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第二章 婚約者編

第八話 誘い⑤

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「だから……これ以上、フリードリヒが娼館に入り浸るのを黙認は出来ないんだ。それが王家としての判断だし、私もさすがにこの件に関してはフリードリヒに言ったんだが、君の反応からすると何も説明していなかったんだろうね」

「そうですね。そういう話は特に……。まぁ、僕の方は、さすがにこう毎日娼館に来られていると大丈夫なのかな? とはずっと思ってはいたんですが」

 フリードリヒ様との会話で、政治的な内容というのは皆無だ。僕には理解できないことばかりだから話してくれないというよりは、フリードリヒ様自身がそういう話を意図的に避けているところがあった。

「あぁ、君も気にはなっていたんだね」

「はい。僕は異世界人ですし、クリフォトに来るまでは自由なんて殆ど無かったのでこの世界の常識を知っているとは言えませんが、普通に考えて次に国を治める立場の人が遊んでいるというのは好ましくないかなと……。まだお忍びとかでたまになら分からなくはないですが、白昼堂々ですからね。あの方は」

「君は本当にまともな子だな」

 感心した様子でフィン様が唸る。別に感心されるような特別なことは言っていないのだが、こんな風にこの程度でそんなことを言われるということは、これはもしかすると、ルーイだけではなく、フリードリヒ様の歴代の恋人も割と問題を抱えている人が多くて、フィン様が動いていたのかもしれない。

 心なしか、フィン様の後ろに控えている騎士たちも僕をじっと見ている気がする……。

「……ところで、トーマ、君は男娼ではないのだから仕事場が変わるのは問題ないよね?」

「え、あ、はい……?」

 突然、何の脈絡もなしにフィン様にそう言われて、僕はぽかんと口を開けた。

 仕事場が変わる? もしかして何か、別件で僕にやってほしい仕事があるということなんだろうか。はっきり言って、今の下男的な立場は悪くないどころかかなり良い条件での労働だ。最初の頃は辛いことも多少はあったが、元々お金のある裕福な層がメインのお客様なこともあって、日常的に暴力を振るわれたりすることはない。仕事内容に慣れてしまった現在は、さほど困る事も無いし、充実していると言って良い。

 だから、本音を言うと出来れば今のままが良いなとは思うけど……そうなると、フリードリヒ様とはもう会えなくなる可能性が高い。あの方ならそれでも半ば無理矢理やってきそうだけど、フリードリヒ様のことを悪く言う連中が黙ってはいないだろうし、フリードリヒ様の立場が悪くなるのは、会えなくなる以上に嫌だ。

(言われる通りに仕事をするって言えば、少なくとも、近くにいることはできるのかな……?)

 どんな仕事かは分からないけれど、フィン様はさっき僕とフリードリヒ様の関係を引き離す気はないと言ってくれていた。今までの話しぶりから、僕に変な仕事を押し付けるようなことをするとも思えないし、フリードリヒ様の傍に堂々といられる方法があるというのなら、僕としてはやりたいとは思うけれど……。

 僕は、隣で黙り込んだままのイシュトさんへと視線を向けた。

 いくら王族とはいえ、今の雇用主はイシュトさんだ。勝手に僕が「問題ありません」とは言えない。それに戦力になっているかは微妙なところではあるけれど、一応僕は用心棒みたいな仕事も引き受けている。僕が抜けてしまうと業務の支障が出てしまうかもしれないし……。

「あぁ、失礼。イシュトの許可をまず得る必要があったね」

 フィン様が、今気づいたとばかりににっこりと微笑んだ。

 僕が「行きます」と答えていたら、問答無用で連れていかれていた予感がひしひしとする……。

「トールの仕事は、男娼たちの護衛だったかな? イシュト」

「……え、ええ。細々とした雑用などが主な仕事ではありますが、男娼たちの護衛も含まれてはいます」

 イシュトさんは、まだ少し緊張はしているものの先ほどと比べて平常心を取り戻しているようだった。顔色も大分良いし、怯えのようなものもなくなっている。僕とフィン様の会話から、フィン様が僕やこの娼館に対して怒っているとかそういう類の話ではないと分かったからだろう。

 多分、先ほどまでは叱責されるかもと思ってたんだろうな。イシュトさん。

「ふむ。でも、あまり武術は得意ではないよね? トーマは」

 どうやら、僕の情報はかなりしっかりと伝わっているらしい。ちらりと僕を見たフィン様は、どこか不思議そうな表情を浮かべていた。

「トーマを悪く言う訳ではないけれど、腕のある男なら他にもいるだろう? 他に彼を重宝する理由があるということかな?」

「いえ、まぁ。ただ……、彼は男娼たちにとっては、その……なので……」

 畳みかけるように聞かれても、さすがに僕が男娼に性的な意味で手を出さない安全パイだからとは俗すぎて言えなかったんだろう。イシュトさんは、言葉を濁しまくった。

 ただ、フィン様はどうやらイシュトさんの言わんとしたことが分かったらしい。最終的には、なるほどそういうことかと納得していた。

「確かに得難い存在かもしれないな。この国はそういうところは欲望に忠実なところがある。だが、それなら話は早い。トールの代わりになる人材なら私が紹介しよう。身元がはっきりとしていて、腕が良く、禁欲的な真面目な若い男なら心当たりがある」

 どうやら僕の代わりという人材は、かなりの好条件な人物のようだ。ここまでフィン様に言わせるのだから、僕よりも断然有能なのは間違いないだろう。

 これなら、イシュトさんはすぐに頷くかな? と……思いきや、何故か悩んでいる様だった。

 僕はちらりとイシュトさんを伺う。正直、僕よりもフィン様の紹介の人を取った方がこの娼館には利益になりそうなものだけれど……。

「……イシュトさん?」

 僕が名前を呼ぶと、イシュトさんはぎこちなく微笑んだ。何故か、部屋の空気も微妙だ。というか、僕以外の全員の空気が何かおかしい。転職をするという雰囲気にしては、空気が重々しすぎるのだ。

 だが、イシュトさんは意を決した様子でフィン様を見るとこう言った。

「トーマが望むのなら、私は手放しても良いとは思っています。ですが……どんな仕事かを説明せずに、仕事を変えるという言いまわしで煙に巻くやり方をされるのであれば、いくら貴方様でもトーマをお渡しする訳にはいきません」

と。

「!」

 正直、僕は驚いた。嫌われてはいないとは分かっていたけれど、あくまでただの一従業員にすぎない僕のことをこんな風に言ってくれるとは思っていなかったからだ。少し、いやかなり嬉しいかもしれない。

「この子は基本的には何でも受け入れてしまう子ですが、貴方が仕事と言ってこの子にことは、こんな風にだまし討ちをして頷かせてよい話ではないはずです」
 
 どこか怒りさえ感じられるようなイシュトさんの話に、室内がしんと静まり返った。下手をすれば不敬とも取られかねない中々の口ぶりだが、フィン様も後ろに控える騎士たちも怒り出す様子はない。というか、騎士たちに至ってはフィン様に対してどこか責めるような眼差しを向けていた。

 フィン様は少し視線を逸らしているし、イシュトさんの話は至極真っ当な反論だったようだ。

 確かにだまし討ちとは穏やかじゃない。そんなに厳しい仕事なのだろうか?

 勿論、精一杯頑張るつもりではあるけれど……、さっきまでむしろフィン様に怯えていたイシュトさんが、こんな風に意見をするというのはかなり怖い。

「……あの」

 戸惑う僕に、イシュトさんは大きなため息を吐いた。

「トーマ、この方が言っている仕事は、お前が考えている様な仕事じゃないんだ。この方が言っているのはおそらく……」

「いや、待ってくれ。私からすべて話すよ」

 続きを喋ろうとするイシュトさんを、フィン様が止める。先ほどまでの、揶揄う様な軽薄な態度は微塵も感じられない。真剣な目で見つめられて、僕を思わず佇まいを直した。

(何を言われるんだろう……)

「率直に言う。フリードリヒと結婚してくれないかな? 君に、フリードリヒの王配になってほしいんだ」

 ッ……!?

 ……とんでもない話に、その場で悲鳴をあげなかったのを褒めて欲しい。
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