38 / 64
六章 おでかけ
夜
しおりを挟む
夜。眠りにつこうとするが寝付けない。
やっと寝つけても、ここ最近は見なかった夢を見る。
真っ暗な場所。
震える手。
息苦しい感覚。
両親の狂った表情。
『もう無理なんだよ』
『仕方ないの』
言い訳。
煙。
火。
睡眠薬。
狭い部屋。
「っ」
あの頃と同じ夢をまた見ていた。
自分に言うのもなんだけど、よく飽きないよなぁ……。
枕元の時計を見れば十一時。
もう、みんな寝たか……。
そう思いながら、上半身を上げる。
あたりは真っ暗で、月明かりだけが見えた。
いつも寝てた場所と同じ風景。
違うのは、自分の体だけ。
「皮肉……」
ベッドから抜け出すと、その足でベランダへと向かうことにした。
ベランダの向こう側の端に行く。
そこには、風に銀髪を靡かせた人がいた。
「……先輩」
声をかけると彼女は振り返る。
その目は少し虚で、より一層、琥珀の目が鮮やかに見えた。
「やぁ」
昼とは違った意味での楽しげな顔。
昼が純粋だとすれば、夜は狂っている、というべきか。
周りの暗さが、月明かりが、その異様さを色づかせていた。
「君も眠れないのかい?」
髪をかきあげながら彼女は問う。
「どうでしょう」
何食わぬ顔でそう返す。
彼女が笑う。
沈黙。
この空気感は、少し重くて、でも心地よかった。
あの夢を見たあとだからか。なんなのか。
いつもの先輩とは違っている気がした。
「……ねぇ、君は海をどう思う、ユウ」
いつもはユーキんと呼ぶ彼女が今に限ってユウと呼んだ。
それゆえか、彼女が彼女でなく思える。
「海、ですか」
俺は聞き返した。
答えはわかっている。でも、考える時間を増やしたくて。
嫌いなものを想像したくなくて。
「うん、海だ。 キミはどう思う?」
笑う顔が陰って、それが彼女の心のように見える。
いつもの周りへの態度はもちろん、笑顔も嘘の上塗りで。
笑顔の下に闇を抱えてるような、そんな気がした。
彼女の匂いは、黒く、焦げたような感じだ。嘘を重ねて甘い匂いを広げても、本当は焦げ付いている。
ーーーまるでソラと同じように。
「海は嫌いです」
「それが答え?」
彼女は少し微笑みを浮かべながら聞く。
面白いと言いたげに。
本当かと言いたげに。
そう?と言いたげに。
「海は全部を飲み込んで持っていくんです。何もかもをあっという間に。人が希望を抱くのも、絶望するのも、生まれるのも、消えるのも、全て海から。 だから嫌いです」
好きなのなら、希望を、生を与えてくれるからだろうか。それとも単純に綺麗だからだろうか。良い思い出を持っているからだろうか。
嫌いなのなら、絶望を、死を招いてくるからだろうか。それとも単純に溺れてしまうからだろうか。悪い思い出を持ち続けているからだろうか。
俺は、死を招き、悪い思い出の象徴だからだ。
「……ボクはね、海、好きだなぁ」
きっとそういう問いではなかったのに。
帝先輩は、俺に話を合わせた。
「キラキラしててさぁ、恨めしいくらい希望って字が似合うんだ。朝焼けに混ざると、これでもかってくらいに輝くんだ」
知っている。
何度も、何度も見たから。
「ボクらのことを、ちっぽけだなって、馬鹿らしいなって笑ってるみたいでさ、」
海を見ると、わかるだろう。俺らの悩みなんざ、ちっぽけなことだって。前を向けよ。
そんな言葉を思い出す。
「ボクの思い出の中で……海と混ざった空を見たのが幸せだった」
彼女は、少し目尻を赤くして、そう呟く。
俺に話すように、しかし自分の記憶を忘れないように自らに語っていた。
海は幸せを運ぶ。
海は喜びを運ぶ。
「海は綺麗事の象徴みたいで、好きだよ」
嘘を、嘘だとわかるように彼女は言った。
嫌いなのに、好きだと。
綺麗事などないのに、綺麗事があるかのように。
微笑みをたたえて、そう言った。
この人は、周りと違うと、俺に思わせるように。
「なぁ、ユウ」
彼女は、こちらに近づく。
「眠れないんだ。 少し話そう」
「……はい」
どうせ寝たら、またあの夢を見る。
それなら、少し付き合おう。
「キミはいま、幸せ?」
「なにを基準に言うのかわかりません」
「うん、ボクも」
彼女は、こちらを見ずに海を眺めながらそう言う。
俺も、海だけを見た。
なに一つ、昔と変わらぬ、恨めしいくらいに綺麗な海を。
「幸せは失って気づく」
それはどこかで聞いたことがあるフレーズだった。
「でもさ、気がつけないこともあるはずだろ。 失ったとて、失った時を『幸せ』って例えていいのかわからないじゃないか」
幸せで表せるものはなんだろう。
「幸せにさ、表したくないんだ。 幸せっていう曖昧で、あやふやで、よくわからない言葉に仕立て上げたくないんだよ」
俺だって、あの時が幸せだって言いたくない。
あれが幸せだとしたら、今はどうなんだ?
