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5話 日常は色づく
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「ふっ、へへへ」
自宅のリビング、ソファーの上。
きょう、最寄り駅の喫茶店に出かけてから、家に帰ってきたのは14時。現在時刻20時半。
それまで俺は家の中で一歩も動いていない。
ただただ、紙ナプキンを見ていた。
丸っこい文字で大きく「バーカ」と書いてある紙ナプキン。青い月と目の大きなウサギの絵。そして赤いキスマーク。
なんてこった。これを見てるだけを見て1日つぶしちまった。
そう思いながらにやける口元を手で押さえた。
ばかみたいにまた紙ナプキンを見て、携帯でブルームーンとチャットして、また紙ナプキンを見て……。
「ふへへ」
思わずにやけてしまうぐらいドキドキしている。これって、きっと。
ガチャッ。玄関でカギが開く音がした。
「ただいまー。あれ、お兄ちゃん、そこにいるのー?」
「おかえりー。仕事おつかれさん」
「ありがとー。 ありゃ。お部屋でゲームしてると思ったのに。んー? なんかいいことあったね? なになに?」
「いや、なんでも」
「あやしーなぁ」
花恋はそういいながら、カバンからなにかを取り出していた。
「はい。お兄ちゃん、ご飯だよ。どうせ食べてないでしょ?」
「マジか。嬉しい。そういや今日コーヒーしか飲んでない」
「ダメだよー。明日から規則正しい生活しなきゃいけないのに」
そういいながら花恋は、机の上にタッパーや箱を並べる。
「まず、この青いのに入ったやつが氷室さんからサンドイッチ。BLTサンドだよ。あと、ライチちゃんから、肉まん。それと真夜さんからコーヒー」
「真夜姉? ……そういうことか。ありがとう」
「んん~? なんのことかなー?」
妹は笑ってとぼけてみせた。
氷室さんも雷堂も、真夜姉も「学校行けよ」っていう俺へのメッセージだと思う。
中学のときから友達の雷堂は置いておくと、ほかの2人がわざわざ俺に何かくれるのはタイミングが良すぎた。花恋と同じアイドルグループの先輩である氷室さんは、何度か家に来たことがあるぐらいの仲だし。そこまで面識があるわけじゃなかった。
真夜姉は小学校のときから遊んでもらっていた幼馴染で、高校3年生の先輩だ。学校にいかなくなってから接点はまったく無くなってしまったけれど。真夜姉の家が喫茶店で、高校受験のときはずっと入り浸って勉強させてもらっていた。そのときも黙ってコーヒーを淹れてくれて励ましてもらっていたっけ。
花恋は仕事からの帰り道、真夜姉のところに寄ってから家に帰ってきたんだと思うと感謝しかなかった。疲れてるのに。
雷堂の肉まんを食った。2つあるそれを続けて食べる。雷堂も顔ぐらいみせに来たらいいのに、学校で待つっていって意地でも顔を合わせようとしない。
氷室さんがつくってくれたサンドイッチは、華やかで具材が厚い。パンは少し焼いてあり、丁寧にバターが塗られていた。おいしい。おいしくないわけがなかった。
ステンレス製の水筒を開けた。飲み口に口を付けて、傾ける。よく知っているコーヒーの匂いがした。まだ温かいコーヒーを飲んだ。コーヒーの種類は知らないけれど、昼に飲んだ320円のブラックコーヒーより、ずっとずっとおいしいと思った。
花恋はそのあいだ、机の上に両肘をのせて頬杖をしながら、ずっと俺の顔を見ていた。あひるのような口の端をつり上げて、目を細めていた。
「おいしいね?」
「これ以上ない。……明日ちゃんと学校行くから」
「うん。当然だよ? みんな、待ってるって」
「……花恋、その」
「んー?」
「ありがとう。迷惑かけた」
「それも当然だよ? だって、お兄ちゃんの妹だもん」
かなわないな。そう思いながら、俺は妹の頭に手を伸ばした。1度、2度。頭の上に手をのせた。たったそれだけで、花恋は白い歯を見せて口を開けて、声に出して笑う。
「ごちそうさまでした。洗い物したら部屋いくわ」
「うんっ。氷室さんのタッパー、返しとくから置いておいてね。真夜さんの水筒はあした返してね」
真夜姉は同じ学校ですぐに会えるが、氷室さんは学校が違った。たしかエリス女学園っていうお嬢様女子学校に通ってたはず。
