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18話:子供の進路と留学
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すると和子は納得いかないようで、悔しがった。その後も問題集を中心に間違えたところを復習した。1992年の10月の一斉共通テストで一郎が18番、和子が16番と再度、逆転した。そして、両者とも希望する高校の合格確率が80%を越えて、安全圏内になった。しかし、その後も兄弟のライバル意識が強く、努力して、テストの日を迎えた。
その結果、1993年3月に海藤一郎は、東京都立小山台高校、海藤和子は東京都立駒場高校に合格。高校に入学し、海藤一郎は、中距離が強く、陸上部に入ぶ。海藤和子は、バスケット部に入り、補欠メンバーになり、ベンチに入る時もあった。その後も進学塾に2人で通って、一斉テストを受けていた。その後、海藤一郎は、これからの時代はコンピューターだと言い志望校を東工大が橫浜国大、早稲田に絞って勉強を開始した。
和子の方は、慶応大か、東京都立大学の商学部を希望していた。そして1994年4月の予備校の一斉テストで海藤一郎は東工大の合格確率70%橫浜国立大学理工学75%、海藤和子は、慶応大が75%、東京都立大学の商学部75%だった。その後、希望大学の過去の受験問題集を買い込んで、その傾向を調べて、対策を打った。
そして高校2年1995年4月の予備校の一斉テストで海藤一郎は東工大の合格確率75%橫浜国立大学理工学80%、海藤和子は、慶応大が80%、東京都立大学の商学部80%となった。そんな1995年6月13日、夜に、久しぶりに内藤哲人から海藤努に電話が入り、買い値は3800円で良いと思うと教えてくれた。
早速、翌朝、気配値がもっと下だったので成行で3千株買いを入れ3780円で3千株を1134万円で買えた。そして1996年2月の大学受験の月を迎えて、体調管理に気をつけて、風邪をひかずに、2人とも受験できた。その結果、希望校、全て合格でき、海藤一郎は東工大工学部電子工学科を選び、海藤和子は慶応大学商学部を選んだ。
1996年4月に合格祝いの会を自宅で開き、合格祝いに何が欲しいと聞くと、海藤和子が、最初に聞くけど、何でも良いのと、意味深な質問してきたので、母の智惠さんが、持ったぶらずに何が欲しいのよと聞くと、米国夏休みの短期留学に行きたいと言った。すると、あっさりと良いわよと言い、いくらかかるのと聞くと、約百万円、私、アルバイトして自分の小遣いは貯めるからと、お願いと言った。
今度は、一郎に、同じ事を聞くと、僕はパーソナルコンピュータが欲しいと言い、いくらするのと聞くと、PC9821La10モデルA、コンピューター本体44万円、ディスプレイ25万円、プリンター5万円、イメージスキャナー10万円、ソフトウェア15万円で総合計百万円だと言った。了解、何とかしましょうと言った。
1997年になり、7月15日から長女の海藤和子が、うれしそうに、大きなボストンバッグに旅行の着替えや化粧道具など多くの物を詰め込んだ。その後、父の海藤努に、成田空港まで、運んでと頼んだ。既に先月から話していたので、母の智惠さんも有給休暇をとって、朝6時過ぎに家を出て高速道路を飛ばして7時過ぎには成田空港に到着。
和子が、お茶していかないというのを振り切って、父が、気をつけてなと言いうと、母の智惠さんが、はい、これと封筒を渡し、飛行機の中ででも読んでねと渡した。そして海外へ出かけて行った。そして2日後の夜23時頃、海藤和子から電話が入り、やっと、ボストンに到着して学生寮から電話してると言い、母の智惠さんに代わると、しばらく話してると、智惠さんが大粒の涙を流してるではないか、耳をそばだてて聞いてると、先方の和子も泣いてるようだった。
その結果、1993年3月に海藤一郎は、東京都立小山台高校、海藤和子は東京都立駒場高校に合格。高校に入学し、海藤一郎は、中距離が強く、陸上部に入ぶ。海藤和子は、バスケット部に入り、補欠メンバーになり、ベンチに入る時もあった。その後も進学塾に2人で通って、一斉テストを受けていた。その後、海藤一郎は、これからの時代はコンピューターだと言い志望校を東工大が橫浜国大、早稲田に絞って勉強を開始した。
和子の方は、慶応大か、東京都立大学の商学部を希望していた。そして1994年4月の予備校の一斉テストで海藤一郎は東工大の合格確率70%橫浜国立大学理工学75%、海藤和子は、慶応大が75%、東京都立大学の商学部75%だった。その後、希望大学の過去の受験問題集を買い込んで、その傾向を調べて、対策を打った。
そして高校2年1995年4月の予備校の一斉テストで海藤一郎は東工大の合格確率75%橫浜国立大学理工学80%、海藤和子は、慶応大が80%、東京都立大学の商学部80%となった。そんな1995年6月13日、夜に、久しぶりに内藤哲人から海藤努に電話が入り、買い値は3800円で良いと思うと教えてくれた。
早速、翌朝、気配値がもっと下だったので成行で3千株買いを入れ3780円で3千株を1134万円で買えた。そして1996年2月の大学受験の月を迎えて、体調管理に気をつけて、風邪をひかずに、2人とも受験できた。その結果、希望校、全て合格でき、海藤一郎は東工大工学部電子工学科を選び、海藤和子は慶応大学商学部を選んだ。
1996年4月に合格祝いの会を自宅で開き、合格祝いに何が欲しいと聞くと、海藤和子が、最初に聞くけど、何でも良いのと、意味深な質問してきたので、母の智惠さんが、持ったぶらずに何が欲しいのよと聞くと、米国夏休みの短期留学に行きたいと言った。すると、あっさりと良いわよと言い、いくらかかるのと聞くと、約百万円、私、アルバイトして自分の小遣いは貯めるからと、お願いと言った。
今度は、一郎に、同じ事を聞くと、僕はパーソナルコンピュータが欲しいと言い、いくらするのと聞くと、PC9821La10モデルA、コンピューター本体44万円、ディスプレイ25万円、プリンター5万円、イメージスキャナー10万円、ソフトウェア15万円で総合計百万円だと言った。了解、何とかしましょうと言った。
1997年になり、7月15日から長女の海藤和子が、うれしそうに、大きなボストンバッグに旅行の着替えや化粧道具など多くの物を詰め込んだ。その後、父の海藤努に、成田空港まで、運んでと頼んだ。既に先月から話していたので、母の智惠さんも有給休暇をとって、朝6時過ぎに家を出て高速道路を飛ばして7時過ぎには成田空港に到着。
和子が、お茶していかないというのを振り切って、父が、気をつけてなと言いうと、母の智惠さんが、はい、これと封筒を渡し、飛行機の中ででも読んでねと渡した。そして海外へ出かけて行った。そして2日後の夜23時頃、海藤和子から電話が入り、やっと、ボストンに到着して学生寮から電話してると言い、母の智惠さんに代わると、しばらく話してると、智惠さんが大粒の涙を流してるではないか、耳をそばだてて聞いてると、先方の和子も泣いてるようだった。
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