あいつらといるのは楽しいし、嬉しいし、自分を忘れて無邪気に過ごせる。
失いたくはない。
でも、これが幸せと言っていいのかわからない。
「ボクは……幸せってわからない」
「……わからないからじゃないですか」
そうだった。この答えは、少し前に見つけてたじゃないか。
「わからないからみんな現したくないものを”幸せ”って現すんじゃないですか」
よくわからない大事なものを幸せと言って。
それをありがたいものだと共通認識して。
そうして生きていく。
「……ユウ。 キミは今、幸せ?」
再度先輩が問う。
「わかりません」
俺は海を見ていう。
「ユウ、キミは海が好きかい?」
「いいえ、大嫌いです」
あんなもの、嫌いです。
「……ユウ、」
「はい」
「ボクは紅羽を遠けてあげる。だから、さっさと乗り越えろ。 忘れただけで、乗り越えた気になってんじゃねーぞ、若造が」
そう言って俺のことを軽く小突くと、帝先輩は、部屋に戻っていく。
「……」
それからベッドに戻った時、見たのは、果てしない海の夢だった。
やっと寝つけても、ここ最近は見なかった夢を見る。
真っ暗な場所。
震える手。
息苦しい感覚。
両親の狂った表情。
『もう無理なんだよ』
『仕方ないの』
言い訳。
煙。
火。
睡眠薬。
狭い部屋。
「っ」
あの頃と同じ夢をまた見ていた。
自分に言うのもなんだけど、よく飽きないよなぁ……。
枕元の時計を見れば十一時。
もう、みんな寝たか……。
そう思いながら、上半身を上げる。
あたりは真っ暗で、月明かりだけが見えた。
いつも寝てた場所と同じ風景。
違うのは、自分の体だけ。
「皮肉……」
ベッドから抜け出すと、その足でベランダへと向かうことにした。
ベランダの向こう側の端に行く。
そこには、風に銀髪を靡かせた人がいた。
「……先輩」
声をかけると彼女は振り返る。
その目は少し虚で、より一層、琥珀の目が鮮やかに見えた。
「やぁ」
昼とは違った意味での楽しげな顔。
昼が純粋だとすれば、夜は狂っている、というべきか。
周りの暗さが、月明かりが、その異様さを色づかせていた。
「君も眠れないのかい?」
髪をかきあげながら彼女は問う。
「どうでしょう」
何食わぬ顔でそう返す。
彼女が笑う。
沈黙。
この空気感は、少し重くて、でも心地よかった。
あの夢を見たあとだからか。なんなのか。
いつもの先輩とは違っている気がした。
「……ねぇ、君は海をどう思う、ユウ」
いつもはユーキんと呼ぶ彼女が今に限ってユウと呼んだ。
それゆえか、彼女が彼女でなく思える。
「海、ですか」
俺は聞き返した。
答えはわかっている。でも、考える時間を増やしたくて。
嫌いなものを想像したくなくて。
「うん、海だ。 キミはどう思う?」
笑う顔が陰って、それが彼女の心のように見える。
いつもの周りへの態度はもちろん、笑顔も嘘の上塗りで。
笑顔の下に闇を抱えてるような、そんな気がした。
彼女の匂いは、黒く、焦げたような感じだ。嘘を重ねて甘い匂いを広げても、本当は焦げ付いている。
ーーーまるでソラと同じように。
「海は嫌いです」
「それが答え?」
彼女は少し微笑みを浮かべながら聞く。
面白いと言いたげに。
本当かと言いたげに。
そう?と言いたげに。
「海は全部を飲み込んで持っていくんです。何もかもをあっという間に。人が希望を抱くのも、絶望するのも、生まれるのも、消えるのも、全て海から。 だから嫌いです」
好きなのなら、希望を、生を与えてくれるからだろうか。それとも単純に綺麗だからだろうか。良い思い出を持っているからだろうか。
嫌いなのなら、絶望を、死を招いてくるからだろうか。それとも単純に溺れてしまうからだろうか。悪い思い出を持ち続けているからだろうか。
俺は、死を招き、悪い思い出の象徴だからだ。
「……ボクはね、海、好きだなぁ」
きっとそういう問いではなかったのに。
帝先輩は、俺に話を合わせた。
