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付き合って1週間記念日
しおりを挟むそれは、ある日突然始まった交際関係だった。それも、戯れのような軽い告白で始まったものだ。
──今日、私はそれに終止符をうつ。正確には、うとうとした。
◾︎
先日、現在の恋人である刈谷さんから放課後記念日のデートのお誘いを頂いたとき、別れることを決断した。
⋯⋯だって、私と刈谷さんは釣り合ってないから。
影に溶け込むのが上手いことだけが取り柄の陰気な女と、煌びやかで、誰からも好かれる人気者。誰の目から見ても明白なほど、私たちは違う。私たちの世界が交わったのは、驚くほどに普通の日のことだった。
『付き合お?』
不意に刈谷さんから言われた言葉に、私は動揺を隠せなかった。私と彼が話したのは、数えられるほどしかなかったからだ。突然のことに、私は言葉を失って、俯き、後ずさるけれど、思ったより背後の空間に余裕がなく、すぐに、背中に冷たい感触が触れた。頭上に影がかかったのを感じて見上げると、刈谷さんがこちらを見つめている。透き通った瞳が、私の心を見通すように貫いて、長いまつ毛が色香を帯びて瞬いた。
「ね、真野ちゃん」
手が握られる。緊張で汗ばんでいるのが恥ずかしくて、離そうとするが、汗で湿っている手は、上手くすり抜けてくれない。頭が沸騰しそうに熱くて、顔を背けると、無理やり視線が合わされた。こちらに向けられた美しい顔と、熱を帯びた視線に気圧されるようにして、その時の私は、頷いてしまった。
◾︎
そんな風に、刈谷さんの気まぐれで始まった一時的な関係だから、元々、長く続けられるとも思っていなかった。けれど、今は刈谷さんと別れることが、私に課せられた使命のように思っていた。
メッセージアプリを開いてから、まず「すみません」と断りを入れ、次に「お付き合いをやめませんか?」と打った。
返事が怖くて、直ぐに画面を閉じてしまったが、いつも割とすぐ返信してくれる刈谷さんにしては、全くと言っていいほど音沙汰がなかった。多分刈谷さんも忙しかったのだろうと思うが、勝手に付きあった気になって、勝手に別れを切り出したヤバい女だと思われたのかもしれない。
──でも、ちゃんとけじめをつけるため、次の日の放課後、刈谷さんの講義が終わり、刈谷さんが講義室から出てくるのを待っていた。
◾︎
そして今、私は、何故かあの日のように、また壁際に追い詰められている。
前髪の中から、とても整った顔が至近距離で私の顔を覗き込んでくる。その瞳は真剣な色を湛えていて、あまりの緊張感に喉の奥が詰まったようになる。刈谷さんは、動揺が隠せない素振りで、頭を抱えながら事実確認をするように尋ねた。
「ねぇ、俺たち明日で付き合って1週間記念日だよね?覚えてる?」
「⋯⋯はい。それはもちろん、覚えてます」
そう、今から丁度1週間前に、私は、この大学の構内で突然告白された。
「それはよかった。だよねー!忘れてたらどうしようかと思った。で?覚えててあの発言なんだ?」
あの発言⋯⋯?疑問符を頭に浮かべる私を他所に、刈谷さんは続ける。
「ねぇ、さっき真野ちゃんなんて言った?」
彼の笑顔は崩れないが、言葉端から、ひしひしと彼の怒りが伝わってくる。なにか失言をしてしまっただろうか、と冷や汗をかきながら、私は先程の言葉を繰り返す。
「えっと『短い間でしたが、ありがとうございました』と、言いました⋯⋯」
私なんぞに1週間も付き合ってもらったから、一応、お礼をと思って⋯⋯お詫びとして、お菓子も渡した。
「うん、そうだね」
刈谷さんは、重いため息を吐く。けれど、私には、今の発言の何が気に触ったのかわからなかった。もう会うことはないけれど、嫌な印象を残したまま去りたくなかったから、丁寧にお別れしたつもりだったんだけれど、何となく刈谷さんの顔が引きつっている⋯⋯?何か対応がまずかった?日持ちして残らないものだから、有名店のクッキーを選んだけど、好きじゃなかった?もっと高価な物の方が良かったのだろうか⋯⋯?それとも、やっぱり、日を改めて菓子折りを手渡すべきだった?刈谷さんの家に行って渡した方が丁寧だったかも⋯⋯でも、家までくるのは流石に怖すぎる。それに、別れた後にもう一回会うのも嫌じゃないかと思ったし⋯⋯事前に送った文が簡単すぎた?長文にまとめてくるべきだった?でも、そんなことしたら重いし、怖いだろうし⋯⋯発言?私の発言がとても失礼だったとか?
