ウオノメにキス

森原すみれ@薬膳おおかみ①②③刊行

文字の大きさ
27 / 51
第六章 追求、暴漢、記憶の蓋。

(1)

しおりを挟む
 半月ぶりに発生した中傷騒ぎは、瞬く間に大学中に知れ渡ることとなった。
 もともと話題の矢面に立たされることが多かった自分に、強力なゴシップネタがついたんだ。周囲の反応は面白いほど様変わりした。生徒からは嘲りの視線を遠慮なく浴びせられ、教授陣からはわざわざ私を指定してはくどい程のレファレンスを要求する。
 こんな状況を汲み取った主任は、早々に私を裏方の事務仕事に回すことを決めた。
(事務作業が済んだ後は、貴女が必要と思う作業に時間を使いなさい)
 司書仲間が腫れ物に触れるように事務室を出ていく中、主任から耳打ちされた言葉。その意図に気付かないほど私も鈍くはない。
 業務時間を使ってもいい。犯人の正体を、何としても暴きなさい――と。

「いやぁ~、まさか小野寺さんの方からお越しいただけるとはねぇ。美人司書さんはどこも引っ張りだこだろうに、恐縮ですわ。わっはっは!」
 気にしない。気にしない。背後ででっぷりとした腹を揺らすセクハラ親父に一度振り返り、社交辞令の愛想笑いを返す。
 事務作業を一心不乱に済ませた私は、「オサワリ」教授こと尾沢教授の研究室に足を踏み入れていた。にやにや楽しげに眺めているセクハラ親父の監視下のもと、あたりの書類を片っ端から洗う。
 中傷文の中で発見された、旧字の「澤」と新字の「沢」の使い間違い。そこから何とか、犯人特定の糸口を見いだすために。
「私の名前ねぇ。市役所で新字の『沢』に変える手続きをしてからは、わざわざ旧字を使った覚えはないけどねぇ」
「旧字が掲載されたままの、昔の資料を講義で使用した可能性は?」
「僕の研究材料は常に最新情報。過去の遺物に用はないんだよ。資料の墓場にお住まいの司書さんたちとは違ってね」
 誇らしげに反らされた顎に、唾を吐き付けたくなる。
「司書の方ももう少し大学の研究に協力した方がいい。事務職の子たちを見なさい。こちらが頼めばやれ資料だ、やれ領収書だとわざわざこの研究室まで足を運んでくれるというのに、君たちと言ったら……」
「図書館司書の職務は原則館内で行われます。館外への資料の運搬までは規定に御座いませんので」
「はっはっは! 窓口でニコニコしてるだけのお姫様とは格が違うってか?」
 汚い、下卑た笑い。パンパンに張っているその腹を蹴り飛ばしたくなる。
 それでも、かけなしの理性が中傷よりも酷い言葉を押し止め、私は話を戻した。
「印刷物も自署も、旧字の使用はないと?」
「ないね。大体、資料作成や手書きサインだって、昔から旧字を使う方が少なかった。画数が多くて面倒だからな。さっさと変更手続きをしときゃあ良かったよ」
 昔から、旧字を使うことがなかった?
 確かに先ほどから見られる印刷物は全て、5年以上前のものであっても新字の『沢』を使っているようだ。
 でも、それなら逆に、何故犯人は今回『澤』の字を使ったのだろう。
 例え5年以上前に教員名簿で新字に変わる前の『澤』を目にしたとしても、今の今までそのことを覚えているものだろうか。
「何でも構いません。他に何か、心当たりはありませんか」
「だから、ないと言って――……」
 色気のない話に早くも飽きたらしい教授は、ソファーに勢いよく腰を沈める。
 そして次の瞬間、眠気すら浮かんでいた彼の表情に、微かなひらめきが走るのが見て取れた。
「心当たり、おありなんですね?」
「うーん……そうだなぁ」
 勿体付けたように自らの顎を撫でる。その間、教授の視線は余裕しゃくしゃくに私の頭から足先までを撫で回していた。重そうな腰を上げ、ゆっくりとこちらに近付いてくる。
 気にしない。気にしない。繰り返し自分に言い募る。
「教えていただけませんか」
「まぁ、私自身謂われない誹謗中傷で迷惑しているからねぇ」
 謂われなくはないだろ。
「でもまぁ、火がないところに煙はたたないと言う」
「っ、ちょ」
「幼少から少々手癖が悪いとは言われていたがなぁ。いや、こりゃ失敬」
 不作法に伸ばされた手が、さっと腰に添えられた。咄嗟に間合いを取ったが、このセクハラ親父は悪びれる様子もなく再度近付いてくる。跳ね上がりそうな心臓を何とか沈めた。
 こんな展開だって、予想していなかったわけではない。
「大切な娘さんが来年大学入試だそうですね、尾沢教授」
 愛想笑いで一矢報いる。目の前の肉塊の動きがぴたりと止まった。
 効果は思いのほか大きく、欲深さが滲む丸い瞳はわなわなと見開かれる。もともと汗くさい奴の額には、脂汗が面白いように照り返り始めた。
「中傷の件、現時点では内々に処理され詳細が外部に漏れることはないでしょう。でもこれ以上の広がりを見せれば均衡もいつ破られるか。教授の評判や、ご家族への影響も懸念されるところです」
「き、君っ」
「ご協力いただけますよね?」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

Blue Bird ―初恋の人に再会したのに奔放な同級生が甘すぎるっ‼【完結】

remo
恋愛
「…溶けろよ」 甘く響くかすれた声と奔放な舌にどこまでも落とされた。 本宮 のい。新社会人1年目。 永遠に出来そうもない彼氏を夢見つつ、目の前の仕事に奮闘中。 なんだけど。 青井 奏。 高校時代の同級生に再会した。 と思う間もなく、 和泉 碧。 初恋の相手らしき人も現れた。 幸せの青い鳥は一体どこに。 【完結】 ありがとうございました‼︎

偽装夫婦

詩織
恋愛
付き合って5年になる彼は後輩に横取りされた。 会社も一緒だし行く気がない。 けど、横取りされたからって会社辞めるってアホすぎません?

思い出のチョコレートエッグ

ライヒェル
恋愛
失恋傷心旅行に出た花音は、思い出の地、オランダでの出会いをきっかけに、ワーキングホリデー制度を利用し、ドイツの首都、ベルリンに1年限定で住むことを決意する。 慣れない海外生活に戸惑い、異国ならではの苦労もするが、やがて、日々の生活がリズムに乗り始めたころ、とてつもなく魅力的な男性と出会う。 秘密の多い彼との恋愛、彼を取り巻く複雑な人間関係、初めて経験するセレブの世界。 主人公、花音の人生パズルが、紆余曲折を経て、ついに最後のピースがぴったりはまり完成するまでを追う、胸キュン&溺愛系ラブストーリーです。 * ドイツ在住の作者がお届けする、ヨーロッパを舞台にした、喜怒哀楽満載のラブストーリー。 * 外国での生活や、外国人との恋愛の様子をリアルに感じて、主人公の日々を間近に見ているような気分になれる内容となっています。 * 実在する場所と人物を一部モデルにした、リアリティ感の溢れる長編小説です。

高塚くんの愛はとっても重いらしい

橋本彩里(Ayari)
恋愛
時期外れ、しかも偏差値の高い有名校からなぜかわざわざやってきた話題の転校生。 「どこに隠れていたの?」 そんな彼に、突然探していたと莉乃は背後から抱きしめられ、強引に連れて行かれる。 その日から莉乃は高塚くんに振り回される毎日。 この関係は何? 悩みながらもまるで大事な恋人のように莉乃を扱う彼に絆されかけていた、あの言葉を聞くまでは……。 高塚くんの重愛と狂愛。 すれ違いラブ。 見目がいいだけの男ではないのでご注意ください。 表紙イラストは友人のkouma.作です。

兄みたいな騎士団長の愛が実は重すぎでした

鳥花風星
恋愛
代々騎士団寮の寮母を務める家に生まれたレティシアは、若くして騎士団の一つである「群青の騎士団」の寮母になり、 幼少の頃から仲の良い騎士団長のアスールは、そんなレティシアを陰からずっと見守っていた。レティシアにとってアスールは兄のような存在だが、次第に兄としてだけではない思いを持ちはじめてしまう。 アスールにとってもレティシアは妹のような存在というだけではないようで……。兄としてしか思われていないと思っているアスールはレティシアへの思いを拗らせながらどんどん膨らませていく。 すれ違う恋心、アスールとライバルの心理戦。拗らせ溺愛が激しい、じれじれだけどハッピーエンドです。 ☆他投稿サイトにも掲載しています。 ☆番外編はアスールの同僚ノアールがメインの話になっています。

王宮に薬を届けに行ったなら

佐倉ミズキ
恋愛
王宮で薬師をしているラナは、上司の言いつけに従い王子殿下のカザヤに薬を届けに行った。 カザヤは生まれつき体が弱く、臥せっていることが多い。 この日もいつも通り、カザヤに薬を届けに行ったラナだが仕事終わりに届け忘れがあったことに気が付いた。 慌ててカザヤの部屋へ行くと、そこで目にしたものは……。 弱々しく臥せっているカザヤがベッドから起き上がり、元気に動き回っていたのだ。 「俺の秘密を知ったのだから部屋から出すわけにはいかない」 驚くラナに、カザヤは不敵な笑みを浮かべた。 「今日、国王が崩御する。だからお前を部屋から出すわけにはいかない」 ※ベリーズカフェにも掲載中です。そちらではラナの設定が変わっています。(貴族→庶民)それにより、内容も少し変更しておりますのであわせてお楽しみください。

10年引きこもりの私が外に出たら、御曹司の妻になりました

専業プウタ
恋愛
25歳の桜田未来は中学生から10年以上引きこもりだったが、2人暮らしの母親の死により外に出なくてはならなくなる。城ヶ崎冬馬は女遊びの激しい大手アパレルブランドの副社長。彼をストーカーから身を張って助けた事で未来は一時的に記憶喪失に陥る。冬馬はちょっとした興味から、未来は自分の恋人だったと偽る。冬馬は未来の純粋さと直向きさに惹かれていき、嘘が明らかになる日を恐れながらも未来の為に自分を変えていく。そして、未来は恐れもなくし、愛する人の胸に飛び込み夢を叶える扉を自ら開くのだった。

恋とキスは背伸びして

葉月 まい
恋愛
結城 美怜(24歳)…身長160㎝、平社員 成瀬 隼斗(33歳)…身長182㎝、本部長 年齢差 9歳 身長差 22㎝ 役職 雲泥の差 この違い、恋愛には大きな壁? そして同期の卓の存在 異性の親友は成立する? 数々の壁を乗り越え、結ばれるまでの 二人の恋の物語

処理中です...