花恋とおやすみと言い合って、自分の部屋に行った。
21時になるころだった。
携帯電話が振動した。アプリからの通知だ。動画サイトで登録しているチャンネルから配信が開始した通知がきた。
スクリーンセーバーが表示されているノートパソコンを開き、動画サイトに行く。登録しているチャンネルから配信中のマークが書いてある「かなでチャンネル」を選んで、配信している動画を視聴した。
夜の9時ごろ突発的に配信するチャンネル、内容はピアノを30分から1時間ぐらい弾く。
俺はピアノも音楽もよくわからない。配信者さんのキーボードやピアノを弾く手が綺麗で好きだった。その次になんというか、音が好きだった。跳ねるような音色で、聞いてるだけで楽しくなるピアノ。
配信が始まっている。映っているのは、白と黒のピアノの鍵盤。携帯をいじる手。ピアノにのせられたり、棚にのせられている大量の犬のぬいぐるみ。
俺はヘッドホンをしたあと、文字をタイピングする。
「こんばんは」
そうコメントした。時雨という名前とコメントが、コメント欄にのった。配信者のかなでさんがカメラに向かって手を振った。白くてしなやかな指を2本立てた。指を横にふったと思うと、いきなり激しくサビから弾き始める。
ピースに関連した名前がついた曲。俺が好きな少年誌のヒーロー漫画のオープニングテーマ曲だった。ちなみに、前の配信のときに俺がリクエストした曲だった。
うれしい。これはうれしい。覚えていてくれたのが嬉しいし、手を振ってくれただけで舞い上がる。
それだけじゃなかった。曲が変わる。同じアニメのエンディング曲だった。
元気いっぱいな女性のロックシンガーが歌う曲。その曲がリリースされたとき、そのアーティストのライブに花恋と行った。アンコールで歌ってくれた時「君の歌です」といって歌っていた。アタシはキミというヒーローを応援している。そんなメッセージが込められた元気の出る歌だった。
いまでも元気が欲しいときには聞いてしまうほど好きな歌だった。
優しいピアノの音が身に染みた。
パソコンを置いている机の上に突っ伏して、目を閉じてピアノの音を聞いていた。
ピアノの音が遠くなるような感覚がした。よくある感覚だった。また配信聞きながら、寝ちまう、な。……。
自宅のリビング、ソファーの上。
きょう、最寄り駅の喫茶店に出かけてから、家に帰ってきたのは14時。現在時刻20時半。
それまで俺は家の中で一歩も動いていない。
ただただ、紙ナプキンを見ていた。
丸っこい文字で大きく「バーカ」と書いてある紙ナプキン。青い月と目の大きなウサギの絵。そして赤いキスマーク。
なんてこった。これを見てるだけを見て1日つぶしちまった。
そう思いながらにやける口元を手で押さえた。
ばかみたいにまた紙ナプキンを見て、携帯でブルームーンとチャットして、また紙ナプキンを見て……。
「ふへへ」
思わずにやけてしまうぐらいドキドキしている。これって、きっと。
ガチャッ。玄関でカギが開く音がした。
「ただいまー。あれ、お兄ちゃん、そこにいるのー?」
「おかえりー。仕事おつかれさん」
「ありがとー。 ありゃ。お部屋でゲームしてると思ったのに。んー? なんかいいことあったね? なになに?」
「いや、なんでも」
「あやしーなぁ」
花恋はそういいながら、カバンからなにかを取り出していた。
「はい。お兄ちゃん、ご飯だよ。どうせ食べてないでしょ?」
「マジか。嬉しい。そういや今日コーヒーしか飲んでない」
「ダメだよー。明日から規則正しい生活しなきゃいけないのに」
そういいながら花恋は、机の上にタッパーや箱を並べる。
「まず、この青いのに入ったやつが氷室さんからサンドイッチ。BLTサンドだよ。あと、ライチちゃんから、肉まん。それと真夜さんからコーヒー」
「真夜姉? ……そういうことか。ありがとう」
「んん~? なんのことかなー?」
妹は笑ってとぼけてみせた。
氷室さんも雷堂も、真夜姉も「学校行けよ」っていう俺へのメッセージだと思う。
中学のときから友達の雷堂は置いておくと、ほかの2人がわざわざ俺に何かくれるのはタイミングが良すぎた。花恋と同じアイドルグループの先輩である氷室さんは、何度か家に来たことがあるぐらいの仲だし。そこまで面識があるわけじゃなかった。
真夜姉は小学校のときから遊んでもらっていた幼馴染で、高校3年生の先輩だ。学校にいかなくなってから接点はまったく無くなってしまったけれど。真夜姉の家が喫茶店で、高校受験のときはずっと入り浸って勉強させてもらっていた。そのときも黙ってコーヒーを淹れてくれて励ましてもらっていたっけ。
花恋は仕事からの帰り道、真夜姉のところに寄ってから家に帰ってきたんだと思うと感謝しかなかった。疲れてるのに。
雷堂の肉まんを食った。2つあるそれを続けて食べる。雷堂も顔ぐらいみせに来たらいいのに、学校で待つっていって意地でも顔を合わせようとしない。
氷室さんがつくってくれたサンドイッチは、華やかで具材が厚い。パンは少し焼いてあり、丁寧にバターが塗られていた。おいしい。おいしくないわけがなかった。
ステンレス製の水筒を開けた。飲み口に口を付けて、傾ける。よく知っているコーヒーの匂いがした。まだ温かいコーヒーを飲んだ。コーヒーの種類は知らないけれど、昼に飲んだ320円のブラックコーヒーより、ずっとずっとおいしいと思った。
花恋はそのあいだ、机の上に両肘をのせて頬杖をしながら、ずっと俺の顔を見ていた。あひるのような口の端をつり上げて、目を細めていた。
「おいしいね?」
「これ以上ない。……明日ちゃんと学校行くから」
「うん。当然だよ? みんな、待ってるって」
「……花恋、その」
「んー?」
「ありがとう。迷惑かけた」
「それも当然だよ? だって、お兄ちゃんの妹だもん」
かなわないな。そう思いながら、俺は妹の頭に手を伸ばした。1度、2度。頭の上に手をのせた。たったそれだけで、花恋は白い歯を見せて口を開けて、声に出して笑う。
「ごちそうさまでした。洗い物したら部屋いくわ」
「うんっ。氷室さんのタッパー、返しとくから置いておいてね。真夜さんの水筒はあした返してね」
真夜姉は同じ学校ですぐに会えるが、氷室さんは学校が違った。たしかエリス女学園っていうお嬢様女子学校に通ってたはず。
花恋とおやすみと言い合って、自分の部屋に行った。
21時になるころだった。
携帯電話が振動した。アプリからの通知だ。動画サイトで登録しているチャンネルから配信が開始した通知がきた。
スクリーンセーバーが表示されているノートパソコンを開き、動画サイトに行く。登録しているチャンネルから配信中のマークが書いてある「かなでチャンネル」を選んで、配信している動画を視聴した。
夜の9時ごろ突発的に配信するチャンネル、内容はピアノを30分から1時間ぐらい弾く。
俺はピアノも音楽もよくわからない。配信者さんのキーボードやピアノを弾く手が綺麗で好きだった。その次になんというか、音が好きだった。跳ねるような音色で、聞いてるだけで楽しくなるピアノ。
配信が始まっている。映っているのは、白と黒のピアノの鍵盤。携帯をいじる手。ピアノにのせられたり、棚にのせられている大量の犬のぬいぐるみ。
俺はヘッドホンをしたあと、文字をタイピングする。
「こんばんは」
そうコメントした。時雨という名前とコメントが、コメント欄にのった。配信者のかなでさんがカメラに向かって手を振った。白くてしなやかな指を2本立てた。指を横にふったと思うと、いきなり激しくサビから弾き始める。
ピースに関連した名前がついた曲。俺が好きな少年誌のヒーロー漫画のオープニングテーマ曲だった。ちなみに、前の配信のときに俺がリクエストした曲だった。
うれしい。これはうれしい。覚えていてくれたのが嬉しいし、手を振ってくれただけで舞い上がる。
それだけじゃなかった。曲が変わる。同じアニメのエンディング曲だった。
元気いっぱいな女性のロックシンガーが歌う曲。その曲がリリースされたとき、そのアーティストのライブに花恋と行った。アンコールで歌ってくれた時「君の歌です」といって歌っていた。アタシはキミというヒーローを応援している。そんなメッセージが込められた元気の出る歌だった。
いまでも元気が欲しいときには聞いてしまうほど好きな歌だった。
優しいピアノの音が身に染みた。
パソコンを置いている机の上に突っ伏して、目を閉じてピアノの音を聞いていた。
ピアノの音が遠くなるような感覚がした。よくある感覚だった。また配信聞きながら、寝ちまう、な。……。
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