一本(完結編)

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《一本》(完結編)

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現場で見てきたことをもとにした、実話風のフィクションです。

作品名:一本
作者名:諸木 英雄(ペンネーム) 


ある夏の日、事務所にガタイの大きな刑事が、汗を拭きながら入って来た。
応接室のソファに、いきなり横柄にドッカと腰を下ろすと、車のキーをテーブルの上に無造作に放った。
ガチャン。
鍵のぶつかる音が、やけに大きく響いた。
監視カメラを眺めていた店長が、インカムでホールにいる主任を呼んだ。
ほどなく、主任がノックをして店長室に入ってくる。
すべてを察したのだろう。
主任は無言のまま、テーブルの上のキーを手に取り、ポケットに入れると一礼して部屋を出た。
すると刑事は、厚さ五、六センチはあろうかという分厚いファイルを、今度はドン、とテーブルに置いた。
パラパラとページをめくり、真ん中あたりで止める。
そしてわざわざ、反対側に座る店長のほうへ、ファイルを滑らせて寄せた。
中身は、店員たちの履歴書をコピーしたものだった。
現在の従業員だけでなく、歴代の履歴書まで綴じられている。
「店長、またお願いしますヨ」
刑事はニコニコと笑いながら、タバコに火をつけた。
―――🔺🔺🔺――
「昭和の駆け込み寺」と呼ばれたパチンコ屋。
それぞれの店には、決まって二階に寮があった。
不倫、駆け落ち、ヤクザ絡みのトラブル。
身の上を隠すには、これほど都合のいい場所はなかった。
店にとっても、そうした人間は便利だった。
仕事は単純で、玉の入ったドル箱を、客の言うとおりに上げ下ろしするだけでいい。
鉄製の箱には、三千個、四千個と玉が入る。
それなりの重さはあるが、体力があれば女でもこなせる。
冷暖房は年中効いている。
タバコの煙に備えて換気設備も整っている。
今で言う三Kとは、少し違った。
もう一つ理由がある。
不正防止だ。
地元の人間を雇うと、家に帰ってから常連客に絡まれる。
「出る台を教えろ」
そう言われれば、簡単には断れない。
だから店は、なるべく地元でない人間を雇った。
素性の分からない者のほうが、都合がよかった。
❷「お疲れさんです!」部屋を出て行く刑事に聞こえるように声高に、主任が「挨拶」した。
   主任は刑事が車で出て行くのを窓から確認して、店長を見て言った「あいつ、評判悪いんスよ」。数ヶ月前に就任した店長は知らないだろうという感じの言葉遣いだった。
   店長はこの業界に纏わりつく不正を知り尽くすこの道十年のベテランだ。しかし、不正は、店それぞれ違う。主任の言葉をありがたく受け取り店長はホールにでた。
   夏の日は、水を打つのが店長の日常だ。
   すると、バイクに乗った50前後の男が寄って来た。店長は、最近どうですか?と聞くと、「あきませんがな、ワシは、パチンコよりもこっちがええねん」と言って、脇の下から親指と人差し指でリングをつくった手を見せた。お金の表示なのだが、おおよその察しはつくが、具体的にどんな事をしているのかは、わからない。
     パチンコで負けこんだ客にお金を貸すというパチンコの「闇金」   の事だ。「十一」というからけっこう儲かる金貸しだ。
   貸した客がその日勝てばその日に返済できる。その時は、手数料一割。後は、「十一」だから厳しい。
   逃げないのか?そこは、貸す人はよく見てて、その店の常連にしか貸さない。
   パチンコの常連は、自分の打ち込んだ台に執着する。他の店で新たに開拓するよりもずっと効率が良いのだ。例え逃げてもパチンコの世界は狭い。おおよその見当はつく。
   ましてや貸した金額は、一万円二万円の世界だ。
   しかし、毎日一万円以上もって遊ぶと一年二百万以上の損金額になり退職金の一千万円を三年で使い果たした、と言う話もある「たかがパチンコされどパチンコ」ということか。
  でも、パチンコは開店から閉店まで一日中打っても、負け金額は、三十万円にならない。
   競輪競馬は、掛け金に上限がないので一日で首をくくらなくてはならない事もある。パチンコは賭け事よりも遊戯性が強いゆえんだ。
   そんな、ことを考えながら店長室に戻ると、主任が、「あれみてくださいよ、店長」と、監視カメラを指さした、その先にさっきの刑事とバイクの金貸し男が、並んで打っている。
   刑事が横で打っているバイク男に合図をすると小さく折ったお金を渡す。
    なるほど、刑事なら食いっぱぐれはないだろうし、刑事も例のタバコがあるので返済は心配ない。
    店にとっても害はない。主任と何気なくみていると、突然主任が「あっ」言って店長室を慌てて出ていった。

❸(乱闘~警察)
スロットを打っていた若い男が、突然、襟首をつかまれて引き倒された。
次の瞬間、ホールがざわついた。
引き倒した男の言い分はこうだった。
もう少しで出そうだった台を離れ、金を取りに家へ帰った。
戻ってきたときには、その台が大連チャンしていた。
「カッとなった」
それだけの理由だった。
「目印のタバコ、置いてあったやろ」
男はそう責め立てる。
席を立つとき、タバコやハンカチを置くのは暗黙の了解だ。
だが、引きずり倒された若者は首を振った。
「そんなもん、なかった」
それで済む話ではない。
「置いてあった」「置いてなかった」
押し問答のまま、二人は店の外へ出た。
次の瞬間、掴み合い、殴り合いになった。
主任は、ホールの空気を鎮めるため中へ残った。
外の乱闘を止めるのは、店長の役目だった。
だが、百六十にも満たない私が、百八十はあろうかという若い男二人の間に割って入るのは、無謀に近い。
そのとき、パトカーのサイレンが聞こえた。
乱闘は、あっけなく終わった。
店長室に戻ると、ヘルメットをかぶった警察官が二人いた。
どちらも、元は生活安全課だという。
履歴調査に来る刑事は刑事課だが、パチンコの担当は生活安全課だ。
何を求めているのかは、分かりきっている。
主任は、タバコを一カートン、レジ袋に入れた。
中身が分からないようにして、二人に手渡す。
警察官たちは、出された缶コーヒーに手も付けず、袋を持って部屋を出た。
「あいつら、ほんまにパチンコ屋をなめてますわ」
三十の主任が、吐き捨てるように言った。
五十を過ぎた私は、
「そんなもんやろ」
とだけ答えた。
そのときだった。
さきほどの刑事に向けた「お疲れさんです」と、
今の警察官たちへの態度が、まるで違うことに気づいた。
その違和感が、頭の片隅に、残った。


❹(主任の消失)
朝から、主任の様子がおかしかった。
開店は十時だ。
早いと言うほどではないが、主任は落ち着きがなかった。
いつもなら、ゆっくり飲むコーヒーを半分も残している。
灰皿には、少しだけ吸ったタバコの吸い殻が一本。
どうしたんだ、と声をかける前に、
監視カメラの画面に目がいった。
主任と、あのバイクの男が話している。
しばらくして、主任が店長室に入ってきた。
「店長、昼は外で食べます。少し、店を空けます」
そう言って、机の上に書類を置いた。
「従業員の履歴書のコピーです」
私は、深く考えずに、
「はいはい」
と返事をした。
昼前、例の刑事が入ってきた。
いつものようにソファに腰を下ろし、車のキーをテーブルに放る。
ファイルを開き、また、真ん中あたりで止めた。
タバコに火をつけ、缶コーヒーを手に取る。
広げたページは、先日と同じだった。
そのとき、初めて気づいた。
右に私の名前がある。
左には、「主任」とだけ書かれている。
文字は、パソコンではない。
ボールペンで、殴り書きしたような「主任」だった。
私は、主任が用意したという履歴書のコピーを差し出した。
刑事は、それに目を落とすなり言った。
「いつもタバコ運んでくるんは、主任か?」
「そうですが」
「主任の、名前は?」
少しだけ声を落として、
「金本です」
と答えた。
刑事は、紙から目を離さず言った。
「金本、いう名前、ないな」
八枚ほどの履歴書だ。
見落とすはずがない。
そのとき、遅れて理解した。
私は一か月前に、この店に赴任した。
主任は、ずっと前からいるものだと思い込んでいた。
だが、
主任の履歴書は、どこにもなかった。
刑事は、そのことを知らせるために、
わざわざファイルを開き、
真ん中で止めていたのだ。
私はインカムで、別の従業員を呼んだ。
主任の代わりに、刑事の車のキーを渡す。
その従業員は、何も聞かず、黙ってうなずいた。
どうやら、このやり取りは、
店では言わずもがなのことらしかった。
刑事は、キーをポケットに入れながら言った。
「主任さん、呼んでや」
「昼食に出ています。もうすぐ戻ると思いますが」
「ほな、待たせてもらうわ」
部屋には、私と刑事だけが残った。
私は思い切って聞いた。
「主任に、何かあるんですか」
刑事は、軽くうなずいた。
「ちょっとな」
それ以上は、何も言わない。
時間が過ぎた。
主任は戻らなかった。
インカムで聞いても、誰も知らないという。
いつの間にか、
あのバイクの男の姿も消えていた。
そのことを伝えると、
刑事の目が、わずかにつり上がった。
「いつからや」
「午前中から……」
そう言い終わる前に、刑事は立ち上がり、
足早に部屋を出ていった。
一人になった私は、
エアコンを切り、窓を開けた。
張りつめていた空気が、
一気に外へ流れていく気がした。
冷めたコーヒーを飲みながら、
私は、ここ数日の出来事を思い返していた。

❺(名前)・エンディング
冷めたコーヒーを飲みながら、
私は、ここ数日の出来事を一つずつ辿っていた。
必要もないのに、刑事がファイルを開いたこと。
バイクの男と刑事が、並んで台を打ち、
小さく折った金が手渡されたこと。
そして、乱闘のとき。
主任が外に出ず、
私に仲裁を任せたこと。
主任は、百七十前後の体格で、
格闘技をやっていたと言っていた。
今思えば、
どの場面でも、
主任は警察を避けていた。
そのとき、
ふと、ある会話を思い出した。
店休日、たまたま店長室で二人きりになったとき、
主任がぽつりと言った。
「差別って、嫌ですよね」
私が言葉を探していると、
主任は続けた。
「差別いうたら、朝鮮人や韓国人の話になる。でもな、同じ外人でも、アメリカ人を差別した話なんて、聞いたことないでしょう」
私たちは、それ以上何も言わなかった。
主任は、少し寂しそうな顔で部屋を出ていった。
あれは、数週間前のことだった。
「差別」という言葉は便利だ。
何でも、それで片づけられる。
だが、
公の差別と、
個人の差別は、
同じではない。
それを混ぜたままでは、
何も見えなくなる。
主任の名前は、金本。
おそらく、本名は「金」だったのだろう。
どんな差別を受け、
何を選び、
どこへ行ったのか。
それを、私は知らない。
もう、戻ってこないのだろうか。
従業員に聞くと、
バイクの男の後ろに乗り、
大きなバッグを抱えて出ていったという。
後になって知ったことだが、
主任と、あの男は親戚だった。
闇金も、
二人で手広くやっていたらしい。
私自身も、朝鮮人だ。
だが、
「諸葛」という珍しい名字のおかげで、
日本で生まれてこの方、
通名を使ったことはなかった。
私の本名は、
諸葛英雄という。
三十年来の付き合いになる歯科医の友人がいる。
日本人だ。
彼は、いつもこう言っていた。
「私は日本が好きだ。
そして、諸葛さんも朝鮮が好きだ。
だから私は、あなたが好きなんです」
「国を愛する人間は、
日本にだけいるわけじゃない。
それを忘れたら、
何も見えなくなる」
冷えきったコーヒーを、
私は最後まで飲み干した。
パチンコ業界には、
私の知るだけでも、
多くの在日の名前がある。
その一つ一つを思い浮かべながら、
私は、
大きく息を吐いた。
 ―――🔺🔺🔺―――
店は、相変わらず繁盛している。ほぼ八割稼働だ
パチンコ店は、一度このような「信用」を得ると、なかなか客は離れない。
客は、その店での勝ち負けに一喜一憂しているわけではない。
「店に情を移す」――つまり居心地の良さだ。
別の言い方をすれば、常連同士のふれあいに来ているのである。
冷暖房、空調は申し分ない。
昔のようなタバコ臭さもない。
ちょっとしたフードがあり、自販機も充実している。
そして、そこへ行けば、いつもの「パチ友」に会える。
年金暮らしの年寄りも集まる。
生活保護の人がパチンコをしていると、色眼鏡で見る者もいるが、私にはその理由が分からない。
パチンコは、貧乏人の娯楽なのだ。
一度、来てみたらいい。
うるさいジャーという独特の音も、近年では各台にイヤホンが装備され、気にならない。
至れり尽くせりである。
負けた客は、しばらく紙コップのコーヒーを飲みながらパチ友と話し込み、気が済めば帰る。
そのような毎日だ。
パチンコの常連は、うどん屋の常連とは一味違う。
金が絡むからだ。
美味しいから、またその店に行こうという感情と、
一万円、二万円儲けた、勝ったからまた行こうという感情とでは、
「アドレナリン」の出方が根本的に違う。
うどん屋で美味しいと感じるのは、「オキシトシン」や「セロトニン」といった穏やかな物質だ。
それに対し、パチンコの「大当たり」や「大連チャン」で放出される「ドーパミン」は、
文字通り「ドバッ」と出る。
そして、そのドーパミンは、ほとんど四六時中、頭にインプットされる。
夜、寝ていても夢枕に出てくる。
この「ドーパミン効果」こそが、ギャンブルにおける最も癖の悪い敵だ。
免疫のない若者は、たちまち「大当たり」「大連チャン・ドーパミン」の虜になる。
だが、残念ながら、そんなものは滅多に起こらない。
年に一度あるかないかだ。
その「年に一度あるかないか」の幸運を求めて、毎日、店に通う。
ほとんど中毒である。
ハマり、抜けられなくなる。
だから、十八歳未満お断りなのだ。

携帯が鳴った。社長からだ。
「今から店に副主任を連れて行くから」
それだけ言って切れた。
ほどなくして、社長が入ってきた。
年は私と変わらぬ五十代。腹も出ていて、いかにも割腹がいい。
普通、パチンコの社長と原発の所長は、物件の近くには住まない。
何かあったとき、責任者に何かあっては困るからだという。
火災、事故、あるいは――暴力沙汰。
万一のとき、誰が責任を取るのか。
だが、それなら二階に住んでいる従業員はどうなるのかと思う。
まったくもって、経営者の勝手な理屈である。
実際、負けた腹いせに、たまたま店の近くにあったパチンコ屋の社長宅が放火された事件も、過去にはあった。
そのため、社長の自宅は、十年働いた私でも知らない。
忘新年会は必ず外でやる。
新年の挨拶も、そこで済ませる。
聞くところによると、社長の家は豪邸らしい。
パチンコは儲かる。
やっていれば、それは嫌でも分かる。
では、そこらの小金持ちが簡単にできるかと言えば、そうではない。
一店舗、土地代と機械代を含めれば、十億円はくだらないだろう。
話を、新しい副主任に戻す。
履歴書を見て、正直ちょっと驚いた。
そこそこの良い大学を出て、名の知れた会社に勤めていたとある。
では、なぜその会社を辞めたのか。
もちろん履歴書にそこまでは書かれていない。
ただ、当社を選んだ動機として、
「報酬が良いから」
と、はっきり書いてあった。
なるほど、そこは納得だ。
こんな職場環境の良い所はない。
とにかく、頑張ってもらおう。
主任が不在の中、私も奮闘していた。
これで一安心だ。
ただ、一点だけ。
名前が「松山」というのが、少し気になった。

「松山です。よろしくお願いします」
挨拶に来た副主任は、身長百七十ほどの中肉中背。
やや華奢な体つきだ。
毎日、遅刻せずに仕事をしてくれれば、それでいい。
その程度に考えていた。
ソファにゆったりと座っていた社長が言った。
「主任おらんかったから大変やったな。気にしてたんや。
これでワシも一安心や」
そう言って、私を見た。
「最近どうなん? ちょっと痩せたんちゃうか?」
社長がタバコに火をつける。
この社長は、やり手として業界では名が通っている。
パチンコ五店舗、スナック三店舗。
それに不動産屋もやっている。
兄は薬関係の会社を持っているという。
不動産と薬――ある意味、不景気知らずだ。
社長は次男坊。
少し気難しいが、厳しさの中に気遣いもある。
副主任はまったくの素人だが、他店舗で半年ほど経験させたという。
「あとは頼むで」
そう言うと、社長はホールを一回りし、
店長室のドアを少し開けたまま、
「ほな、よろしくな」
と言って帰っていった。
いつも、そうだ。
来るときも、帰るときも無造作。
部屋には入らない。
一度、見送りに行ったことがある。
青のBMW七シリーズだった。
新車で千五百万円はする車だ。
最近は、シルバーのベンツに乗り換えたと聞く。
何台、高級車を持っているのか分からない。
副主任が、私の様子をうかがいながら言った。
「やっぱり、パチンコの社長は金持ちですね。
今日はベンツで来ましたけど、最初はBMWでした」
私との距離を縮めようと話しかけてくる。
利発な男だ。
私はその意図を汲み、
「ちょっと座ろうか」
と声をかけた。
「私はタバコを吸わないが、副主任は?」
「吸います」
そう言ったが、火はつけなかった。

少し沈黙が流れた。
私がホールに出ようとすると、「私が……」と言って、副主任が部屋を出た。
「頼むよ」
副主任の初仕事だ。
私は、二十台ほどある監視カメラを見ながら、副主任を追った。
パチンコ、スロット台が千二百台ある中で、今日は八割稼働。
七百人ほどもいる客の中で、副主任を見失いそうになる。
――いた。
けっこう手際よく動いている。
ホールに出ての動きは、客の手と足を見るのがポイントだ。
顔はそれほど気にしなくていい。
横から見たときの手と足の異常に気づけば、一発で不正を見抜ける。
迅速さが命だが、そこはまだ未熟なようだ。
少し遅い。
――オット。
私は、不審な動きに気づいたが、副主任はまだ気づいていないようだ。
三コースの中ほど。
左足の動きに気づいた横の台の客が、ドル箱を動かしている。
玉の横流しだ。
友だちの金が無くなると、出している横に移動し、出した玉をもらう。
お金も払わず、その玉で大当たりした日には、店は大損だ。
動かしたドル箱には、玉が半分ほど。
玉の横流しは、一番よくある不正だ。
それ以上に怖いのは、真っ当に金を使っている客の気持ちが冷えることだ。
不正は、誰よりも客が先に気づく。
私はホールに出て、客の後ろに立ち、耳元で語気を強めて言った。
「お客さん、ドル箱困りますよ」
客は驚いた様子も見せず、すっと立って別の台へ移動した。
それでいい。
怒鳴ってもダメ。
かといって、弱腰でもダメ。
移動したということは、
「分かった。もうしません」
という意思表示なのだ。
入ったばかりの頃は、不正を見ると血が上り、後先構わず客を責めた。
だが今は違う。
「負け込んだのか。気持ちは分かるよ。でも、それはダメだろう」
そんな対応ができるようになった。
日常的に起きる不正を監視するのが、店長と主任の仕事だ。
それができなければ、ネクタイを締め、最高の環境で高い給料をもらえる仕事ではない。

もうそろそろ一日も終わる。
店も閉店間際だ。
お客さんも三割ほどに減ってきた。
パチンコの玉一個四円。
それが一分間に百個飛ぶ。
単純に言えば、一分間に四百円の売り上げだ。
もっとも、パチンコには「返し」がある。
台に明記してある、ポケットと呼ばれる所に入れば、何個か玉が返ってくる。
最後の一個で大当たりすれば、
お客さんは、四円で数千円の儲けになる。
そこが、ギャンブルのギャンブルたる所以だ。
とりあえず、最後の一個まで、しっかり遊んでいってもらう。
玉は、一個たりとも持ち出し禁止だ。
よくお客さんが、
「俺が金で買った玉だから、俺の玉だ」
と言うが、玉は、あくまでもレンタルだ。
お客さんの物ではない。
閉店の音楽が流れる。
打ち込めなかったお客さんが、玉を持ってカウンターに並ぶ。
朝から閉店まで、トイレを除いてはご飯も食べずにパチンコを打つ。
常連言葉に、
「大当たりしたら、親が死んでも、よう動かん」
という言葉がある。
最近は、稼働率を上げるために、飲み物やスナック菓子などを、お客さんの台まで運んでくれるサービスもある。
新幹線の車内販売のようなものだ。
パチンコの場合は、台の上についている呼び出しボタンを押せばいいから、車内販売よりも効率が良い。
お客さんもいなくなり、掃除部隊が一斉に、パチンコ台から椅子、床へと清掃に入る。
数十人が、千二百台の清掃を、約十五分ほどで終了する。
ここからが、店長、主任の仕事だ。
清掃中に、両替機をやる。
各両替機には、一万円札を千円札に交換するための機械がある。
少し前までは、百円玉交換もあったので、けっこう重かったが、
今は、お札だけなので、そうでもない。
今は、キャッシュレス、カードの時代だから、
こんな作業も、なくなったのだろうが、
三十年前は、こうだった。

副主任が来て、数ヶ月が過ぎた。
副主任も、けっこう手際よく業務をこなせるようになった。
ある日の閉店間際だった。
携帯が鳴った。
珍しく、社長からだった。
閉店間際の忙しい時間に、電話が来ることはない。
「店長、一枚ナ」
そう言って、電話は切れた。
これは、業界用語だ。
それも、幹部だけの、極々秘密の言葉だ。
会社内でも、他店店長でも、知らない人もいるほどの暗号だ。
「分かりました」
そう言って、私は電話を切った。
翌日の開店前に、携帯が鳴った。
社長だ。
「どお?」
「OKです」
「わかった」

「一枚ナ」……。
閉店後両替機の回収が始まる。

店長室では、厳重に鍵外かけられ、計算が始まる。6っ箇所に設置された両替機から集められた一万円冊と残った千円札を計数機にかける「ズババババババッ」計数機が札をなぐる音がする。一日の売り上げが数百万円だ、輪ゴムで縛られた百万円単位の札束が無造作に並ぶ。万札と千円札の束をパソコンに数えパソコンに打ち込む。
   パソコンは、本社、つまり社長の自宅に繋がっている。
    社長は毎日パチンコ五店舗の売り上げとスナック三店舗の売り上げが瞬時把握できるようになっている。 
    いつもピッタリ会うとは限らない。朝に各両替機に千円札数十万円ずつ入れるのだけなら、朝に入れた金額分だけ夜に合わせれば良い。ところが日によって違うが途中補充という作業がある。各コーナーのエンドにベルトコンベアで流れてきた千円札を回収して両替機に戻し入れるという作業だ。営業時間が五六時間過ぎると各エンドにストックされた千円札を店長室に持って来て数えて記録し、金庫に入れて、両替機に千円札が無くなるとそれを持って補充する。この過程でちょっとした事が起きる。
    例えば一番多いのがお札を運ぶベルトコンベアでのトラブルだ。滅多にないが、お札とお札どおしが重なってコンベアから滑り落ちる、新札が多いと有り得るトラブルだ。こういうトラブルと盗難防止のためにめんどくさいが朝に仕込む両替機の千円札は多く入れない。従って途中補充が重なる。
   すると千円札の一枚二枚が合わない時がたまにある。ほとんどの場合探せば出てくるが、出てくるまでどれだけ時間がかかっても探す、たった一枚の千円札のために徹夜することになる。全くめんどくさい。
   「一枚ナ」は、店長
が不正防止のためわざと千円札一枚を抜いておく、ということだ。
    もし、副主任が閉店後に計算して千円札一枚足りません。と報告してくれば、「OK」。異常なしと報告してくれば大変な事になる。通常は、社長に報告、本社呼び出し、他店舗移動か即「首」だ。パチンコ業は、現金商売だ。つけ(概算)も何もない。従って現金に対する管理が厳しい。
    こういう厳しさが、パチンコ業をここまで成長させて来たと、言っても過言ではない。しかし、裏を返せば、常に幹部の行動を色眼鏡でみるいやらしさもついてまわる。
  
二、三日たって、社長から電話があった。
「店長、副主任変えるわ。
次の副主任は、今班長している子が三人いる中で、昇格させてください。
決まったら報告して。
副主任は、ワシが迎えに行くから」
「あ、はい」
あまりに唐突な電話に、ぼんやりした感情に陥った。
まあ、あるあるのこの世界だと思いながら。
(そうか……松山は、社長と同じ名前だ)
後から分かったことだが、副主任の松山は、社長が経営するスナックのママとの間にできた子だった。
一流大学まで出したが、公務員試験で朝鮮籍が引っかかり、採用されなかった。
しばらく引きこもっていたところを、この店に無理やり就職させ、社会復帰をさせたらしい。
ゆくゆくは、社長の後釜にさせるつもりだという。
私は、ぬるく澱んだ店長室の空気を入れ替えるため、窓を全開にした。
同じ差別でも、
バッグ抱えてバイク男と逃げた主任と、
社長の子どもの副主任。

