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葬送
弐
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深夜、相対する主人 ー と言っていいのか ー に、どう答えるべきか迷う政司を構うことなく、刀夜は美羽の体を小脇に抱える。
「どちらへ行かれるのですか?」
その場を後にしようとする刀夜の進路を阻みつつ尋ねる。
「屋敷では、まずいのだろう? 裏の竹林なら多少汚れても、お前も気にすまい」
気を使われた所で有り難くもない内容に、「確かに都合よく裏には棺桶も置いてあります。しかも中には、その子の母親もいるわけで、一緒に埋めてあげれば感謝されるでしょうよ」
そんな皮肉を言ってやりたかったが、彼にそんな事を言えば喜々として美羽をいたぶり、殺してしまうに違いない。
「刀夜さま。そんな痩せこけた、体力もない子供では、何度か切り付けただけで死んでしまいますよ」
苦々しく漏らした政司の言葉に、刀夜は胡散臭げに振り返る。
「あっさり死なれては、面白くないのでしょう? もう少しその子が大きくなって、反抗したり、命乞いが出来るぐらいに育ってからにした方がいいんじゃないですか」
獲物が泣き叫び苦しみの中で命を乞う様、己の言動で他者が振り回され困惑する様に喜びを感じる刀夜である。必死になって庇おうものなら、政司を困らせる為だけに、この場で美羽の首は切り落とされるであろう。
政司にとって美羽は保護すべき対象ではないのだが、彼女を連れ帰った藤也が身元が解るまでは屋敷に置くと決めたからには、今晩死なせる訳にはいかない。
そんな事になったら、藤也に何と説明すればいいのだろう?
「あなたの中にいる刀夜が殺してしまいました!」なんて口が裂けても言えるものではない。
そう、藤也自身は己の中に、このような血に狂った存在が潜んでいるとは夢にも思っていないのだから……。
政司は内心の焦りを押し隠し、探るような刀夜の視線を受け止める。
「母さま…」
その時、刀夜の腕の中で美羽が呟いた。
この状況で泣き出されでもしたら、やっかいな事になりそうだ。
「さあ、刀夜さま。その子が起きないうちに」
そう言って美羽を受け取ろうと手を差し出す。素直に渡してくれるはずはないと思いつつ促すと、刀夜はあっさりと美羽の体を手放した。
「では、失礼いたします」
その場から逃げるように立ち去る政司に、嘲笑うように刀夜が声を掛ける。
「早く育つよう、せいぜい旨いものを食わせてやるんだな」
※ ※ ※ ※ ※
明くる朝、通いの下男がやって来ると、政司は回向院まで使いを頼んだ。
美羽の素性はおいおい調べるにしても、母親の遺体を所縁のものを探し出すまで放置するわけにはいかなっかた。
息を引き取ってから、数日以上たっている上に、水死体となれば腐敗も早い。昨日の時点でも、既に一部は骨が晒され、最早家族でも生前の姿を重ねるのは無理だろうという有り様であった。こうなると、通夜等出来るはずもないし、一刻も早く埋葬するしかないと政司は判断した。それにこの事が殿様の耳に入る前に、全てを済ませ万事問題ないと答えられる状態にしておかなければならなかったからだ。
政司は朝餉の仕度が整ったのを確認すると、未だ寝床の中であろう藤也を起こしに向かった。
「藤也さま、お目覚めですか?」
声を掛けつつ襖を開くと、既に目覚めていた藤也は政司を振り向き、唇に指を当てる仕草で、政司を黙らせる。
布団の上に起き上がった藤也に、美羽がしがみついて眠っていた。その身体を抱き止めた藤也は、無防備な小さな背中を軽く叩きながら身体を前後に揺らしていた。
