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4話 愛を知って初めて生まれたことを後悔した
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目を覚ますと、そこは十畳ほどの広い和室で天井に付いている大きな四角い和紙を張った照明器具が辺を照らしていた。
「起きたか?」
ぼんやりと照らされるその部屋には髪の短いさっきの少年が恨めしい顔で俺を見ていた。起き上がろうとする気力もわかないから、寝転がったまま問いかける。
「……お前は誰なんだよ、人間か?」
唸るような苛立つ声が抑えられなかった。首絞められて、夜光虫とキスして、何がなんだかわからない。
「平然としてるんだな。また俺がお前を襲うとは思わないのか?」
「思うわけないだろう? だったら、夜光虫はお前をここには置かない」
そう言うと気に入らないと少年は舌打ちした。
「青志。夜光虫の従者。知ってるか? 鬼の血を飲んだ人間は鬼の強靭な力がもらえる代わりにその鬼に従わなければならない」
「なんだ、それ」
俺はうすら笑いした。
「外国のそれとは違うけど、吸血鬼って聞いたことないか?」
「そんなこと聞いてるんじゃない!」
その怒りに震えるを声を聞いて初めて自分の気持ちに気づいた。俺は怒っている。今まであっただろうか? こんなに怒鳴ったこと。
「……夜光虫とキスしたこと、怒ってるのか?」
何も答えられなかった。
「夜光虫からだ。俺からじゃない。……けど情けとして言っておく。鬼が従者にいうことをきかせる方法は血を飲ませることだ。俺は認めてなかったから……夜光虫の意思を。虚をつくにはあれが一番いい方法なんじゃないか?」
俺は急いで起き上がった。首がズキリと痛み出す。それでも構わず問いただした。
「夜光虫の血を……飲んだのか?」
「さっきから言ってるだろう?」
少年の顔を見た。自慢げだった。自分はお前より夜光虫を知ってると思っている顔。
「そうか……お前は夜光虫が好きなのか……」
その言葉が青志の心をえぐったのか、青志は俺の胸ぐらを掴んだ。俺はただそれを見下ろしているだけだった。
「夜光虫がお前を好きだったらよかったのに……お前なら、夜光虫は壊すことを恐れずに人を愛することができたのに」
目が熱かった。目から痛みと涙があふれるの止めたいがために、息をやめた。青志は一瞬だけど、とても情けない顔をした。それに既視感を覚えた。青志は俺を振り払うように離すと、押し殺すような声で言う。
「従者になれば、夜光虫と対等に並べる。夜光虫を守れる。……だから、俺はあなたよりマシだ」
青志はそう言うと襖を開けた。ぼんやりと光る照明のおかげで今が夜だということがわかった。夜の闇に隠れて、現実に置いていかれそうになる自分が情けなくて泣いてしまおうかと思ったが、俺の前でさえ泣かない夜光虫に申し訳なくて、それもできなかった。
「詳しくは夜光虫の命令だから言えないけど、あなたは夜光虫の願いを叶えちゃダメだ。絶対ダメなんだ」
青志はそう言うと、闇に解けるように暗い廊下をひたひたと歩いて行った。
「 、ごめん。大丈夫?」
しばらく経ってから夜光虫は顔をいつもより更に青くして襖から顔を出した。
俺は何も言わず、部屋の入口で突っ立っている夜光虫の手を引いた。何も言えなかった。ぼんやりと照明は光る。夜光虫はつまずきそうになりながら、部屋の中に入った。
夜光虫の方へ振り向けない。別に恋人じゃない。別に約束していたわけではない。けれど裏切られた気がして何も言えない。
「 」
不安そうな夜光虫の声が震える。泣きそうな声をしている。机しか置かれていない殺風景なこの部屋の中、夜光虫の方を振り向くのが怖かった。
「ねぇ、 」
もう一度、夜光虫が呼ぶ。俺は覚悟して夜光虫の方を振り向いた。俺はその光景を知っているような気がした。夜光虫が俺に抱きついた。あまりの気味悪さに払い退けたい気持ちと、ドクドクと血が煮えた熱さを感じた。
「ずっとそばに……いてくれるんだよね?」
その言葉に心が千切れそうだった。見上げる夜光虫の瞳は、酷く濁っていた。愛と寂しさと透き通るような強い感情に。
耳の奥で約束の唄の音色が聞こえた。指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ます。この歌を律儀に守る奴なんかいない。けれど、俺にとって約束は何よりも守らなければならない戒めだった。夜光虫にしてあげれる全てだった。
「……夜光虫」
「嘘でもいいの。今だけでいいの。言葉を――頂戴」
夜光虫はそう言って切れた唇をそっと俺に近づける。間近に迫った夜光虫の瞳には涙が滲んでいた。夜光虫に怯え震えていた手が感覚を取り戻す。夜光虫のサラサラな髪を撫ぜる。柔らかくなめらかで、そしてそれが自然であるように引き寄せた。何も考えず、本能で。
その瞬間、夜光虫は我に返ったように俺を突き飛ばした。突き飛ばされた俺自身、何がなんだかわからない。夜光虫は焦るように涙を流した。
「ごめん……ごめん、私、ごめん」
ただ、夜光虫は泣いた。
「……嫌だったのか?」
俺が聞くと、否定するように首を振る。
「 、ごめん、私、ごめん」
謝る夜光虫を見て、夜光虫の言葉を思い出した。
(喰わないし愛さない。私はその人と一緒にいたいから、その人を殺さない)
「ごめん」
血の気が引いた。夜光虫は俺を喰おうとしたってことなのか?
