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夫との出会い
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「あ、あの……」
――結婚式当日。
本来なら侯爵と結婚式を挙げていた筈のトマスは、謎の仮面の男によって連れ去られ、国境を越えていた。
明らかに平民が扱う様な馬車ではない、豪奢な馬車は大変乗り心地が良く、トマスの両親が存命だった頃に乗っていたものよりも遥かに良い馬車だというのが分かる。貴族でも中々ここまで立派な馬車は持っていないだろうと、トマスは思わずそっと装飾を触った。
「国境を越えたからもう大丈夫だ」
仮面越しでも分かる端正な顔をした男は、長い銀色の髪を高い位置で結わえており、身体つきもかなりがっしりとしていた。ブルーノよりも筋肉質な体躯だが、不思議と暑苦しくなく、ふんわりと良い匂いも仮面の男からする。
「いや、そうじゃなくて……貴方は? 私に何か……あるんでしょうか」
悪びれない男に、トマスは恐る恐る尋ねた。何せ、控室で衣装を着て迎えを待っていた所、現れた男に気絶させられて無理矢理連れてこられたのだ。警戒するのは当然だろう。人質、という事なのだろうか? とは思うが、そこまでの利益が自身にあると思えない。トマスはあり得ないなと考え直す。
侯爵の花嫁の強奪と言えば確かに一見すると利益があるようにも思えるが、悪評高い侯爵がトマス一人の為に、そこまでの金や宝石を渡すとは考えにくい。むしろ、そのまま切り捨てられて終わる筈だ。
「……可憐だな」
「……はい?」
緊迫した空気の中での男の間抜けな言葉にトマスは引きつった声を上げた。心なしか男の頬が赤くなっている気がして、トマスはぶるりと身体を恐怖で震わせる。馬車の中に逃げ場はないのだが、貞操の危険を感じざるを得ない。
「……んっ、ん、失礼した」
しかし、トマスの表情に慌てて咳ばらいをした男は佇まいを直すと、仕切りなおすように口を開いた。
「……君は、何故、私がこんな事をしたのか? と聞きたいんだろう」
「……はい」
どうやら自分を手籠めにしようとしている訳ではないと分かり、トマスは肩の力を抜く。
手籠めにされるのは嫌だが、死んで楽になれるなら、それでも良いと思い始めていたのもある。少なくとも、愛のない結婚をし、人形の様に侯爵に付き従うよりも、死んだ方が心も安らかになるに違いないと、トマスは考えていた。
けれど、男の話を聞いたトマスは、そんな風に思った自身を恥じた。
――君の弟から依頼を受けたんだよ。兄を、母も侯爵も手が届かない場所に浚ってほしいってね。
仮面の男は、自身の正体をトマスに話してくれた。
「私はアラン。十年ほど前まで、私は所謂義賊という活動をしていてね。市井では本になったりしたんだ。そう、君たち兄弟が好きだったという怪盗、それが私なんだよ」
ブルーノと二人で夢中になった話の元になった人物が、目の前の男だと聞いて、トマスは驚いた。同時、外された仮面の下から現れたのは、若い美しい男の顔だ。年齢はおそらく三十代前半と言った所だろう。
「今思えば、若気の至りって奴で当時の記憶は少しばかり恥ずかしいんだがね。この仮面とか、素顔を隠すにしてももう少し他にあった気もするだろう? 正直あまり趣味は良くないと言わざるを得ない」
「え、いや……似合っています、よ?」
「はは……っ、優しいな、君は」
トマスはお世辞を言った訳では無かったのだが、アランはそう取らなかった様だ。
「……今はもう引退しているんです、よね?」
「ああ、十年前に、兄夫婦が亡くなってね。それまでは自由にしていたんだが、幼い甥を育てなければいけないとなっては、危険な事は出来ないだろう?」
正体こそ判明してはいなかったが、あのまま活動していればいずれは足が着いただろうとアランは続ける。
「でも、なんで今回は……?」
人を結婚式会場から盗むというのは、かなり目立つ行為な筈だ。危険な事はやりたくないというのなら、筋が通らない話だろう。アランはそんなトマスの問いに、正直迷ったのは事実だよと零すと、懐から数枚の手紙を取り出し、トマスへと渡した。
「引退した身、しかも、更に国境を越えての話だからね。けれど……君の弟の手紙を読んで、僕は今回の依頼を最後に受けることにしたんだ」
「これをブルーノが貴方に……?」
「そう。読んでごらん」
トマスが手紙を読むと、そこにはブルーノの想いがたくさん綴られていた。
母親から守れなかったことへの後悔、結婚なんてしてほしくなった事、本当は自分が連れて逃げたいけれど、それでは兄が不幸せになるという事、そして楽しかった子供の頃の話。アランの地位なら、兄を守れるのではないか。ならば希望を持って託す、と書かれた言葉。それらはすべて、トマスへの深い愛情から来る言葉だというのは、鈍いトマスにも理解できた。
「君の弟が誰から私の話を聞いたかは分からないが、なりふり構わない真摯な言葉を無視できるほど、私も腐ってはいなかった様だ。まぁ、さすがに陛下のお力も借りたけれど」
どういった思惑があってかは分からないが、真実にたどり着いていた者も居るのだと、アランの言葉からは読み取れた。
聞けば、アランはなんと公爵家の人間であり、現状は一時的な代役ではあるものの、兄が治めていた領地を治めているそうだ。公爵家だから、見逃されているのかもしれないが、真偽を確かめる術はない。ただ、今回はおそらくは盗みという名前の誘拐は揉み消されるのだろう。
「……ブルーノ」
手紙の最後にはこう記されていた。
『兄さんに幸せになってほしい』