「で?そのあとは真野ちゃんなんて言った?」
「え?!あ、では、と言って、その場を去ろうとしました。」
「そのあとだよ」
さっきから、刈谷さんは何かに怒っているような──そのあと⋯⋯?私の腕を掴み、引き止めた刈谷さんを私は安心させようとして──
「⋯⋯あ!『大丈夫です。私は、ストーカーにはなりませんし、刈谷さんの前からきちんと消えますのでお気になさらず』と言いました。」
遊びで付き合った女に付きまとわれるのは嫌だろう。それが心配で刈谷さんも、去ろうとする私を引き止めたのだろう。心配しなくても私は気配を消すスペシャリストなので、本気で気配を消した際には親にすらバレたことがないし、安心だ。
私の返事に、刈谷さんはぱっちりまつ毛に縁取られた目を、憂うように伏せた。そんな刈谷さんを安心させようと、私は言葉を重ねる。
「大丈夫です!ちゃんと、綺麗さっぱり消えますから!私は誰にも刈谷さんとのこと話していないですし、そっと姿を消せますので、安心してください。」
本当であるということを示すために、頑張って、彼の目を見つめたりもする。
「はぁ⋯⋯」
再度吐かれたため息とともに、ぐらりと彼の瞳が揺れた
「なんで、そんなことになってるの?別れるとか、俺、言ってないんだけど⋯⋯嫌だ。別れたくない。別れない。真野ちゃん俺のこと嫌い?飽きちゃったとか?」
刈谷さんの手が私の肩をつかむ。余裕がないのか、いつになく力強い。肉にめり込みそうだ。
「え?!いえ、そんなっ」
嫌いとか飽きたとか、そんな感情とは真逆に近い。というか、そんな感情抱いたことない。恐れ多すぎるし
「⋯⋯あのっ、刈谷さんは私にとって勿体ないくらい素晴らしい人でしたし⋯⋯好き、ですけれど」
私が別れを切り出そうとした原因となった出来事のことを思い出し、申し訳なさで口が重く、動かなくなる。
「私は浮気相手で、1週間もの間、刈谷さんが遊びで付き合ってくださったのだということを知って⋯⋯!」
「⋯⋯はぁ?」
私は地味でブスだし、暗いし、刈谷さんのそばに立つべき人間ではないということは、とうに分かりきっていたのだ。けれども、私は自分のわがままで今まで関係を続けてきたのだ。
「これ以上、ご迷惑をかけないように、と思って⋯⋯あ、でも私の存在自体迷惑ですよね。1週間だけ遊んでただけの女が同じ大学内に存在するとか目が合っただけでも普通に怖いし⋯⋯」
そうだ、大学辞めようかな。この大学は若干自分の肌に合わないと感じていたところだったし、ちょうどいいかもしれない。人里離れた片田舎に引っ越して、そこで農業を学びながら、農業従事者になろう。もともと農業には興味があったことだし⋯⋯貯金も、ちょっとあるし。
「真野ちゃんとのお付き合いが遊び?⋯⋯なにそれ、信じられない。どこ情報?」
「同じ、学部の方にお聞きして⋯⋯」
「へぇ?」
私にこの情報を教えてくれたのは、刈谷さんと仲の良い櫻木さんだから、信憑性が高い。櫻木さんは、艶やかな長い黒髪が良く似合う美人さんで、刈谷さんと同じサークルに属している。彼女は、刈谷さんと私が出会う以前から付き合っていたらしく、先日、この事実とともに、浮気相手の私に、「刈谷に近づかないで欲しい」と泣いて頼んでこられたのだ。私は了承した。あんなに優しかった刈谷さんが、本当は嘘つきで、私をからかって遊んでいた。そして、二股をかけて櫻木さんを傷つけていた、ということに対してショックを受けなかったわけではない。けれど、振り返ってみて、すごくかっこ良くて、人気者の刈谷さんが、私などに声をかけ、付き合ってくれたことが異常だったのだと気づいた。櫻木さんのようなスーパー美女と付き合っているのが普通か、と納得してしまった。
⋯⋯むしろ、私は感謝するべきなのだ。1週間も、私なんかに付き合っていただいたことに。
「先日この話をお聞きして、早くこの話を切り出さなければ、と思いながら、今まで私のわがままで今まで、関係を続けてしまっていてすみません。」
ですから──と続ける
「私は、金輪際、刈谷さんにはもう関わらないようにしますので、では」
──そう、笑いかけたはずだった。
バチンッ
けれども、その瞬間、何かが弾けるような大きな音とともに、体に刹那的な痛みが走った。そのために、私は刈谷さんの顔も見ることなく、意識を失ってしまった。
◾︎
「起きた?」
「⋯⋯?刈谷さん?」
ぼやける視界の中で刈谷さんらしき人影を捉える。そして、腕を動かすと無機質な音が鳴ることに気づいて、視線を落とした。すると、私の手足につけられた手錠が目に入った。足の方には、手錠の他に、長めの鎖までついている。なんだろう、これ⋯⋯
不思議そうにそれらを見つめる私に向けて、刈谷さんは微笑む。