孤独な魂が寄り添いあって、お互いを暖めている……そんな風に思ってしまうのは政司の思い入れのせいであろうか。この時の二人の様子を、後々、事ある毎に思い出す政司であったが、今は済ませねばならぬ事共を片付けなくてはと、そのまどろみに割って入った。
「藤也さま、定吉に回向院への使いを頼んでおきました。手はずが整い次第仏さまを弔いに参りたいのですが」
寝ている美羽に気を使い幾分声を落として話しかける。
「そうだね。その方がいい、美羽がちゃんとおっかさんにお別れが出来るように……」
過去の己を思い出しているのか、そう答える藤也の声は少し震えているようであった。
※ ※ ※ ※ ※
あの日は、今日のように清々しく晴れた天気ではなく、明け方からしとしとと雨が降り始め、一向にやむ気配さえなかった。
殿様に藤野の弔いを任された政司は、すぐに数人のご家来衆と供に岩穴に戻り藤野の遺体を運び出して来た。殿様の心配りで届けられた品々のお陰で、政司の家で行われた通夜は、華美ではなかったが決して貧相でもなかった。
ある程度の汚れを拭い、美しい着物を着せられた藤野は、まるで眠っているかのようで、政司は良く似た可愛らしい藤也の顔を思い出さずにはいられなかった。
薄暗い岩穴に閉じ込められていた藤野を思い、政司は一晩中灯りを点そうと決めていた。ただ、二晩目の夜明かしとなると、明け方近くに少しうとうとしてしまったが、何とか灯りを消すことなく弔いの朝を迎えることが出来た。
葬送の列が静かに動き出す。
数人のご家来を先頭に、政司一家がその後に続く。藤野を乗せた棺を担ぐのは、政司の友人や近所の若者四人である。本来なら藤野の菩提寺に弔うべきであろうが、それが江戸にあるとなれば、いかに藤也の乳母であろうと、ただのお女中では叶わぬことであった。
実は、藤野自身の身分であれば、その身体ごと江戸まで運び、盛大な弔いを行って然るべきところであったのだが、彼女自身の伏せられた事情とそれに伴う藤也の安全を危惧した結果、立ち会う縁者もなくひっそりと埋葬されようとしていた。
そう、彼女が最後まで守り通そうとし、彼女を「母上」と呼び慕う藤也でさえも、この葬送に立ち合うことは出来なかったのである。既に殿様と供に、江戸へと出立したであろう藤也は、今頃何を思っているであろうか。棺を濡らす滴を見つめながら、政司は思いを馳せた。
※ ※ ※ ※ ※
回向院から使いが戻ると、慌ただしく葬送の列は出発した。
急なことで位牌も準備できなかったが、美羽に抱かせ歩かせるのも不憫であったから、その点はあまり気にならなかった。
ただ藤也の事、それだけが、政司は気掛かりだった。
過去に母親を亡くした彼が、その悲しみを思い出し感傷的になるのではないか?
母の死を忘れることは出来ないであろうが、それに付随する藤也自身が犯した忌まわしい行為や、その記憶は決して思い出させるわけにはいかなかったから。出来ればこの弔いにも立ち合って欲しくはなかったのだが……
政司がそんな事を考えている間に読経も終わり、いよいよ埋葬の時となった。予め掘られた穴に棺を納める。最後に皆で手を合わせ、少しづつ土を被せてゆく。
その様子を母を失った二人の子供が、静かに見つめていた。
美羽は現在の、藤也は過去の別れに向き合っている。
大きな悲しみの中、寄り添いお互いの手を握り締める。
二人の心が固く結び付いた瞬間であった。
※ ※ ※ ※ ※
篠突く雨の中、藤野の弔いを終えた政司は、江戸表への旅支度に追われていた。身軽な一人旅とはいえ、数日間は歩き通し、場合によっては野宿もせねばならない。ある程度の準備は必要であったし、この旅自体が殿様からの命によるものであるから、間違いの無いよう準備万端整えて出向かねばならなかった。