夜光虫はただ初めて泣いた。あれほど彼女の哀しむ顔が好きだったのに、心は痛むばかりだった。
「泣かないで、夜光虫。泣くな」
煩わしく思った。人を愛するのにこんな面倒な感情があることを。
彼女が泣いても心が喜ぶことはなかった。それを残念に思う自分がいることが何よりも残念だった。
「私を、これで」
夜光虫は泣きながら小さな妖刀を取り出した。刃が白濁色の、見たこともない妖刀だった。
「これは鬼の肌でも切り裂ける妖刀。これで、私の……」
「殺すのか?」
妖刀を受け取ると、夜光虫は何も言わなかった。ただいつものように薄気味悪くそれでいて悲しそうに笑う。青志が俺を殺そうとしていたのは、夜光虫が俺に殺されたがっていることを知っていたから? そんなの俺が叶えると思ってるのか? 夜光虫を殺すと思っているのか?
「約束、したよな? ずっと一緒だって。だから俺が死ぬとき、夜光虫をあの世にさらっていくよ。それでもいいか?」
夜光虫は困ったように笑った。けれど、もう妖刀は俺の手の中にあったから、もうそれでいいと思った。
「俺も、従者になれないか?」
夜光虫は目を見開いた。
「青志に聞いたの?」
俺は何も言わず、夜光虫の手を握った。
「 はどこまで聞いたの?」
「どこまでって……?」
夜光虫が焦るように俺の手をギュッと握って聞いた。
「 は……従者になれないことは聞いた?」
「なんで!」
その言葉を聞いて、つい叫んでしまうと夜光虫はビクリと体を震わせた。
「…… は私にとって特別だから」
「それって告白?」
大真面目に聞くと、夜光虫は顔を少し火照らせてそっぽをむいた。
「そういう意味じゃないけど、どう特別なのかは言えない」
「なんで?」
「それ言うと、またなんでって聞かれるから言わない」
俺が何を聞いても、聞こえない、聞こえないと喚いて、何も言おうとしない夜光虫に俺はため息を吐いた。
「じゃ、これだけは聞かせてよ。俺は夜光虫を守れないし、強くないし、人間だけど、俺の存在はあいつより大きいか?」
夜光虫は戸惑うことなく見たこともないような眩しい笑顔で答えた。
「うん」
「そうか、じゃ、それでいいや」
残酷だ、俺は。俺たちは愛し合うこともできない。喰う喰われる者同士の甘くない関係。そんな関係なのに、愛し合うことができて、優しく抱きしめてあげられる青志に夜光虫を差し出そうとしない。さっき青志にあんなことを言っておいて、俺は冷たい人間だ。
夜光虫の幸せよりも自分の幸せしか願ってない。酷く醜い人間だ。だが、それでもいい。夜光虫のそばにいられるならそれでいい。
俺は小さな妖刀を握り、夜光虫に笑いかけた。
その夜は夜光虫の家に泊まった。黒に塗られたようなこんなに純粋な闇を見たのは初めてだった。照明が少ない。ただ足音だけが忙しなく聞こえる。
二人で薄暗闇の中、息をひそめるように寝転がり手だけつないで見つめ合っていた。ただ何を話しても、言いたいことでなくて。言いたいことはないけれど、二人で一緒にいたかったのだ。
そんなふうに見つめ合っているうちに眠気が襲ってきて、まだ寝たくない俺は大して気にもしていないその足音について聞いた。
「この足音は?」
「式神って知ってる?」
夜光虫は顔に垂れる髪をさらりとどけると、ことの次第を話しだした。
「私はね、薫子さんと違って妖怪じゃない。魂魄の話はしたよね? 普通鬼は魄だけの存在。でも私には真名がある。血も肉もある。真名を与えられ、祭られた鬼神はいろんなことに使えるの。人の知恵があって、妖怪の力があって、鬼神に妬まれたらその人間は来世まで不幸だと言われているわ。それくらい、怖いものなの」
「狙われやすいってこと?」
俺は夜光虫の頭に触れた。折れた角に……優しく触れた。
「そう、でもこれは違うよ。これは親に折られたの。こんなのあったら生活できないからね」
そう言って夜光虫は角に触る俺の手を掴んだ。
「 は何も心配しなくていいの。もう眠ろう?」
「眠りたくない」
俺は初めて他人に駄々をこねた。物分りがよく、なんに対しても一歩引いて物事を見てきた。
