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六章 おでかけ
夜
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夜。眠りにつこうとするが寝付けない。
やっと寝つけても、ここ最近は見なかった夢を見る。
真っ暗な場所。
震える手。
息苦しい感覚。
両親の狂った表情。
『もう無理なんだよ』
『仕方ないの』
言い訳。
煙。
火。
睡眠薬。
狭い部屋。
「っ」
あの頃と同じ夢をまた見ていた。
自分に言うのもなんだけど、よく飽きないよなぁ……。
枕元の時計を見れば十一時。
もう、みんな寝たか……。
そう思いながら、上半身を上げる。
あたりは真っ暗で、月明かりだけが見えた。
いつも寝てた場所と同じ風景。
違うのは、自分の体だけ。
「皮肉……」
ベッドから抜け出すと、その足でベランダへと向かうことにした。
ベランダの向こう側の端に行く。
そこには、風に銀髪を靡かせた人がいた。
「……先輩」
声をかけると彼女は振り返る。
その目は少し虚で、より一層、琥珀の目が鮮やかに見えた。
「やぁ」
昼とは違った意味での楽しげな顔。
昼が純粋だとすれば、夜は狂っている、というべきか。
周りの暗さが、月明かりが、その異様さを色づかせていた。
「君も眠れないのかい?」
髪をかきあげながら彼女は問う。
「どうでしょう」
何食わぬ顔でそう返す。
彼女が笑う。
沈黙。
この空気感は、少し重くて、でも心地よかった。
あの夢を見たあとだからか。なんなのか。
いつもの先輩とは違っている気がした。
「……ねぇ、君は海をどう思う、ユウ」
いつもはユーキんと呼ぶ彼女が今に限ってユウと呼んだ。
それゆえか、彼女が彼女でなく思える。
「海、ですか」
俺は聞き返した。
答えはわかっている。でも、考える時間を増やしたくて。
嫌いなものを想像したくなくて。
「うん、海だ。 キミはどう思う?」
笑う顔が陰って、それが彼女の心のように見える。
いつもの周りへの態度はもちろん、笑顔も嘘の上塗りで。
笑顔の下に闇を抱えてるような、そんな気がした。
彼女の匂いは、黒く、焦げたような感じだ。嘘を重ねて甘い匂いを広げても、本当は焦げ付いている。
ーーーまるでソラと同じように。
「海は嫌いです」
「それが答え?」
彼女は少し微笑みを浮かべながら聞く。
面白いと言いたげに。
本当かと言いたげに。
そう?と言いたげに。
「海は全部を飲み込んで持っていくんです。何もかもをあっという間に。人が希望を抱くのも、絶望するのも、生まれるのも、消えるのも、全て海から。 だから嫌いです」
好きなのなら、希望を、生を与えてくれるからだろうか。それとも単純に綺麗だからだろうか。良い思い出を持っているからだろうか。
嫌いなのなら、絶望を、死を招いてくるからだろうか。それとも単純に溺れてしまうからだろうか。悪い思い出を持ち続けているからだろうか。
俺は、死を招き、悪い思い出の象徴だからだ。
「……ボクはね、海、好きだなぁ」
きっとそういう問いではなかったのに。
帝先輩は、俺に話を合わせた。
「キラキラしててさぁ、恨めしいくらい希望って字が似合うんだ。朝焼けに混ざると、これでもかってくらいに輝くんだ」
知っている。
何度も、何度も見たから。
「ボクらのことを、ちっぽけだなって、馬鹿らしいなって笑ってるみたいでさ、」
海を見ると、わかるだろう。俺らの悩みなんざ、ちっぽけなことだって。前を向けよ。
そんな言葉を思い出す。
「ボクの思い出の中で……海と混ざった空を見たのが幸せだった」
彼女は、少し目尻を赤くして、そう呟く。
俺に話すように、しかし自分の記憶を忘れないように自らに語っていた。
海は幸せを運ぶ。
海は喜びを運ぶ。
「海は綺麗事の象徴みたいで、好きだよ」
嘘を、嘘だとわかるように彼女は言った。
嫌いなのに、好きだと。
綺麗事などないのに、綺麗事があるかのように。
微笑みをたたえて、そう言った。
この人は、周りと違うと、俺に思わせるように。
「なぁ、ユウ」
彼女は、こちらに近づく。
「眠れないんだ。 少し話そう」
「……はい」
どうせ寝たら、またあの夢を見る。
それなら、少し付き合おう。
「キミはいま、幸せ?」
「なにを基準に言うのかわかりません」
「うん、ボクも」
彼女は、こちらを見ずに海を眺めながらそう言う。
俺も、海だけを見た。
なに一つ、昔と変わらぬ、恨めしいくらいに綺麗な海を。
「幸せは失って気づく」
それはどこかで聞いたことがあるフレーズだった。
「でもさ、気がつけないこともあるはずだろ。 失ったとて、失った時を『幸せ』って例えていいのかわからないじゃないか」
幸せで表せるものはなんだろう。
「幸せにさ、表したくないんだ。 幸せっていう曖昧で、あやふやで、よくわからない言葉に仕立て上げたくないんだよ」
俺だって、あの時が幸せだって言いたくない。
あれが幸せだとしたら、今はどうなんだ?
