瀬戸内の勝負師

ハリマオ65

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22話:地区集会場建設、NECの研修

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 キッチンとトイレ、風呂は、その家にくっつける形で、外側に作るつもりだと言い、男性用トイレと女性用トイレを5つずつを考えていると説明。できたら、午前、午後、夜の3交代制で責任者を置きたいと、小山田が、話した。すると、溝口さんが、その方が長続きするはずだと、同調していくれた。営業時間は、8時から21時までとしたいと言うと、異論はなかった。その後、健一が、その頃、就職活動の一環として就職希望する先を探すためインターンシップを先を決めた。

 そこで、健一も自分か就職希望するNECに行きインターンシップをお願いしたいと言うと、後日、面談して決めたいと言われた。そして7月18日10時に本社人事部に来て下さいと言われた。7月18日10時前に、NEC本社人事部に行くと、別室へ案内された。人事部の2人の男性に、志望理由を聞かれ、これからソフトウェアが大事な世の中になるので、大学で勉強している事をNECのソフトウェア開発に生かしたいと告げた。頼もしいねと言われ、インターンシップを希望しますというとOKしてくれた。日程は、今年の夏休み7月28日から8月29日の1ヶ月間となった。

 やがて、7月28日となり、バスで横浜に出て、東横線に乗り換え武蔵小杉で降りて、NEC玉川事業所に行くと、最初にソフトウェアの能力テストをしたいと言うので30分程テストをした。これでレベルがわかったと言い、泉田課長を呼んで、そのグループでインターンシップをする事になった。仕事内容は、上司から、ソフトの一部を作成して、提出することだった。翌日9時に出社するように言われ、通勤列車で20分で通い始めた。

 上司からの依頼は、簡単なソフトウェアの末端を描く仕事だった。しかし、グループ内のコミュニケーションの取り方、挨拶の仕方、話の仕方などを懇切丁寧に、教えてもらった。ビルの屋上のビアホールにも数回、連れて行ってもらい、夕飯をご馳走になる事もしばしばあり、美人の女性もいたので楽しかった。そんな楽しい、興味深いNECでのインターンシップも終了し、来年も来れば、採用の可能性が高いかもよと、お別れパーティーの席で、先輩に肩をたたかれた。

 はい、わかりました、来年も来たいと思いますと言うと、その意気だと笑いながら言った。そして、ビールを何杯ものんで、飲み過ぎたのを見て、泉田課長が、珈琲を飲んで帰ろうかと言い、喫茶店に入った。そこで、将来、ソフトウェアのニーズは、必ず高まる、そのために、プログラマーの数が足らなくはずだと言った。だから小山田君には、プログラマーとしての資質だけでなく、指導者としての資質をつけて、NECを引っ張っていける社員になって欲しいと言われた。

 あまりにも情熱的に語ってくれ、のせられて、是非、泉田課長の下で働きたいですと答えてしまった。すると、笑いながら約束だぞと言い握手して別れた。富島社長が、今年も不景気なのか、新しい家の建築が少なく手間のかからない修理が多いと話した。そこで、ここに多くの作業員を投入でき、予想より1ヶ月位、早く、8月中に、作業をを終えられるかも知れないと話していた。ただし、梅雨の長さにもよるから、まだ、確定したというわけではないがねと語った。

 まさにその通りに、2003年8月8日21時半頃、中心気圧950泊とパスカル、最大風速40メートルの強い勢力を保ったまま、高知県室戸市付近に上陸。さらに、8月9日6時頃、中心気圧は970ヘクトパスカル、最大風速30メートルの勢力を保って、兵庫県西宮市付近に再上陸した。岡山件邑久町175ミリの大雨をもたらした。幸いなことに、この土地が坂道の上にある高台に位置していたため、海水が押し寄せることはなかった。

 しかし、大雨で2週間近く、工事が遅れることになった。8月20日過ぎ、家の新築工事を再開できた。8月26日、庭に細かい砂利と砂を入れた。また車の通る場所と10台止められる駐車場は、アスファルトを敷き詰めて、8月28日に完全に工事が終了した。そして、家の建築費2300万円と古屋解体と庭の整備費用を会わせて2500万円を支払った。その他、子供達に1000万円貸し、2003年、総合計3500万円を支払った。
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