そうすれば誰も俺のことなんか見なかった。構われたくなかった。何もかも、ただ全てのものに冷めていた。夜光虫に対してもそうだった。夜光虫が人を襲い傷つけてもそれが間違っているなんて言ったことなんかない。
俺には善悪の違いなんてわからないんだ。ただ自分が安全に生きられればそれでよかった。
「夜光虫。俺、人を好きになったことがないんだ」
何を口にしているのだろう? それを言って夜光虫になんの答えを求めているのだろう? ただ口は動き続けた。
「夜光虫は家のこと知ってるだろ? 父親しかいない。母親が自殺した。どうしてかわからない。でも、心当たりはあるんだ。俺が、普通とは違うから。人を、家族を、愛せないから」
夜光虫は黙って聞いていた。瞬きもせず、息を止めるように真剣に聞いている。
「世界で一人きりになった気がした。誰もが違う生き物に見えた。それに対して何の疑問もいきどおりも感じてない。無関心なんだ。父親に対してもいつも仕事でいなくても一人で飯食っても、それが自分の普通だと思えば、他人を羨ましいなんて思いもしなかった。……でも、ひとつだけ寂しく思ったことがある」
「それは何?」
言葉にするのが怖かった。けれど、そんな自分を見透かされるのも怖くて見栄をはるように自分を繕い、言った。
「そんな何に対しても執着しない自分に、だよ」
言った瞬間、夜光虫がぎゅっと手を握った。
「俺は何をしていても、誰といても、心の中が空っぽで誰かの幸せを祈ったこともない。人の温かみを、優しさを、本当に愛しいと思ったことがない。それが悲しかった。寂しかった。どうすれば優しくなれるのかも、どうしたら人に優しくしてもらえるかもわからない。……でも今は、目を開けていれば夜光虫が見える。目を閉じれば居なくなってしまう。眠れば一人になる気がして、眠るのが怖いんだ。一人ぼっちになりたくない。一人でいると生きているのかわからなくなる。眠ってしまいたくない。なぁ、夜光虫。俺、君が怖いんだ。本当はこの手を振り払ってしまいたいほど、君が怖くてたまらないのに、君を失うのも同じくらい怖いんだ」
華奢で壊れそうな夜光虫の肩にそっと腕を回した。夜光虫は抵抗することもなく、俺に抱きしめられた。生温かな息が俺の首にかかった。生きてる、それが感じられて初めて泣けた。どうしてこんなに悲しいのかわからなかったが、夜光虫も縋るように俺に手を回した。
その時、初めて生まれたことを後悔した。どうしてこんなに誰か必要としているのだろう? 一人で生きれない惨めさで歯が鳴るほど震えて悲しんだ。
夜光虫がいたから。孤独に慣れてそれが普通になっていたのに、二人でいることが普通になったから、俺はもう、一人で生きることに耐えれそうにない。
抱きしめれば、夢の中にでも夜光虫を引き込めるだろうか? そんなことを考えて、人に初めて執着を持った。この気持ちをなんて呼ぶのかも知らずに。
「眠ろう、手を繋いで眠れば一緒の夢を見れるから」
なだめられるようにそう言われて目をつぶれば、疲れていたのか、暗く霞んだ夢の中に静かに落ちていった。
「起きたか?」
ぼんやりと照らされるその部屋には髪の短いさっきの少年が恨めしい顔で俺を見ていた。起き上がろうとする気力もわかないから、寝転がったまま問いかける。
「……お前は誰なんだよ、人間か?」
唸るような苛立つ声が抑えられなかった。首絞められて、夜光虫とキスして、何がなんだかわからない。
「平然としてるんだな。また俺がお前を襲うとは思わないのか?」
「思うわけないだろう? だったら、夜光虫はお前をここには置かない」
そう言うと気に入らないと少年は舌打ちした。
「青志。夜光虫の従者。知ってるか? 鬼の血を飲んだ人間は鬼の強靭な力がもらえる代わりにその鬼に従わなければならない」
「なんだ、それ」
俺はうすら笑いした。
「外国のそれとは違うけど、吸血鬼って聞いたことないか?」
「そんなこと聞いてるんじゃない!」
その怒りに震えるを声を聞いて初めて自分の気持ちに気づいた。俺は怒っている。今まであっただろうか? こんなに怒鳴ったこと。
