕生した。
しおりを挟む

処理中です...