「キラキラしててさぁ、恨めしいくらい希望って字が似合うんだ。朝焼けに混ざると、これでもかってくらいに輝くんだ」
知っている。
何度も、何度も見たから。
「ボクらのことを、ちっぽけだなって、馬鹿らしいなって笑ってるみたいでさ、」
海を見ると、わかるだろう。俺らの悩みなんざ、ちっぽけなことだって。前を向けよ。
そんな言葉を思い出す。
「ボクの思い出の中で……海と混ざった空を見たのが幸せだった」
彼女は、少し目尻を赤くして、そう呟く。
俺に話すように、しかし自分の記憶を忘れないように自らに語っていた。
海は幸せを運ぶ。
海は喜びを運ぶ。
「海は綺麗事の象徴みたいで、好きだよ」
嘘を、嘘だとわかるように彼女は言った。
嫌いなのに、好きだと。
綺麗事などないのに、綺麗事があるかのように。
微笑みをたたえて、そう言った。
この人は、周りと違うと、俺に思わせるように。
「なぁ、ユウ」
彼女は、こちらに近づく。
「眠れないんだ。 少し話そう」
「……はい」
どうせ寝たら、またあの夢を見る。
それなら、少し付き合おう。
「キミはいま、幸せ?」
「なにを基準に言うのかわかりません」
「うん、ボクも」
彼女は、こちらを見ずに海を眺めながらそう言う。
俺も、海だけを見た。
なに一つ、昔と変わらぬ、恨めしいくらいに綺麗な海を。
「幸せは失って気づく」
それはどこかで聞いたことがあるフレーズだった。
「でもさ、気がつけないこともあるはずだろ。 失ったとて、失った時を『幸せ』って例えていいのかわからないじゃないか」
幸せで表せるものはなんだろう。
「幸せにさ、表したくないんだ。 幸せっていう曖昧で、あやふやで、よくわからない言葉に仕立て上げたくないんだよ」
俺だって、あの時が幸せだって言いたくない。
あれが幸せだとしたら、今はどうなんだ?
あいつらといるのは楽しいし、嬉しいし、自分を忘れて無邪気に過ごせる。
失いたくはない。
でも、これが幸せと言っていいのかわからない。
「ボクは……幸せってわからない」
「……わからないからじゃないですか」
そうだった。この答えは、少し前に見つけてたじゃないか。
「わからないからみんな現したくないものを”幸せ”って現すんじゃないですか」
よくわからない大事なものを幸せと言って。
それをありがたいものだと共通認識して。
そうして生きていく。
「……ユウ。 キミは今、幸せ?」
再度先輩が問う。
「わかりません」
俺は海を見ていう。
「ユウ、キミは海が好きかい?」
「いいえ、大嫌いです」
あんなもの、嫌いです。
「……ユウ、」
「はい」
「ボクは紅羽を遠けてあげる。だから、さっさと乗り越えろ。 忘れただけで、乗り越えた気になってんじゃねーぞ、若造が」
そう言って俺のことを軽く小突くと、帝先輩は、部屋に戻っていく。
「……」
それからベッドに戻った時、見たのは、果てしない海の夢だった。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か
雪兎
BL
第二性が存在する世界。
Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。
しかし入学初日、彼の前に現れたのは――
幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。
成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。
だが湊だけが知っている。
彼が異常なほど執着深いことを。
「大丈夫、全部管理してあげる」
「君が困らないようにしてるだけだよ」
座席、時間割、交友関係、体調管理。
いつの間にか整えられていく環境。
逃げ場のない距離。
番を拒みたいΩと、手放す気のないα。
これは保護か、それとも束縛か。
閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる