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18話:結婚式と範子さんのM物産へ就職、山倉の子供誕生

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 すると加藤さんが、今日は、本当にありがとうと言って床に入ったので良かったですねと告げ、竜二と範子は帰っていった。その後、加藤さんから電話で1974年6月に八王子で加藤さんと香織さんの結婚式をするので参加してと連絡が入った。

 数日後、結婚式の招待状が届き、1974年6月12日昼からと書いてあった。すぐに、参加の返信を送った。その後1974年4月に範子さんが上智大学を卒業してM物産に入社した。そして同じ年の香織さんは地元の橫浜銀行に入行。

 その後、橫浜営業所に配属された。毎日、橋本駅まで竜二が送り迎えする事になり通勤時間が1時間かかった。その後、お金が出来たら早めに結婚したいと言った。その結婚の話を両親に話すと通勤の事を考えると仕方ないかと承諾してくれた。

 その後も竜二はトラックで配送とお中元、歳暮、川魚、山菜、タケノコなどの行商をし手取り年200~250万円を稼いだ。1974年6月12日に竜二と範子さんが加藤さんと香織さんの結婚式に出かけた和式の結婚式を見て範子さんも早く結婚式を挙げたいと考えた。

そして結婚式の多くの写真を撮って加藤さんと香織さんにも焼き回して写真を差し上げた。その後、範子さんも結婚式を上げたいと言い、月17日に橫浜のホテル結婚式を挙げることを決めて案内を送った。 今年の夏は暑く、家のクーラーの前で過ごしていた。

やがて9月16日に竜二と範子さんが橫浜のホテルに泊まって翌日の結婚式にそなえた。朝起きて海が見えるレストランで朝食をとり10時から衣装合わせと打ち合わせを始めて11時から様式の結婚式場でウエディングドレスとタキシードに着替えた。

 11時には全員がそろいバージンロードを歩いて指輪交換も終えてブーケ・トスで結婚式を終えて海の見える披露宴会場で洋食が出された。司会を加藤さんと香織さんにお願いした。

 そして余興の時に加藤さんの横笛と香織さんと卒業のテーマを歌ってもらうと会場は水をうったような静寂に包まれ,終わると、われんばかりの拍手だった。その晩も同じホテルに泊まり、翌日高速バスで羽田へ行き2泊3日の北海道・新婚旅行に出かけた。

 小樽に1泊し硝子工芸の店をまわり小樽運河を散策して昼食は寿司屋に入り新鮮な寿司をいただいた。そして札幌に移動し、札幌に1泊、2日目は札幌の大通公園、円山公園、動物園、藻岩山、北海道神宮を散策した。

 昼食に名物のスープカレーを食べてた。最終日は10時前にホテルを出て列車で千歳空港へ行き12時半の羽田行きに乗って15時に羽田について17時過ぎに自宅に帰った。翌日は北海道土産を持って木村香織さんと近くの結婚式に来ていただいた人の家に土産を配った。

 その後、10月17日に範子が気持ちが悪いと言って流しで食べたものを吐いた。様子が、おかしいので産婦人科に行くと、妊娠とわかり、予定日が1975年4月17日と判明。

 その知らせを木村家と山倉家に連絡すると大喜びしてくれた。もちろん結婚したばかりの加藤さんと奥さんの香織さんに連絡すると加藤さんが、先を越されたと笑いながら祝ってくれた。そして1973年が終わり1974年を迎えた。

 その後、正月早々に香織さんが妊娠したと加藤さんから連絡があり出産予定日が6月12日だと言った。その後、1974年12月に竜二はソニー株を500円で4万株買い残金が1766万円となった。

 1975年4月17日に山倉家では3kg近い元気な男の赤ちゃんが誕生し、山倉肇と名付けた。そして実家で当分、生活してから離れへ行きなさいと言われ、本家の大広間の壁に山倉肇と署名を貼りだした。

 そして親戚が多くのお土産を持って山倉肇の顔を見に来ては、多くの写真を撮るので、ずっと泣いていたので母の範子さんが、おっぱいを与えると,安心して泣き止んで寝てしまった。

 その後、約1年間、山倉肇は本家の部屋で3人で生活していった。一方、6月12日に加藤家でも大きな男の赤ちゃんが誕生し加藤和男と名付け奥さんの実家の相模湖駅近くの矢島家の屋敷で加藤夫妻が赤ちゃんが少し大きくなるまで間借りして生活を始めた。
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