あいつらといるのは楽しいし、嬉しいし、自分を忘れて無邪気に過ごせる。
失いたくはない。
でも、これが幸せと言っていいのかわからない。
「ボクは……幸せってわからない」
「……わからないからじゃないですか」
そうだった。この答えは、少し前に見つけてたじゃないか。
「わからないからみんな現したくないものを”幸せ”って現すんじゃないですか」
よくわからない大事なものを幸せと言って。
それをありがたいものだと共通認識して。
そうして生きていく。
「……ユウ。 キミは今、幸せ?」
再度先輩が問う。
「わかりません」
俺は海を見ていう。
「ユウ、キミは海が好きかい?」
「いいえ、大嫌いです」
あんなもの、嫌いです。
「……ユウ、」
「はい」
「ボクは紅羽を遠けてあげる。だから、さっさと乗り越えろ。 忘れただけで、乗り越えた気になってんじゃねーぞ、若造が」
そう言って俺のことを軽く小突くと、帝先輩は、部屋に戻っていく。
「……」
それからベッドに戻った時、見たのは、果てしない海の夢だった。
やっと寝つけても、ここ最近は見なかった夢を見る。
真っ暗な場所。
震える手。
息苦しい感覚。
両親の狂った表情。
『もう無理なんだよ』
『仕方ないの』
言い訳。
煙。
火。
睡眠薬。
狭い部屋。
「っ」
あの頃と同じ夢をまた見ていた。
自分に言うのもなんだけど、よく飽きないよなぁ……。
枕元の時計を見れば十一時。
もう、みんな寝たか……。
そう思いながら、上半身を上げる。
あたりは真っ暗で、月明かりだけが見えた。
いつも寝てた場所と同じ風景。
違うのは、自分の体だけ。
「皮肉……」
ベッドから抜け出すと、その足でベランダへと向かうことにした。
ベランダの向こう側の端に行く。
そこには、風に銀髪を靡かせた人がいた。
「……先輩」
声をかけると彼女は振り返る。
その目は少し虚で、より一層、琥珀の目が鮮やかに見えた。
「やぁ」
昼とは違った意味での楽しげな顔。
昼が純粋だとすれば、夜は狂っている、というべきか。
周りの暗さが、月明かりが、その異様さを色づかせていた。
「君も眠れないのかい?」
髪をかきあげながら彼女は問う。
「どうでしょう」
何食わぬ顔でそう返す。
彼女が笑う。
沈黙。
この空気感は、少し重くて、でも心地よかった。
あの夢を見たあとだからか。なんなのか。
いつもの先輩とは違っている気がした。
「……ねぇ、君は海をどう思う、ユウ」
いつもはユーキんと呼ぶ彼女が今に限ってユウと呼んだ。
それゆえか、彼女が彼女でなく思える。
「海、ですか」
俺は聞き返した。
答えはわかっている。でも、考える時間を増やしたくて。
嫌いなものを想像したくなくて。
「うん、海だ。 キミはどう思う?」
笑う顔が陰って、それが彼女の心のように見える。
いつもの周りへの態度はもちろん、笑顔も嘘の上塗りで。
笑顔の下に闇を抱えてるような、そんな気がした。
彼女の匂いは、黒く、焦げたような感じだ。嘘を重ねて甘い匂いを広げても、本当は焦げ付いている。
ーーーまるでソラと同じように。
「海は嫌いです」
「それが答え?」
彼女は少し微笑みを浮かべながら聞く。
面白いと言いたげに。
本当かと言いたげに。
そう?と言いたげに。
「海は全部を飲み込んで持っていくんです。何もかもをあっという間に。人が希望を抱くのも、絶望するのも、生まれるのも、消えるのも、全て海から。 だから嫌いです」