「とにかく、これを届け終えれば、帰りはどうとでもなるさ」
初めての旅に緊張する政司は、懐にしまった帛紗を何度も確かめる。藤野の弔いの後、僧から受け取ったものである。必用最小限の荷物を包んだ風呂敷を背負い、笠を被れば旅立ちの時となった。
父母に見送られ、政司は江戸を目指し歩き出した。
政司が江戸にたどり着いたのは、そろそろ町に灯りが点される頃合いだった。
この時刻からのお目通りは叶わぬだろうが、明日出直す旨だけでも知らせておこうと、お屋敷の門番に声を掛けたれば、直ぐに屋敷内へと通された。
案内された豪華な座敷に、旅の汚れも落とさぬまま訪れた事を政司は後悔したが、ご用を済ませ早々に辞去すればいいと自分に言い聞かせる。
「政司、良く参った。道中問題はなかったか?」
程なく殿様が姿を表し、気さくに政司に声を掛ける。平伏する政司の傍らに、そっと小さな体が寄り添った。
「藤也さま」
僅かに顔を上げた政司の視界に、彼を覗込む藤也の姿があった。
「政司、疲れてないか、何処か痛いところはないか?」
心配そうに声を掛ける藤也の優しさに、心の底からの笑みが溢れる。
「はい、政司は元気ですよ。藤也さまも、変わりはありませんか?」
「うん、大事ない」
政司の問いにはにかむような、笑顔を見せる藤也が愛おしく、殿様がいるのも忘れ面を上げる。
その様子を和やかに見守る殿様は、政司を萎縮させぬよう、穏やかに声を掛けた。
「政司、今宵は屋敷で、ゆっくりと休むが良いぞ」
「いえ、滅相もございません。私はすぐに何処ぞの旅籠へ移りますので」
身に余る申し出に平伏した政司であったが、大事なご用を思い出し思いきって面を上げた。
「これを」
大切に運んできた帛紗を取り出す。そっと、殿様の前に差し出し、ちらりと藤也の顔に視線をやってから、政司は再び面を下げた。
しばしの間、そこに居合わせた三人の男達は、それぞれが同じ一人の女性の事を思い出していた。
浅き縁、深き縁、業に囚われた縁もあった。しかし、既に彼の人はこの世を去り、二度と触れ合うことの出来ぬ鬼籍に入ってしまったのである。
その、よすがを携えて、政司は旅をしていたのであった。
そっと、その帛紗を手に取り、殿様が中身を改める。そこには、命半ばで切り取られた、ひと束の黒髪が納められていた。
「どちらへ行かれるのですか?」
その場を後にしようとする刀夜の進路を阻みつつ尋ねる。
「屋敷では、まずいのだろう? 裏の竹林なら多少汚れても、お前も気にすまい」
気を使われた所で有り難くもない内容に、「確かに都合よく裏には棺桶も置いてあります。しかも中には、その子の母親もいるわけで、一緒に埋めてあげれば感謝されるでしょうよ」
そんな皮肉を言ってやりたかったが、彼にそんな事を言えば喜々として美羽をいたぶり、殺してしまうに違いない。
「刀夜さま。そんな痩せこけた、体力もない子供では、何度か切り付けただけで死んでしまいますよ」
苦々しく漏らした政司の言葉に、刀夜は胡散臭げに振り返る。
「あっさり死なれては、面白くないのでしょう? もう少しその子が大きくなって、反抗したり、命乞いが出来るぐらいに育ってからにした方がいいんじゃないですか」
獲物が泣き叫び苦しみの中で命を乞う様、己の言動で他者が振り回され困惑する様に喜びを感じる刀夜である。必死になって庇おうものなら、政司を困らせる為だけに、この場で美羽の首は切り落とされるであろう。
政司にとって美羽は保護すべき対象ではないのだが、彼女を連れ帰った藤也が身元が解るまでは屋敷に置くと決めたからには、今晩死なせる訳にはいかない。
そんな事になったら、藤也に何と説明すればいいのだろう?
「あなたの中にいる刀夜が殺してしまいました!」なんて口が裂けても言えるものではない。
そう、藤也自身は己の中に、このような血に狂った存在が潜んでいるとは夢にも思っていないのだから……。
政司は内心の焦りを押し隠し、探るような刀夜の視線を受け止める。
「母さま…」
その時、刀夜の腕の中で美羽が呟いた。
この状況で泣き出されでもしたら、やっかいな事になりそうだ。
「さあ、刀夜さま。その子が起きないうちに」
そう言って美羽を受け取ろうと手を差し出す。素直に渡してくれるはずはないと思いつつ促すと、刀夜はあっさりと美羽の体を手放した。
「では、失礼いたします」
その場から逃げるように立ち去る政司に、嘲笑うように刀夜が声を掛ける。
「早く育つよう、せいぜい旨いものを食わせてやるんだな」
※ ※ ※ ※ ※
明くる朝、通いの下男がやって来ると、政司は回向院まで使いを頼んだ。
美羽の素性はおいおい調べるにしても、母親の遺体を所縁のものを探し出すまで放置するわけにはいかなっかた。
息を引き取ってから、数日以上たっている上に、水死体となれば腐敗も早い。昨日の時点でも、既に一部は骨が晒され、最早家族でも生前の姿を重ねるのは無理だろうという有り様であった。こうなると、通夜等出来るはずもないし、一刻も早く埋葬するしかないと政司は判断した。それにこの事が殿様の耳に入る前に、全てを済ませ万事問題ないと答えられる状態にしておかなければならなかったからだ。
政司は朝餉の仕度が整ったのを確認すると、未だ寝床の中であろう藤也を起こしに向かった。
「藤也さま、お目覚めですか?」
声を掛けつつ襖を開くと、既に目覚めていた藤也は政司を振り向き、唇に指を当てる仕草で、政司を黙らせる。
布団の上に起き上がった藤也に、美羽がしがみついて眠っていた。その身体を抱き止めた藤也は、無防備な小さな背中を軽く叩きながら身体を前後に揺らしていた。
孤独な魂が寄り添いあって、お互いを暖めている……そんな風に思ってしまうのは政司の思い入れのせいであろうか。この時の二人の様子を、後々、事ある毎に思い出す政司であったが、今は済ませねばならぬ事共を片付けなくてはと、そのまどろみに割って入った。
「藤也さま、定吉に回向院への使いを頼んでおきました。手はずが整い次第仏さまを弔いに参りたいのですが」
寝ている美羽に気を使い幾分声を落として話しかける。
「そうだね。その方がいい、美羽がちゃんとおっかさんにお別れが出来るように……」
過去の己を思い出しているのか、そう答える藤也の声は少し震えているようであった。
※ ※ ※ ※ ※
あの日は、今日のように清々しく晴れた天気ではなく、明け方からしとしとと雨が降り始め、一向にやむ気配さえなかった。
殿様に藤野の弔いを任された政司は、すぐに数人のご家来衆と供に岩穴に戻り藤野の遺体を運び出して来た。殿様の心配りで届けられた品々のお陰で、政司の家で行われた通夜は、華美ではなかったが決して貧相でもなかった。
ある程度の汚れを拭い、美しい着物を着せられた藤野は、まるで眠っているかのようで、政司は良く似た可愛らしい藤也の顔を思い出さずにはいられなかった。
薄暗い岩穴に閉じ込められていた藤野を思い、政司は一晩中灯りを点そうと決めていた。ただ、二晩目の夜明かしとなると、明け方近くに少しうとうとしてしまったが、何とか灯りを消すことなく弔いの朝を迎えることが出来た。
葬送の列が静かに動き出す。
数人のご家来を先頭に、政司一家がその後に続く。藤野を乗せた棺を担ぐのは、政司の友人や近所の若者四人である。本来なら藤野の菩提寺に弔うべきであろうが、それが江戸にあるとなれば、いかに藤也の乳母であろうと、ただのお女中では叶わぬことであった。
実は、藤野自身の身分であれば、その身体ごと江戸まで運び、盛大な弔いを行って然るべきところであったのだが、彼女自身の伏せられた事情とそれに伴う藤也の安全を危惧した結果、立ち会う縁者もなくひっそりと埋葬されようとしていた。
そう、彼女が最後まで守り通そうとし、彼女を「母上」と呼び慕う藤也でさえも、この葬送に立ち合うことは出来なかったのである。既に殿様と供に、江戸へと出立したであろう藤也は、今頃何を思っているであろうか。棺を濡らす滴を見つめながら、政司は思いを馳せた。
※ ※ ※ ※ ※
回向院から使いが戻ると、慌ただしく葬送の列は出発した。
急なことで位牌も準備できなかったが、美羽に抱かせ歩かせるのも不憫であったから、その点はあまり気にならなかった。
ただ藤也の事、それだけが、政司は気掛かりだった。
過去に母親を亡くした彼が、その悲しみを思い出し感傷的になるのではないか?
