殺人鬼と僕。

横トルネード

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目が覚めた。覚めてしまった。
体を起こすと、僕は全裸だった。
それに薄い布団がかけられてあった。布団は少し汚れていたが気にも止めなかった。

なんで生きてるの。

ここはどこと言う前にそんなことを思ってしまった。
なんて生きる気力がない奴だろうと僕は自嘲した。
意外と人間はしぶといようで、栄養失調でガリガリに痩せこけた上、所々治療をしてなかった傷だらけの体で半日以上雨に濡れたままであっても生きるのだ。
今証明がなされてしまった。

布団を握りしめて思い倦ねていたら、人の気配がした。
顔を上げると見知らぬ男がいた。
亜麻色と胡桃色が混ざったような金色の長髪。
前髪は真ん中で分けていて、分けられた髪は少しうねうねとカーブをしていた。
目は至極色をしていて、初めて見るような綺麗な色だったので、じっと見ていると男は目を細めた。

「おはよ」

僕は首を傾げた。声は雨の夜に出会った人のものと酷似していたのだった。

男から目を離して、一旦周りを見てみると、1つの部屋のようで最低限の明かりがカーテンの間から漏れていた。

「おい」

僕が目の前の男を無視したからか、声を荒げて男は僕の頬を持ってそちらに向かせた。再び男と目が合った。
吸い込まれそうな綺麗な紫色。
じっと見ていると男はまた目を細めた。

「聞いてんのかお前」

僕は男を見ていた。だんまりを続けてもこの体勢のままだろうと思って口を開く。

「聞いてるよ」

「だったら早く返事をしろ」

また男は言って、そして僕の頬を掴んでいた手を離した。
僕はまた首を傾げた。これはなんだと叫びたかった。
男には僕の考えなど伝わっていないようで、部屋の奥へ行った。扉を開けて閉める音が聞こえた。
この部屋以外にも部屋があるらしい。玄関の扉のような重苦しい音ではなかった気がした。

そうして僕は溜息をついて呟いた。

「本当に」

なんで生きてるんだろう。

続きは声に出さず心の中で言った。

そもそもなんでこんな所にいるのだろう。それがおかしいのかと今更ながら気づいた。きっと男の気まぐれに違いない。男の変な趣味に違いない。
普通だったらこんな僕みたいな変な人間を部屋に上げないだろう。普通ならその辺の警察に突き出したりするはずである。何故それが普通かと問われると分からないのだが。


僕はベッドに寝っ転がった。普通の人からしたら粗末なんだろうけど、僕にとっては十分上物だと思える。
ベッドの心地よさに僕はまた夢の世界へと旅立とうとするが、その最悪なタイミングで奥の扉が開くのであった。

僕は寝っ転がったまま扉の方を見やった。男が入って来る。男は片方の手にトレーを、もう片方には青い布を持っていた。

男はトレーを部屋の真ん中のテーブルに置いた。トレーにはいくらかのサンドイッチと透明な液体の入ったコップが2個置いてあった。
男は布を持って僕の方へ来た。

「いつまでも裸じゃ困る」

そう言うと、男は布を僕の目の前に置いた。僕は起き上がって畳まれた布を広げてみると、僕には大きい青色のパーカーだった。それを上から被って着た。

「これでいい?」

僕が問いかけるとベッドの脇で僕を見下ろしていた男は頷いた。そして振り返って行って男はテーブルの前に座った。そしてこっちに来いと言うように僕を見た。

僕はベッドから出て男の近くに来て立ち尽くした。男はテーブルの向かい側を指差した。座れと言うことなのだろう。僕は座った。

「食え」

男がサンドイッチを僕に差し出した。僕がボーっとしているとギロッと睨んできたので急いで受け取る。

「いただきます」

僕はそう言って一口食んだ。
パンが少し硬かったがそう言うものだろうと思った。
不思議なことに、一口食べるともう一口、もう一口…と食べてしまって、僕が受け取ったサンドイッチは一瞬で姿を消したのだった。
男はその様子を見ていたようで、もう一つ僕に差し出して来た。僕は今度は直ぐに受け取って、1分とかからずに平らげたのであった。