「……夜光虫とキスしたこと、怒ってるのか?」
何も答えられなかった。
「夜光虫からだ。俺からじゃない。……けど情けとして言っておく。鬼が従者にいうことをきかせる方法は血を飲ませることだ。俺は認めてなかったから……夜光虫の意思を。虚をつくにはあれが一番いい方法なんじゃないか?」
俺は急いで起き上がった。首がズキリと痛み出す。それでも構わず問いただした。
「夜光虫の血を……飲んだのか?」
「さっきから言ってるだろう?」
少年の顔を見た。自慢げだった。自分はお前より夜光虫を知ってると思っている顔。
「そうか……お前は夜光虫が好きなのか……」
その言葉が青志の心をえぐったのか、青志は俺の胸ぐらを掴んだ。俺はただそれを見下ろしているだけだった。
「夜光虫がお前を好きだったらよかったのに……お前なら、夜光虫は壊すことを恐れずに人を愛することができたのに」
目が熱かった。目から痛みと涙があふれるの止めたいがために、息をやめた。青志は一瞬だけど、とても情けない顔をした。それに既視感を覚えた。青志は俺を振り払うように離すと、押し殺すような声で言う。
「従者になれば、夜光虫と対等に並べる。夜光虫を守れる。……だから、俺はあなたよりマシだ」
青志はそう言うと襖を開けた。ぼんやりと光る照明のおかげで今が夜だということがわかった。夜の闇に隠れて、現実に置いていかれそうになる自分が情けなくて泣いてしまおうかと思ったが、俺の前でさえ泣かない夜光虫に申し訳なくて、それもできなかった。
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青志はそう言うと、闇に解けるように暗い廊下をひたひたと歩いて行った。
「 、ごめん。大丈夫?」
しばらく経ってから夜光虫は顔をいつもより更に青くして襖から顔を出した。
俺は何も言わず、部屋の入口で突っ立っている夜光虫の手を引いた。何も言えなかった。ぼんやりと照明は光る。夜光虫はつまずきそうになりながら、部屋の中に入った。
夜光虫の方へ振り向けない。別に恋人じゃない。別に約束していたわけではない。けれど裏切られた気がして何も言えない。
「 」
不安そうな夜光虫の声が震える。泣きそうな声をしている。机しか置かれていない殺風景なこの部屋の中、夜光虫の方を振り向くのが怖かった。
「ねぇ、 」
もう一度、夜光虫が呼ぶ。俺は覚悟して夜光虫の方を振り向いた。俺はその光景を知っているような気がした。夜光虫が俺に抱きついた。あまりの気味悪さに払い退けたい気持ちと、ドクドクと血が煮えた熱さを感じた。
「ずっとそばに……いてくれるんだよね?」
その言葉に心が千切れそうだった。見上げる夜光虫の瞳は、酷く濁っていた。愛と寂しさと透き通るような強い感情に。
耳の奥で約束の唄の音色が聞こえた。指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ます。この歌を律儀に守る奴なんかいない。けれど、俺にとって約束は何よりも守らなければならない戒めだった。夜光虫にしてあげれる全てだった。
「……夜光虫」
「嘘でもいいの。今だけでいいの。言葉を――頂戴」
夜光虫はそう言って切れた唇をそっと俺に近づける。間近に迫った夜光虫の瞳には涙が滲んでいた。夜光虫に怯え震えていた手が感覚を取り戻す。夜光虫のサラサラな髪を撫ぜる。柔らかくなめらかで、そしてそれが自然であるように引き寄せた。何も考えず、本能で。
その瞬間、夜光虫は我に返ったように俺を突き飛ばした。突き飛ばされた俺自身、何がなんだかわからない。夜光虫は焦るように涙を流した。
「ごめん……ごめん、私、ごめん」
ただ、夜光虫は泣いた。
「……嫌だったのか?」
俺が聞くと、否定するように首を振る。
「 、ごめん、私、ごめん」
謝る夜光虫を見て、夜光虫の言葉を思い出した。
(喰わないし愛さない。私はその人と一緒にいたいから、その人を殺さない)
「ごめん」
血の気が引いた。夜光虫は俺を喰おうとしたってことなのか?