あの時、弟の幸せを望んだトマスと同じ事を、ブルーノも思っていたのだとトマスは泣いた。
――結婚式当日。
本来なら侯爵と結婚式を挙げていた筈のトマスは、謎の仮面の男によって連れ去られ、国境を越えていた。
明らかに平民が扱う様な馬車ではない、豪奢な馬車は大変乗り心地が良く、トマスの両親が存命だった頃に乗っていたものよりも遥かに良い馬車だというのが分かる。貴族でも中々ここまで立派な馬車は持っていないだろうと、トマスは思わずそっと装飾を触った。
「国境を越えたからもう大丈夫だ」
仮面越しでも分かる端正な顔をした男は、長い銀色の髪を高い位置で結わえており、身体つきもかなりがっしりとしていた。ブルーノよりも筋肉質な体躯だが、不思議と暑苦しくなく、ふんわりと良い匂いも仮面の男からする。
「いや、そうじゃなくて……貴方は? 私に何か……あるんでしょうか」
悪びれない男に、トマスは恐る恐る尋ねた。何せ、控室で衣装を着て迎えを待っていた所、現れた男に気絶させられて無理矢理連れてこられたのだ。警戒するのは当然だろう。人質、という事なのだろうか? とは思うが、そこまでの利益が自身にあると思えない。トマスはあり得ないなと考え直す。
侯爵の花嫁の強奪と言えば確かに一見すると利益があるようにも思えるが、悪評高い侯爵がトマス一人の為に、そこまでの金や宝石を渡すとは考えにくい。むしろ、そのまま切り捨てられて終わる筈だ。
「……可憐だな」
「……はい?」
緊迫した空気の中での男の間抜けな言葉にトマスは引きつった声を上げた。心なしか男の頬が赤くなっている気がして、トマスはぶるりと身体を恐怖で震わせる。馬車の中に逃げ場はないのだが、貞操の危険を感じざるを得ない。
「……んっ、ん、失礼した」
しかし、トマスの表情に慌てて咳ばらいをした男は佇まいを直すと、仕切りなおすように口を開いた。
「……君は、何故、私がこんな事をしたのか? と聞きたいんだろう」
「……はい」
どうやら自分を手籠めにしようとしている訳ではないと分かり、トマスは肩の力を抜く。
手籠めにされるのは嫌だが、死んで楽になれるなら、それでも良いと思い始めていたのもある。少なくとも、愛のない結婚をし、人形の様に侯爵に付き従うよりも、死んだ方が心も安らかになるに違いないと、トマスは考えていた。
けれど、男の話を聞いたトマスは、そんな風に思った自身を恥じた。
――君の弟から依頼を受けたんだよ。兄を、母も侯爵も手が届かない場所に浚ってほしいってね。
仮面の男は、自身の正体をトマスに話してくれた。
「私はアラン。十年ほど前まで、私は所謂義賊という活動をしていてね。市井では本になったりしたんだ。そう、君たち兄弟が好きだったという怪盗、それが私なんだよ」
ブルーノと二人で夢中になった話の元になった人物が、目の前の男だと聞いて、トマスは驚いた。同時、外された仮面の下から現れたのは、若い美しい男の顔だ。年齢はおそらく三十代前半と言った所だろう。
「今思えば、若気の至りって奴で当時の記憶は少しばかり恥ずかしいんだがね。この仮面とか、素顔を隠すにしてももう少し他にあった気もするだろう? 正直あまり趣味は良くないと言わざるを得ない」
「え、いや……似合っています、よ?」
「はは……っ、優しいな、君は」
トマスはお世辞を言った訳では無かったのだが、アランはそう取らなかった様だ。
「……今はもう引退しているんです、よね?」
「ああ、十年前に、兄夫婦が亡くなってね。それまでは自由にしていたんだが、幼い甥を育てなければいけないとなっては、危険な事は出来ないだろう?」
正体こそ判明してはいなかったが、あのまま活動していればいずれは足が着いただろうとアランは続ける。
「でも、なんで今回は……?」
人を結婚式会場から盗むというのは、かなり目立つ行為な筈だ。危険な事はやりたくないというのなら、筋が通らない話だろう。アランはそんなトマスの問いに、正直迷ったのは事実だよと零すと、懐から数枚の手紙を取り出し、トマスへと渡した。
「引退した身、しかも、更に国境を越えての話だからね。けれど……君の弟の手紙を読んで、僕は今回の依頼を最後に受けることにしたんだ」
「これをブルーノが貴方に……?」
「そう。読んでごらん」
トマスが手紙を読むと、そこにはブルーノの想いがたくさん綴られていた。
母親から守れなかったことへの後悔、結婚なんてしてほしくなった事、本当は自分が連れて逃げたいけれど、それでは兄が不幸せになるという事、そして楽しかった子供の頃の話。アランの地位なら、兄を守れるのではないか。ならば希望を持って託す、と書かれた言葉。それらはすべて、トマスへの深い愛情から来る言葉だというのは、鈍いトマスにも理解できた。
「君の弟が誰から私の話を聞いたかは分からないが、なりふり構わない真摯な言葉を無視できるほど、私も腐ってはいなかった様だ。まぁ、さすがに陛下のお力も借りたけれど」
どういった思惑があってかは分からないが、真実にたどり着いていた者も居るのだと、アランの言葉からは読み取れた。
聞けば、アランはなんと公爵家の人間であり、現状は一時的な代役ではあるものの、兄が治めていた領地を治めているそうだ。公爵家だから、見逃されているのかもしれないが、真偽を確かめる術はない。ただ、今回はおそらくは盗みという名前の誘拐は揉み消されるのだろう。
「……ブルーノ」
手紙の最後にはこう記されていた。
『兄さんに幸せになってほしい』
あの時、弟の幸せを望んだトマスと同じ事を、ブルーノも思っていたのだとトマスは泣いた。
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