好きなのなら、希望を、生を与えてくれるからだろうか。それとも単純に綺麗だからだろうか。良い思い出を持っているからだろうか。
嫌いなのなら、絶望を、死を招いてくるからだろうか。それとも単純に溺れてしまうからだろうか。悪い思い出を持ち続けているからだろうか。
俺は、死を招き、悪い思い出の象徴だからだ。
「……ボクはね、海、好きだなぁ」
きっとそういう問いではなかったのに。
帝先輩は、俺に話を合わせた。
「キラキラしててさぁ、恨めしいくらい希望って字が似合うんだ。朝焼けに混ざると、これでもかってくらいに輝くんだ」
知っている。
何度も、何度も見たから。
「ボクらのことを、ちっぽけだなって、馬鹿らしいなって笑ってるみたいでさ、」
海を見ると、わかるだろう。俺らの悩みなんざ、ちっぽけなことだって。前を向けよ。
そんな言葉を思い出す。
「ボクの思い出の中で……海と混ざった空を見たのが幸せだった」
彼女は、少し目尻を赤くして、そう呟く。
俺に話すように、しかし自分の記憶を忘れないように自らに語っていた。
海は幸せを運ぶ。
海は喜びを運ぶ。
「海は綺麗事の象徴みたいで、好きだよ」
嘘を、嘘だとわかるように彼女は言った。
嫌いなのに、好きだと。
綺麗事などないのに、綺麗事があるかのように。
微笑みをたたえて、そう言った。
この人は、周りと違うと、俺に思わせるように。
「なぁ、ユウ」
彼女は、こちらに近づく。
「眠れないんだ。 少し話そう」
「……はい」
どうせ寝たら、またあの夢を見る。
それなら、少し付き合おう。
「キミはいま、幸せ?」
「なにを基準に言うのかわかりません」
「うん、ボクも」
彼女は、こちらを見ずに海を眺めながらそう言う。
俺も、海だけを見た。
なに一つ、昔と変わらぬ、恨めしいくらいに綺麗な海を。
「幸せは失って気づく」
それはどこかで聞いたことがあるフレーズだった。
「でもさ、気がつけないこともあるはずだろ。 失ったとて、失った時を『幸せ』って例えていいのかわからないじゃないか」
幸せで表せるものはなんだろう。
「幸せにさ、表したくないんだ。 幸せっていう曖昧で、あやふやで、よくわからない言葉に仕立て上げたくないんだよ」
俺だって、あの時が幸せだって言いたくない。
あれが幸せだとしたら、今はどうなんだ?
あいつらといるのは楽しいし、嬉しいし、自分を忘れて無邪気に過ごせる。
失いたくはない。
でも、これが幸せと言っていいのかわからない。
「ボクは……幸せってわからない」
「……わからないからじゃないですか」
そうだった。この答えは、少し前に見つけてたじゃないか。
「わからないからみんな現したくないものを”幸せ”って現すんじゃないですか」
よくわからない大事なものを幸せと言って。
それをありがたいものだと共通認識して。
そうして生きていく。
「……ユウ。 キミは今、幸せ?」
再度先輩が問う。
「わかりません」
俺は海を見ていう。
「ユウ、キミは海が好きかい?」
「いいえ、大嫌いです」
あんなもの、嫌いです。
「……ユウ、」
「はい」
「ボクは紅羽を遠けてあげる。だから、さっさと乗り越えろ。 忘れただけで、乗り越えた気になってんじゃねーぞ、若造が」
そう言って俺のことを軽く小突くと、帝先輩は、部屋に戻っていく。
「……」
それからベッドに戻った時、見たのは、果てしない海の夢だった。
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