夜光虫はただ初めて泣いた。あれほど彼女の哀しむ顔が好きだったのに、心は痛むばかりだった。
「泣かないで、夜光虫。泣くな」
煩わしく思った。人を愛するのにこんな面倒な感情があることを。
彼女が泣いても心が喜ぶことはなかった。それを残念に思う自分がいることが何よりも残念だった。
「私を、これで」
夜光虫は泣きながら小さな妖刀を取り出した。刃が白濁色の、見たこともない妖刀だった。
「これは鬼の肌でも切り裂ける妖刀。これで、私の……」
「殺すのか?」
妖刀を受け取ると、夜光虫は何も言わなかった。ただいつものように薄気味悪くそれでいて悲しそうに笑う。青志が俺を殺そうとしていたのは、夜光虫が俺に殺されたがっていることを知っていたから? そんなの俺が叶えると思ってるのか? 夜光虫を殺すと思っているのか?
「約束、したよな? ずっと一緒だって。だから俺が死ぬとき、夜光虫をあの世にさらっていくよ。それでもいいか?」
夜光虫は困ったように笑った。けれど、もう妖刀は俺の手の中にあったから、もうそれでいいと思った。
「俺も、従者になれないか?」
夜光虫は目を見開いた。
「青志に聞いたの?」
俺は何も言わず、夜光虫の手を握った。
「 はどこまで聞いたの?」
「どこまでって……?」
夜光虫が焦るように俺の手をギュッと握って聞いた。
「 は……従者になれないことは聞いた?」
「なんで!」
その言葉を聞いて、つい叫んでしまうと夜光虫はビクリと体を震わせた。
「…… は私にとって特別だから」
「それって告白?」
大真面目に聞くと、夜光虫は顔を少し火照らせてそっぽをむいた。
「そういう意味じゃないけど、どう特別なのかは言えない」
「なんで?」
「それ言うと、またなんでって聞かれるから言わない」
俺が何を聞いても、聞こえない、聞こえないと喚いて、何も言おうとしない夜光虫に俺はため息を吐いた。
「じゃ、これだけは聞かせてよ。俺は夜光虫を守れないし、強くないし、人間だけど、俺の存在はあいつより大きいか?」
夜光虫は戸惑うことなく見たこともないような眩しい笑顔で答えた。
「うん」
「そうか、じゃ、それでいいや」
残酷だ、俺は。俺たちは愛し合うこともできない。喰う喰われる者同士の甘くない関係。そんな関係なのに、愛し合うことができて、優しく抱きしめてあげられる青志に夜光虫を差し出そうとしない。さっき青志にあんなことを言っておいて、俺は冷たい人間だ。
夜光虫の幸せよりも自分の幸せしか願ってない。酷く醜い人間だ。だが、それでもいい。夜光虫のそばにいられるならそれでいい。
俺は小さな妖刀を握り、夜光虫に笑いかけた。
その夜は夜光虫の家に泊まった。黒に塗られたようなこんなに純粋な闇を見たのは初めてだった。照明が少ない。ただ足音だけが忙しなく聞こえる。
二人で薄暗闇の中、息をひそめるように寝転がり手だけつないで見つめ合っていた。ただ何を話しても、言いたいことでなくて。言いたいことはないけれど、二人で一緒にいたかったのだ。
そんなふうに見つめ合っているうちに眠気が襲ってきて、まだ寝たくない俺は大して気にもしていないその足音について聞いた。
「この足音は?」
「式神って知ってる?」
夜光虫は顔に垂れる髪をさらりとどけると、ことの次第を話しだした。
「私はね、薫子さんと違って妖怪じゃない。魂魄の話はしたよね? 普通鬼は魄だけの存在。でも私には真名がある。血も肉もある。真名を与えられ、祭られた鬼神はいろんなことに使えるの。人の知恵があって、妖怪の力があって、鬼神に妬まれたらその人間は来世まで不幸だと言われているわ。それくらい、怖いものなの」
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「それは何?」
言葉にするのが怖かった。けれど、そんな自分を見透かされるのも怖くて見栄をはるように自分を繕い、言った。
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言った瞬間、夜光虫がぎゅっと手を握った。
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その時、初めて生まれたことを後悔した。どうしてこんなに誰か必要としているのだろう? 一人で生きれない惨めさで歯が鳴るほど震えて悲しんだ。
夜光虫がいたから。孤独に慣れてそれが普通になっていたのに、二人でいることが普通になったから、俺はもう、一人で生きることに耐えれそうにない。
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