「あっ、これは万が一にも真野ちゃんが逃げないようにって思って⋯⋯でも、真野ちゃんのこと傷つけたいわけじゃないから、痛かったら言ってね。」
ニコニコしながら、話しているが、彼の姿はこの雰囲気の中で異質だった。困惑している私を他所に刈谷さんは「あのね」と話し始める。
「俺、真野ちゃんが別れる!とか言うし、悲しかったんだ。」
正直意外だった。付き合うときも軽い感じだったし、まず相手が私だし、そんな風に思われているとは思ってなかった。私のような女に身勝手に振られたことに対して、怒っているのだと思っていた。
「同じ学部の奴が言ったことを、俺が言ってることよりも信じてるし、どうしようかなーって」
同じ学部の奴、と忌々しそうに吐き捨てる刈谷さんの姿は、初めて見るものだった。驚いている私の頬に、彼の手がひたりと触れる。
「それで⋯⋯俺なりにどうしたら真野ちゃんが俺から離れないでいてくれるか沢山考えてみたんだけど、こんなことになったのは、俺の愛し方が足りなかったからかなーって」
「え?」
うっそりと笑う彼の言葉に、背筋が凍った。言葉が出ない。初めて、彼のことを怖いと思ったかもしれない。
「ほら、俺たち、付き合って今日で1週間だったから、手ぐらいしか繋がないプラトニックな関係だったでしょ?⋯⋯こんなに愛しいって思ったの真野ちゃんが初めてだったし、俺なりに大事にしようって思ってたんだけど⋯⋯甘かったんだね。もういいや。もういい。真野ちゃんも俺無しで生きられなくなればいいよね?」
ね?と同意を求める言葉に、頷いてはいけない気がした。這うように後ずさろうとすると、手の感触から自分の座っている場所がわかった。ベッドだ。なんとなく嫌な予感がした。このままだと、刈谷さんが自暴自棄になって、とんでもない事をしかねないという予感だ。
「いっ、今までので充分です。」
「嘘、だって今日、別れようとしたじゃん。もう、別れたいなんて思わせないようにしないと⋯⋯」
するり、と骨ばった手で私の頭が抱えられ、そこに慈しむようなキスを落とされる。経験したことの無い事態に、心臓が跳ねる。
「う、うそ、嘘じゃないです。刈谷さんのことは好きです。でも、私なんかと完璧な刈谷さんはどう見ても釣り合ってないし、それに刈谷さんには素敵で、お似合いな⋯⋯かっ、彼女さんもいるし⋯⋯別れたいというか、付き合っていただけるような者じゃないというか⋯⋯」
続く言葉を制するように、虚ろで、真っ暗な目で見つめられて、言葉に詰まる。
⋯⋯そう、刈谷さんはかっこいい。それに、性格も頭も良くて非の打ち所がない。だから、何もかもが足りない私とは、全く釣り合わないというのに。
不安に揺れる私の目をじっと見つめたかと思うと、刈谷さんは乾いた笑い声をあげた。
「彼女さん?俺の彼女は真野ちゃんだし、俺は真野ちゃん以外と付き合ってないんだって⋯⋯どうしたら信じてくれるの?」
「信じ⋯⋯られません。でも、それは私に自信がないからで⋯⋯そんな、私のために刈谷さんを縛りたくないし⋯⋯ただ、私が刈谷さんの隣にそぐわないだけなんです。」
刈谷さんの体を退けるように押すが、私の力ではびくともしない。反対に手が掴まれた。
「ねぇ、お願いだから、俺から離れようとしないで」
手を引かれ、縋り付くように抱きしめられる。痛いほどの感触と刈谷さんの熱が全身で「離さないで」と訴えていた。
「真野ちゃんがいなくなったら、俺、生きていけない」
「えっ」
耳元で吐露された言葉に狼狽える。嘘⋯⋯と続けようとして、この人は本気だと気づいた。直感的にそう思った。顔を上げて、泣き笑いのような表情を浮かべる刈谷さんの雰囲気は、冗談を言ってるときのそれじゃなかった。
「真野ちゃんに振られたら、俺、心が持たない。狂っちゃう。本当にどうやって生きていいのかわかんないんだよぉ⋯⋯」
私のくせに、完璧超人の刈谷さんに別れたいとか言ったから、私がその報復を受けるのは、仕方ないかもしれない。
──でも、そんな私のせいで刈谷さんが死んじゃう⋯⋯?
そんなわけない。私にそんな価値があるわけがない。都合の良い女を手放さないためのハッタリのようにも思える。でも、もし、万が一、それが本当だったら⋯⋯?
刈谷さんの声のトーンは真剣で、一切の緩みがない。
私のせいで刈谷さんが死ぬ?このみんなから望まれる刈谷さんの存在が、何の価値もない私なんかのために自ら命を絶つことで、失われる⋯⋯?そんな言葉ばかりが頭の中を回って、視界がぐるぐると渦巻いた。
「そうだ!俺から一生離れないってこの紙に誓って?」
青ざめた顔を上げた先、刈谷さんの手の中にあったのは、片方の欄だけびっしり埋まった婚姻届だった。
END
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