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20話:子供達の教育のための引っ越しと家作り

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 その後、資産の分散をはかりノートに詳しく金額と満期日を入れた表を作成して管理を始めた。それでも手元に2320万円と奥さんの範子さんの資産が残った。1982年に竜二の長男の山倉肇と加藤の長男の加藤和男もそれぞれ地元の小学校へ通い始めた。

 集団登校で小学校の先輩達について通う姿を見て、我が子ながら、逞しくなったと目を細めて喜んだ。その後、株投資の方では、1984年8月29日にトヨタ株を1480円で6万株売り税引き路利益が4430万円となり投資残高が5630万円となった。

 1985年3月4日にソニー株を5000円で6万株を売り、税引き路利益が17750万円となり投資残高が23380万円となった。そして1987年4月15日ソニー株が下げてきたので2580円で4万株を10320万円で買い1885万円となった。

 1989年10月11日にソニー株を9400円で4万株を売り、税引き後利益が21814万円となり投資残高が23700万円となった。その他2億円の資産ができて、竜二は仕事を辞める事を決心して奥さんに伝えると了解してくれた。

 1989年11月6日に範子さんが竜二に、資産が、これだけ増えたから子供達に良い教育を受けさせたいと言いだした。それには、東京の名門校に通わせるために橫浜市港北区日吉の慶応大学の近くに引っ越したいと言った。

 そして現在、住んでいる相模原市川尻の実家の離れて住めるようにしたいと言った。また、以前、加藤さんの奥さんの香織さんと話した時に、やはり長男の加藤和男君に良い教育を受けさせたいと語った。竜二が、俺も加藤さんとも話してみると奥さんに答えた。

 その晩、加藤さんに電話して、1月8日、午前10時に加藤さんの家に行き子供の進学の話をすると、確かに子供には良い教育を受けさせたいから橫浜の日吉あたりは良いかも知れないと告げられた。

 1月12日の日曜日に山倉竜二夫妻と加藤夫妻4人で日吉に出かけた。日曜日の朝、橋本駅で午前10時に待ち合わせ、橫浜線の菊名駅、経由で約1時間で日吉駅に着いた。あらかじめ不動産屋に迎えに来てもらった。

 最初に、駅から近いマンションも見せてもらったが、マンションがなじめなくて土地と中古の1軒屋も数件見せてもらいたいと要求した。すると日吉から2km東方向に元農家の古家もあり広くて良いが整地して家を建てるのにはかなりの費用がかかると言われた。

 そこで具体的にプランを聞くと、土地100坪で坪60万円として6千万円、50坪の一軒家で1棟6千万円で2棟で1億円、それに整備費用が、プラス2千万円の1.9億円だと言った。

 もっと大きな土地はないのかと聞くと120坪、150坪の古家付きで4~5千万円で現状渡し物件もあると話した。そこに格安住宅でも建坪50坪の3階建てなら最低でも5千万円はかかり2軒で1億円と言われた。

 お客さんの予算はと聞かれて2軒で1億円と言うと厳しい答えた。この話を聞き、郊外でも車があれば、不便は感じませんよと不動産屋が笑いながら言った。この話を聞き、加藤さんと竜二が、確かに郊外の大きな農家と言っても日吉、綱島まで車で15分以内とわかり安心した。

 そこで大きな車道沿いの80坪と70坪の古家と道から少し入った100坪を超える3軒の農家を見せてくれた。土地の値段は5軒とも、ほぼ同じ3千万円前後だと言った。加藤さんが道沿いは建ぺい率200%でしょと告げた。

 すると、よく御存知ですねと言い、奥の方はと聞くと100%だと教えてくれた。それなら大きな道沿いの土地に大きな家を2軒、建てた方が良いじゃないかと加藤さんが言うと不動産屋が全くその通りと言った。

 いつ頃までに答えが欲しいと不動産屋に加藤さんが聞くと急がなくても大丈夫だと言った。加藤さんが、考えてから、連絡するというと、じゃー日吉の慶応大学と法政大学を見せて上げましょうと言い車で各大学を案内してくれた。

 車から慶応のキャンパスの景色を見ると範子さんと香織さんが素晴らしい環境だわと言い絶対こう言う学校に入れたいと語った。すると加藤さんが入った学校のレベルが高いと,そりゃー勉強するよと笑いながら言った。
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