「それで」

僕が食べ終わって、コップの水を飲み干した後。
僕は目の前の男を見上げた。男はもう食べ終わったようで、残りのサンドイッチは無くなっていた。
僕は首を傾げると男は続けた。

「あんた名前は?」

僕は男をじっと見た。男の表情に怪しい所は見受けられなかった。正直に言おうか言うまいか悩んだ。一応、この男は命の恩人ではあるから。

「なんで助けたの」

しばし考え、僕は聞き返した。ちゃんと質問に答えなかったが、男は表情を変えなかった。とても不思議に思った。
少しの沈黙。

そして男は口を開けた。

「…分からない」

「…ぷっ」

男の答えにどうしようもない笑いがこみ上げて、しばらくの間僕は笑いこけた。男はそんな僕を目を細めながら眺めているのだった。



「…あー笑った」

僕は水が溜まった目尻を指で拭い、男を見上げた。男は少し口角を上げていた。男は無性髭が目立つが元々は端正な顔立ちであるため、その微笑みは綺麗であった。
思わず僕は無性髭があるのが勿体ないと思ってしまった。

「何処から来た?」

僕がふぅっと溜息をついた後、男はまた問いかけた。

「…B区だよ」

僕は少し間を置いて言った。本当の事だ。


少しこの国について語ろう。
この国は小さい故に、A区からE区までの5つの区に分けられている。A区は王家または王家の血を継ぐ貴族達の住処で、B区は上流貴族、C区は一般市民、D区は貧民と言うように自分の立場によって分けられている。
ちなみにE区はゴミだめのような場所で、D区のその下ということになる。D区の人間でさえも近づかない所だ。

僕は所謂人身売買で商品としてB区に居ただけだった。
5、6年ほどB区のとある家にいたが、なにやら大きなトラブルがあったらしく、その混乱の中逃げ出すことに成功したが、勿論僕は無一文だった訳で──。
あの雨の夜に至るのであった。


男は僕を見つめて来た。僕も見つめ返す。そして重々しそうに男は口を開いた。


「ユンホ家の人間か」


ユンホ家。B区の中では一際目立つ存在であったと言える。人身売買で見目形の良いD区以下の人間を買ってはおもちゃにするクズ供だった。本当に、殺してやりたいくらいだった。
僕はその胸中の思いを男に話すべきか思案していると、男は満足気な顔を浮かべた。

「ユンホ家から逃げたのはお前だな」

僕は黙った。図星だったからだ。男を見る。
そうしていると、時間があまり経ってはいないのだろうが、もうずっと何時間も男を見ているような気分になってむず痒い気持ちになった。思わず目を逸らした。

「あぁ、うん。そうだね。それで?あなたは僕をどうするの?」

僕は目を逸らしたまま言った。だから男は今どんな表情かは分からない。男が溜息をついて、ボソッと言った。

「トドメを刺そうと思ったがやめた」

多分きっと、あの雨の夜の事を言っているのだろう。

まるで僕のことはいつでも殺せるんだぞとでも言いたげに。

俺の気まぐれでいつでもお前は死ねるんだ、僕はそう解釈したのだった。
この僕の生の終わりはこの人の手によってなのかと思って安心した自分がいてドギマギした。男はじとっと今度は伏せてしまった僕を除きこむようにしていた。
僕は顔を上げると、男と再び目があった。意を決して僕は確信に迫ろうとした。

「あなたはもしかして」

ここで躊躇った。続きが出てこない。口が餌を求め水面に出てくる鯉のようにパクパクと動いた。
男は眉をひそめた。

「何だ」

「あぁそう…あなたは僕の救世主?」

咄嗟に思いついた言葉をもう一度反芻して恥ずかしくなった。僕は頭を抱えた。
すると今度は男が笑い声を上げたのだった。

「くくっ…面白い事を言う。まぁB区よりは素敵な歓迎をしてやらんこともない」

僕がポカンとしていると男はまたくくくと笑ったのだった。
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