母の死を忘れることは出来ないであろうが、それに付随する藤也自身が犯した忌まわしい行為や、その記憶は決して思い出させるわけにはいかなかったから。出来ればこの弔いにも立ち合って欲しくはなかったのだが……
政司がそんな事を考えている間に読経も終わり、いよいよ埋葬の時となった。予め掘られた穴に棺を納める。最後に皆で手を合わせ、少しづつ土を被せてゆく。
その様子を母を失った二人の子供が、静かに見つめていた。
美羽は現在の、藤也は過去の別れに向き合っている。
大きな悲しみの中、寄り添いお互いの手を握り締める。
二人の心が固く結び付いた瞬間であった。
※ ※ ※ ※ ※
篠突く雨の中、藤野の弔いを終えた政司は、江戸表への旅支度に追われていた。身軽な一人旅とはいえ、数日間は歩き通し、場合によっては野宿もせねばならない。ある程度の準備は必要であったし、この旅自体が殿様からの命によるものであるから、間違いの無いよう準備万端整えて出向かねばならなかった。
「とにかく、これを届け終えれば、帰りはどうとでもなるさ」
初めての旅に緊張する政司は、懐にしまった帛紗を何度も確かめる。藤野の弔いの後、僧から受け取ったものである。必用最小限の荷物を包んだ風呂敷を背負い、笠を被れば旅立ちの時となった。
父母に見送られ、政司は江戸を目指し歩き出した。
政司が江戸にたどり着いたのは、そろそろ町に灯りが点される頃合いだった。
この時刻からのお目通りは叶わぬだろうが、明日出直す旨だけでも知らせておこうと、お屋敷の門番に声を掛けたれば、直ぐに屋敷内へと通された。
案内された豪華な座敷に、旅の汚れも落とさぬまま訪れた事を政司は後悔したが、ご用を済ませ早々に辞去すればいいと自分に言い聞かせる。
「政司、良く参った。道中問題はなかったか?」
程なく殿様が姿を表し、気さくに政司に声を掛ける。平伏する政司の傍らに、そっと小さな体が寄り添った。
「藤也さま」
僅かに顔を上げた政司の視界に、彼を覗込む藤也の姿があった。
「政司、疲れてないか、何処か痛いところはないか?」
心配そうに声を掛ける藤也の優しさに、心の底からの笑みが溢れる。
「はい、政司は元気ですよ。藤也さまも、変わりはありませんか?」
「うん、大事ない」
政司の問いにはにかむような、笑顔を見せる藤也が愛おしく、殿様がいるのも忘れ面を上げる。
その様子を和やかに見守る殿様は、政司を萎縮させぬよう、穏やかに声を掛けた。
「政司、今宵は屋敷で、ゆっくりと休むが良いぞ」
「いえ、滅相もございません。私はすぐに何処ぞの旅籠へ移りますので」
身に余る申し出に平伏した政司であったが、大事なご用を思い出し思いきって面を上げた。
「これを」
大切に運んできた帛紗を取り出す。そっと、殿様の前に差し出し、ちらりと藤也の顔に視線をやってから、政司は再び面を下げた。
しばしの間、そこに居合わせた三人の男達は、それぞれが同じ一人の女性の事を思い出していた。
浅き縁、深き縁、業に囚われた縁もあった。しかし、既に彼の人はこの世を去り、二度と触れ合うことの出来ぬ鬼籍に入ってしまったのである。
その、よすがを携えて、政司は旅をしていたのであった。
そっと、その帛紗を手に取り、殿様が中身を改める。そこには、命半ばで切り取られた、ひと束の黒髪が納められていた。
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