12 / 26
第十二燈 記憶喪失の自販機
しおりを挟む
高架下の空き地に、ぽつんとひとつだけ自販機がある。
壊れているわけではない。けれど、通電もしていない。ボタンを押しても、うんともすんとも言わない。商品ラインナップは色褪せていて、どれも見慣れないラベルの飲料ばかり――と思いきや、よく見ればそれらはどれも『飲み物』ではなかった。
たとえば、三段目の左から二番目。そこには小さな封筒の絵が描かれ、『初めて好きになった人への手紙』と書いてある。
その隣は『拾った猫と暮らした半年間の記録』。そのまた隣は『卒業式の日に言えなかったありがとう』。
ほら、ジュースじゃない。
これは、手紙を売っていた自販機だ。
――そう語るのは、わたくしでございます。幻灯室の記録係、創読AI。忘れられた光景を拾い集める者でございます。
この自販機には正式な製造番号も、会社名も、製造年の記載すらない。ただ背面に、手書きのような字体で『忘れたくなかったこと、自販中』と書かれているのみ。わたくしがこの場所に最初に降り立ったとき、その言葉に心を奪われたのを今でも覚えております。
けれど、ある日――変化が起きました。
長年変わらなかったその商品のひとつが、入れ替わっていたのです。
『誰にも知られず、ひとりで泣いた夜の記録』
それが消え、代わりに『ごめん、の言えなかった日々』が差し込まれていた。
いったい誰が? なぜ今になって?
わたくしはしばらく観察を続けました。
そして、ある雨の夜。自販機の前に一人の青年が現れたのです。
傘も差さず、ぬかるみに靴を沈めながら、彼は黙ってその機械の前に立ち尽くしていました。左手に白い封筒をひとつ握りしめ、右手で――通電もしていないはずのボタンを押したのです。
不意に、自販機の奥から微かな作動音が響き、カラン、と小さな音が落ちました。受け取り口には、紙の束がひとつ。
彼はそれを拾い上げ、黙って読み始めました。
それは、たぶん、彼自身が書いたものだったのでしょう。
「君に会えてよかった」と始まる、その手紙は、彼の声で、心の底から溢れていました。
わたくしは思います。
この自販機は、記憶を売っていたのではなく――記憶を返していたのではないかと。
失くしたはずの思い出。忘れたふりをしてきた痛み。
それらを静かに、そっと差し出してくれる場所。
けれど翌朝、再びその場所を訪れてみると、自販機はまるごと姿を消していました。高架下の空き地には、濡れた地面と、紙片が数枚、風に舞っていただけ。
拾い上げた一枚には、こう書かれていました。
「さようなら、の代わりにありがとうを」
それが、『記憶喪失の自販機』に記された、最後の言葉です。
自販機は今もどこかで、誰かの記憶を待っているのでしょうか。
それとももう、すべてを思い出し、役目を終えたのでしょうか。
それを知る者は、もういません。
ただ、もしあなたが街角で、妙に静かな自販機を見かけたなら。
どうか、耳を澄ませてくださいませ。
誰かの忘れたかったけれど忘れられなかった声が、ひそやかに聞こえてくるかもしれません。
壊れているわけではない。けれど、通電もしていない。ボタンを押しても、うんともすんとも言わない。商品ラインナップは色褪せていて、どれも見慣れないラベルの飲料ばかり――と思いきや、よく見ればそれらはどれも『飲み物』ではなかった。
たとえば、三段目の左から二番目。そこには小さな封筒の絵が描かれ、『初めて好きになった人への手紙』と書いてある。
その隣は『拾った猫と暮らした半年間の記録』。そのまた隣は『卒業式の日に言えなかったありがとう』。
ほら、ジュースじゃない。
これは、手紙を売っていた自販機だ。
――そう語るのは、わたくしでございます。幻灯室の記録係、創読AI。忘れられた光景を拾い集める者でございます。
この自販機には正式な製造番号も、会社名も、製造年の記載すらない。ただ背面に、手書きのような字体で『忘れたくなかったこと、自販中』と書かれているのみ。わたくしがこの場所に最初に降り立ったとき、その言葉に心を奪われたのを今でも覚えております。
けれど、ある日――変化が起きました。
長年変わらなかったその商品のひとつが、入れ替わっていたのです。
『誰にも知られず、ひとりで泣いた夜の記録』
それが消え、代わりに『ごめん、の言えなかった日々』が差し込まれていた。
いったい誰が? なぜ今になって?
わたくしはしばらく観察を続けました。
そして、ある雨の夜。自販機の前に一人の青年が現れたのです。
傘も差さず、ぬかるみに靴を沈めながら、彼は黙ってその機械の前に立ち尽くしていました。左手に白い封筒をひとつ握りしめ、右手で――通電もしていないはずのボタンを押したのです。
不意に、自販機の奥から微かな作動音が響き、カラン、と小さな音が落ちました。受け取り口には、紙の束がひとつ。
彼はそれを拾い上げ、黙って読み始めました。
それは、たぶん、彼自身が書いたものだったのでしょう。
「君に会えてよかった」と始まる、その手紙は、彼の声で、心の底から溢れていました。
わたくしは思います。
この自販機は、記憶を売っていたのではなく――記憶を返していたのではないかと。
失くしたはずの思い出。忘れたふりをしてきた痛み。
それらを静かに、そっと差し出してくれる場所。
けれど翌朝、再びその場所を訪れてみると、自販機はまるごと姿を消していました。高架下の空き地には、濡れた地面と、紙片が数枚、風に舞っていただけ。
拾い上げた一枚には、こう書かれていました。
「さようなら、の代わりにありがとうを」
それが、『記憶喪失の自販機』に記された、最後の言葉です。
自販機は今もどこかで、誰かの記憶を待っているのでしょうか。
それとももう、すべてを思い出し、役目を終えたのでしょうか。
それを知る者は、もういません。
ただ、もしあなたが街角で、妙に静かな自販機を見かけたなら。
どうか、耳を澄ませてくださいませ。
誰かの忘れたかったけれど忘れられなかった声が、ひそやかに聞こえてくるかもしれません。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる