濁った私淑

出雲

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初めてのズレ

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他者とのズレを意識するようになったのは、私に空腹という感覚を刻々と話していたあの祖母が亡くなった時でした。



近所に住んでいたこともあり、病弱な母に代わりによく私の世話をしていた人であり、兄を含めたいとこの中でも、私を一番に可愛がってくれた人でした。

とても優しい人でした。

とても賢い人でした。

私の知る限り、親戚は皆祖母のことを尊敬し、慕っていました。

当然のように祖母の葬式には親戚をはじめとして、父の会社の方も含めて多くの人が参列しました。

前列の椅子に座る親戚は、皆尊敬していた祖母の死を哀しみ、悼んでいました。




ーーーーー唯独り、私を除いて。




7歳の私は、祖母の死が少しも哀しくなかったのです。

もちろん祖母の死を理解していなかったわけではありません。
幼いながらに人が亡くなるということは、どういうことか分かっていました。


それなのに私は、祖母の優しさや祖母との時間を思い出しても、涙がこみ上げてくることも、心が動くこともありませんでした。


それどころか、私は祖母が亡くなったと理解をするほど落ち着き、次第に安堵感がこみ上げてきました。



なぜなら私にとって、祖母は恐怖そのものだったのです。



空腹というものの恐ろしさについて、刻々と話をされたあの日から。


あの日から、私は私の理解できない恐怖を知っている人間そのものに恐怖を抱くようになりました。

その恐怖の対象は、父も、母も、兄も、変わりません。

人間というそのものに恐怖を感じていました。



私が小学生に上がってから母の体調が悪くなり、祖母との時間が増えました。

賢く、一緒にいる時間の長い祖母に対しては特に恐怖心が強く、この人に決して嫌われてはならないのだと〝良い子〟を演じていました。

演じるという認識をしていたわけではありません。

祖母に嫌われないように、怒らせないように、親の言う〝良い子にしていなさい〟の全てをこなしていたのです。

その〝良い子〟は、日に日に弱っていく祖母にも、病院のベッドに横たわる祖母にも、絶え間なく演じていました。



その祖母がもういない。


それは私にとって、恐怖からの解放でした。







しかし次第に不安になりました。
私には、本当に分からないのです。

なぜ、母が赤い目をハンカチで抑えているのか。
なぜ、父が普段見せないような渋い顔をしているのか。
なぜ、兄が大粒の涙を零し、必死に声を抑えているのか。
なぜ、いとこが顔をぐしゃぐしゃにして泣いているのか。

何がそんなに哀しいのか。
何が涙を生み出すのか。


私だけが分からない。


幼い私は、私だけが他の人とは違うのだと言う恥ずかしさと不安感を感じました。



自分も同じようにするにはどうすれば良いか。

困った私は、祖母に対してそうであったように〝演技〟をしました。
目を手でこすって、肩で息をするようヒクヒクして。
いとこの真似をして、哀しくて仕方がない泣きじゃくる子供の演技をしていました。

葬式が終わるまで、ずっと。


その最中、私は兄や周りの大人たちに頭を撫でられたり慰められたりしました。

無事に葬儀は終わりましたが、幼い私はこの時に感じたズレをしっかり心に刻んでいました。
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