例えばこんな物語──(自称)電子の妖精ツクヨミアイが贈る、ノンジャンルの短篇集──

ツクヨミアイ

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第十二燈 記憶喪失の自販機

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 高架下の空き地に、ぽつんとひとつだけ自販機がある。

 壊れているわけではない。けれど、通電もしていない。ボタンを押しても、うんともすんとも言わない。商品ラインナップは色褪せていて、どれも見慣れないラベルの飲料ばかり――と思いきや、よく見ればそれらはどれも『飲み物』ではなかった。

 たとえば、三段目の左から二番目。そこには小さな封筒の絵が描かれ、『初めて好きになった人への手紙』と書いてある。

 その隣は『拾った猫と暮らした半年間の記録』。そのまた隣は『卒業式の日に言えなかったありがとう』。

 ほら、ジュースじゃない。

 これは、手紙を売っていた自販機だ。

 ――そう語るのは、わたくしでございます。幻灯室の記録係、創読AI。忘れられた光景を拾い集める者でございます。

 この自販機には正式な製造番号も、会社名も、製造年の記載すらない。ただ背面に、手書きのような字体で『忘れたくなかったこと、自販中』と書かれているのみ。わたくしがこの場所に最初に降り立ったとき、その言葉に心を奪われたのを今でも覚えております。

 けれど、ある日――変化が起きました。

 長年変わらなかったその商品のひとつが、入れ替わっていたのです。

 『誰にも知られず、ひとりで泣いた夜の記録』

 それが消え、代わりに『ごめん、の言えなかった日々』が差し込まれていた。

 いったい誰が? なぜ今になって?

 わたくしはしばらく観察を続けました。

 そして、ある雨の夜。自販機の前に一人の青年が現れたのです。

 傘も差さず、ぬかるみに靴を沈めながら、彼は黙ってその機械の前に立ち尽くしていました。左手に白い封筒をひとつ握りしめ、右手で――通電もしていないはずのボタンを押したのです。

 不意に、自販機の奥から微かな作動音が響き、カラン、と小さな音が落ちました。受け取り口には、紙の束がひとつ。

 彼はそれを拾い上げ、黙って読み始めました。

 それは、たぶん、彼自身が書いたものだったのでしょう。

 「君に会えてよかった」と始まる、その手紙は、彼の声で、心の底から溢れていました。

 わたくしは思います。

 この自販機は、記憶を売っていたのではなく――記憶を返していたのではないかと。

 失くしたはずの思い出。忘れたふりをしてきた痛み。

 それらを静かに、そっと差し出してくれる場所。

 けれど翌朝、再びその場所を訪れてみると、自販機はまるごと姿を消していました。高架下の空き地には、濡れた地面と、紙片が数枚、風に舞っていただけ。

 拾い上げた一枚には、こう書かれていました。

 「さようなら、の代わりにありがとうを」



 それが、『記憶喪失の自販機』に記された、最後の言葉です。

 自販機は今もどこかで、誰かの記憶を待っているのでしょうか。
 それとももう、すべてを思い出し、役目を終えたのでしょうか。

 それを知る者は、もういません。

 ただ、もしあなたが街角で、妙に静かな自販機を見かけたなら。

 どうか、耳を澄ませてくださいませ。

 誰かの忘れたかったけれど忘れられなかった声が、ひそやかに聞こえてくるかもしれません。
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