金持ちと、そうでない者の差は、雲泥の差だ。
私はまた、この業界にいる多くの在日の名前を、一つ一つ思い浮かべながら、
また、大きく息を吐いた。
[了]
―――♥️♥️♥️―――
【補章】《ある店長の半生》
五十歳の店長(私)には、四十九歳の妻を亡くしたという、心に重い十字架がずっと刺さっている。
    国立大学をトップレベルで卒業した私は、当時、怖いもの知らずだった。
給料も出ない、誰もが嫌がる地方のボランティア活動に身を置いた。そこで出会った、評判の美人に一目惚れした。「美女と野獣」とまで言われたが、どこ吹く風で猛アタックした。
   高校卒業したばかりの十七歳(早生まれ)の彼女は、二十五歳の成人した大人である私に心を許し結婚。
それからというもの、私は収入もないボランティア活動に、ますますのめり込んでいった。
彼女の父――義父は、「収入もない仕事なんかして、恥ずかしくないのか!」と一喝したが、当の私は聞く耳を持たなかった。
ある日、妻が「財布に三百七十円しかない」と言った。その言葉で、ようやく目が覚めた。
私は実家を頼り、米をもらってきたが、おかずを買う金がなかった。
妻は、おにぎりに海苔で顔を書き、子どもに出した。
幼い子どもたち――長子と次女は、「やったー!やったー!」と無邪気に喜んだ。
その姿を見たとき、私は不甲斐ない親である自分を恨み、泣いた。
私は一大決心をし、二十年近く続けたボランティア活動に終止符を打った。
ツテを頼り、四十歳でパチンコ業界に飛び込んだ。
その店の店長は、私より十歳若い三十歳。
温厚で良い人だったが、百五十センチほどの小柄な私を、同じ二十代の店員たちは小馬鹿にした。
「おいおい、おチビちゃん。灰皿の掃除、早よせんかい」
そうなじられても、三十歳の店長は知らん顔だった。
二階の従業員部屋に戻り、私は毎晩、もんもんとしていた。
大学卒業後の二十年間は、いったい何だったのか。
それでも、毎月まとまった金を妻に送れることだけが、心の支えだった。
三年ほど経った頃、自衛隊上がりの本社部長の目に留まり、資料作成や売上データのグラフ化などを任されるようになった。
一年ほどで副店長に抜擢され、給料もぐんと上がった。
赤字で倒産寸前だった店を、年間二千万円の利益を上げる店に立て直したこともある。
この業界も、他の業界も、はっきり言えば金だけの世界だ。
義理も人情も、見せかけにすぎない。結局は金だ。
そんな折、赤字店を立て直す一番忙しい時期に、妻が癌に侵された。
「この店さえ立て直せれば、もう一歩だ」
そう自分に言い聞かせていた。
妻は亡くなる前に、こう言った。
    妻は、意にそぐわないパチンコ屋で働いていた私の辛い心を見抜いていた。
「あなた、もう何もいらないから、どこか温泉に連れて行ってくれない?
そこで、二人で暮らそうよ」
そうしたい気持ちはあった。しかし当時の私は、右も左も、いっぱいいっぱいで、妻のそんな深い言葉を受け止める余裕はなかった。
今になって思う。
なぜ、何もかも捨てて、妻の言う通りにしなかったのか。
金なんか、あったりなかったりだ。
だが、妻は、なかったらおしまいだった。
黒字二千万円で立て直した店も、妻を亡くしたショックで、たちまち成績はガタ落ちした。
だから、妻の言う通りにすればよかったのだ。
結果論だが、そう思う。
その後、私はし社長兼支店長になった。
だが、妻のいない毎日は、問いばかりを投げかけてくる。
何のためのボランティアだったのか。
何のためのパチンコ業界への転身だったのか。
子どもたちは、不動産会社の社長になり、東大を卒業し、弁護士にもなった。
立派に育ってくれた。
それでも、妻を失った心の穴を埋めるものは、永遠にないだろう。
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あとがき(投稿・書籍対応)
この物語は、特別な英雄の話ではありません。
どこにでもいる一人の男が、選び、迷い、取り返しのつかない後悔を抱えながら生きてきた、その記録です。
パチンコ業界の裏側を書こうと思ったのは、暴きたかったからではありません。
そこに生きる人間たちの、弱さや曖昧さを、嘘なく残したかったからです。
金は大事です。
だが、金より大事なものを失ってから、その事実に気づく人間もいます。
もしこの作品の中に、あなた自身の影を見つけたなら、
それだけで、この物語は役目を果たしたと思っています。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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