おまけの神子は帰ることができない~Reinhardtroot~

宮沢ましゅまろ

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◆序章◆ すべての始まり

0.私の願い

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「お前はあの方の生まれ変わりなのだ。お前こそが次期当主にふさわしい」

 父が突然、幼かった私の肩を抱き寄せておかしなことを言いだしたのは、病で亡くなった母の一回忌が終わって、数日後のことだった。今後の領地の未来について、大々的に報告することがあると一族を集めた会合の場で、あろうことか父は本来の次期当主の予定であった長兄を廃嫡するという暴挙に出た。

「父上……っ」
「お前は当主にふさわしくない……! 出ていけ……!」

 頬を殴られて床へと倒れ込む長兄を、見下ろして、父は唾を吐きかける勢いで口さがない悪意のある言葉を吐き続けた。幼かった当時の私には内容こそ理解できなかったが、どれもこれも長兄の吟味を傷つけるような酷い言葉だったということは、幼いながらにも理解できた。
 兄弟の中では唯一母親似であり、中性的な容姿をしていた長兄を、父は日頃殊更に可愛がっていた。母が存命中から「長兄にはどうしても甘い態度を取ってしまうのだ」と父は普段から周囲にも言って回っていたし、私や他の兄弟から見ても間違いなく溺愛しているというのは明白だった。それくらい仲睦まじい親子だったのだ。

 つい数か月前までは、亡くなった母の分も一緒に、頑張ってこれからの領地を発展させていこうと互いに励まし合っていた姿を見かけたばかりなのに、目の前に広がっている重苦しい光景には、二人のかつての仲睦まじさは微塵も感じられない。
 まるで仇でも見るような憎々し気な眼差しで息子を睨む父のあまりの変貌ぶりに、私は恐怖から体を大きく震わせた。
 今まで悪戯や不始末が原因で父に叱られていた兄弟のことは何度も見かけたことはあったが、今目の前で父が長兄に向けている感情は、子を思っての愛情から来ているような優しいものではない。
 長兄がもう少し強かな人なら、もしくはもう少し年齢を重ねていたのなら、父に真正面から立ち向かい正論で戦うことは出来ていただろう。だが、優秀だと周囲から言われ続け、長兄も自身が優秀である自覚をしていたとはいえ、まだ十代の前半という若さだった兄には、到底耐えられるようなものではなかった。
 侮辱に罵倒、ただ長兄を傷つけて貶めるための父の心無い言葉は、穏やかで優しい繊細な長兄の心を簡単に折ってしまったのだ。
 あの時、周囲の誰かが長兄のことを庇ってあげられていたのなら、もしかしたら、その後の結果も違っていたのかもしれない。だが、剣術に長けた武人としても高い実力を誇り、華々しい名声を得ていた父の殺意さえ滲み出るような強い覇気を前に、皆強い恐怖で動けなくなってしまっていた。
大人が動けないなのだ。長兄よりも更に幼かった私を含めた他の兄弟にとってはあまりにも荷が重すぎた。
 父は身内に対してさえ、必要であれば平気で暴力を振るう人だと皆が知っていた。唯一その暴力の犠牲になったことがなかった長兄が殴られた瞬間を目の前で見せられたのだ。私も他の兄弟も、じっとその場で身を寄せ合うことしか出来なかった。
 情けない話だが、いつ暴れてもおかしくはない父に対して、抵抗するという選択肢は当時の私たちの間には一切浮かばなかった。

 公爵である父に逆らえるような人間は、領地内に他に誰もいない。唯一、父に意見を言うことが出来て、対等の立場で話すことができたのは母だけだったが、母は既にこの世にはいない。父を止められる者がいない以上、従うしかない。
それに、父は精神的に多少おかしくはなっていたが、領地の経営に関しては以前通りに行うことが出来た。兄の話と次代の後継者の話を蒸し返さない限りは、今まで通りの有能な父のままだったのが、問題だった。
 禁句さえ分かっていれば、問題ない。大人たちはそう言ってて、父の異常性を隠し通した。

それに最悪たとえ、今後何か問題が起こっても、後継者である私がすべてを引き受けるだろうと――。

――結局、父の宣言によって、その言葉通りに私が次代の公爵としてシヴィル領を治めることに決まった。

 兄弟の関係は、その日から徐々にではあるが最低最悪なものへと変わっていった。
 当初こそ理不尽な父に対して、全員純粋に怒りを感じていたようだが、兄たちからしてみれば、当時兄弟の中では内気で弱々しく一族の中では劣等生だった私のような者が、後継者となることはやはり面白くなかったのだろう。

 そもそも、それまでの私は唯一、兄弟の中で両親から殆ど関心を持たれていなかった子供だった。

 虐待と言えるほどのことはされていなかったと思うが、両親から愛されていたか? と尋ねられれば、否と即答できる程度には冷遇されていたのだ。唯一、才覚――学問の分野と臨機応変に対応できる機転の良さだけは認められてはいたが、本当にそれだけだった。利用価値はあると判断されていたからこそ、虐げられることはなかったのだろうと思えば、無能では無くて幸運だったと言えるが、子供時代は非常に複雑な気持ちだったのを覚えている。

 だから、そんな私を後継者にすると父が言いだしたのは、明らかに変な話だった。てっきり領地の運営を補佐するような立ち位置で死ぬまで飼い殺されるのだとばかり思っていたというのに、まさか望んでもいない次期当主の座を押し付けられることなるなんて……正直に言って最悪だった。

 それまで、兄弟たちは私に積極的に構ってくれるようなことはなかったものの、父とは違い、最低限ではあるが気にかけてはくれていた。正直、仲自体はそこまで悪くはなかったと思う。だが、父の異常な言動の結果、私は細くてもかろうじて繋がっていた兄弟との絆をこの時に完全に失うことになってしまった。

 長兄は騒動の後すぐに家を出て行きそのまま行方知れずとなり、他の兄弟たちも自身で責任を取る事が出来るような年齢になると、父に反発して一人、また一人と独立して領地を出て行った。
 結局、本来一番後継者から程遠い存在だったのに、私は最終的に公爵の地位を継ぐことになった。
 あの日、床に蹲り泣いていた長兄の姿は、大人になった現在も、私の目蓋の裏にはっきりと焼き付いて離れない。

(あの時、勇気を出していれば……)

 当時のことを全く後悔していないと言えば、正直嘘になる。
 長兄に何かしらの大きな問題があったのならともかく、優秀な能力を持ち、品行方正で穏やかな人格者であった長兄を廃嫡する理由など、どこを探しても見当たらなかったのだ。長兄が公爵領を継いでいれば、きっと誰もいなくなることはなかったに違いない。

 誰かに助けを求めようと思えば出来た筈だ。だが、その選択肢を選ばなかったのは、自分たちの保身のためだ。下手に誰かに弱味を見せれば、引き摺り下ろされて飲み込まれてしまうのが貴族の世界だ。何が正解だったのかは、未だに断言はできないが……どうしても考えてしまう。

 私は強くなった。大人になった現在は、優秀だと言われていた兄上よりも、学問や学識だけでなく、剣術や馬術、魔術などすべてにおいて勝っていると自負している。領民たちからも領主として信頼されているし、ふてぶてしく育った私の傍で古くから仕えている側近たちは「ある意味では、貴方を後継者に選んだのは前公爵の正しい決断だったのかもしれませんね」と嫌味を言う程度には、周りの悪辣な害虫にも負けないような老練な男に育つことは出来たと思う。

 だが、私は知っている。あの日の妄言だった筈の父の言葉――あの方の生まれ変わりという一言を、今では周りの人間たち皆が信じているという事を。

 あの方――公爵家の始まりとなる、ジークハルトと呼ばれた男の生まれ変わりだと父親が言い出した当初、皆はただ父がおかしくなっただけだと、そう考えていただけだった。

 だが、公爵領の屋敷の奥にも飾られているあの方の絵姿に、私の成長して大人になっていく容姿が近づいて行くに連れて、周囲は「もしかして?」と噂するようになった。かつて異界の神子に夫として選ばれ、この世界の王となったジークハルトの本当の生まれ変わりなのでは? 偉大な王の生まれ変わりならば、素晴らしいことじゃないかと。
 悪意からではなく、純粋に彼らは言祝ぎのように使っていたんだろう。
 いつしか、彼らは嬉しそうに笑ってこう口々に言うようになった。

――次の神子に選ばれる王は、きっと貴方です。

 と。

 領地を治め、領民を守ること自体は決して嫌ではない。自ら望んで得た地位ではないが、今までの人生の中でとうに覚悟は決まっていた。公爵家の人間としての責務は果たすべきだと考えているし、個人的な愛着も勿論ある。

 だが、私の人生とはいったい何だったのだろうと考えた時、ふと暗い感情に襲われるのだ。生まれ変わりだから、選ばれただけ。ただ、それだけじゃないかと。

 どんなに努力をして優秀な成績を取り、剣術や魔術を皆に誇れるほどの領域に昇華させても、結局は「あの方の生まれ変わりだから当然だ」そんな風に言われ続ける日々は、私の心に深い影を落としていた。歴史の本にも記されている様なあの方の話を知らない人間など、今の世に居るはずも無く――結局のところ、周囲が見ているのは、私自身ではないのだ。

 それは、私にとって親友と呼んでも差し支えのない男でも例外ではなかった。

 くだらないな、と。最近、ふと彼らの期待を疎ましく、そして苛立たしく思うことが多くなった。幼い頃は蔑ろにされ、その後は利用される人生、私は見世物ではないというのに。

 時折り虚しくなる。

(いつか、本当の私を見てくれる相手が現れないだろうか……)

 今までの経験から、そんな相手がいるわけがないことは身に染みて分かっていたが、それでも私は心の底からそう強く願わずにはいられなかった。
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