かけがえのない君に告ぐ

春原しずく

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第一章 神様が家にやってきた

第十二話

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「事情はだいたい把握したわ。けど、ひとつ疑問があるの」
父が「なにかな?」と言いたげに、まばたきをした。余裕と落ち着きに満ちたしぐさであった。
「ゆうべのうちにこの家を訪れたそうだけれど、どうしてわざわざ夜に来たの? 昼のうちに着くように調整してもよかったんじゃないかしら」
「それなんだがな、」
言って、父がパチンと一回指を鳴らした。
「あの子、昼間に家を出たそうなんだ。でも、ちょっと寄り道をしたらしくて、それで到着が夜中になったんだってさ」
「それ、実話なの?」
美美子は驚きに顔を歪めた。
わざわざ寄り道なんかをするなんて、いったい、ジュエルったらなにを考えているのかしら?
──新たに湧いた疑問をぶつけるために口を開きかけ、そして、動作を途中で止めた。「『寄り道』という言葉はもしかすると、公園での出来事を指しているのかもしれない」と考えたためである。
「だとしたら、この話題には触れてはいけないわ」と思った。ゆうべの話が両親に知れたら、昨夜の自分の行動がばれてしまう。「夜中に散歩をするなんて駄目じゃないか」と叱られてしまう。
夜の散歩は美美子にとっては数少ない趣味のひとつだ。ばれたら困る。とても困る。
だから、あえて話題を変えた。「じゃあ、私、表でジュエルを待つから。あの子にそう伝えてね」と言っては、父に背を向けたのだ。
ドアを開け、正面から吹きつけてくる風を押しのけるようにして歩き出す。
「ああ。ちゃんと伝えておくよ」
「いってきます」と告げようとしたまさにそのとき、父が返事をした。
そこで、玄関先での会話が終わった。

湖水こすいのように澄んだ空を見上げながら、物思いにふけっていたところ、
「さっきから、空ばかり見ているわね。プテラノドンでも飛んでいるのかしら?」
まろやかな美声びせいが耳に入ってきた。聞き慣れぬ声だった。
美美子は急いで目線を下ろし、正面を見た。そして視線の先に佇んでいた人物に、
「どちら様でしょうか」
──質問をひとつ投げかけた。
黒のパンツスーツを着た背の高い美人が、数メートル離れた向こうに立っているのが見えた。ジュエルほどではないが、それでも十分に美しい人だった。
艶のある短い茶髪も、琥珀色こはくいろそうのまなざしも、ほのかにを描いた薄い唇も奇跡的なまでに整っている。「モデルか俳優、もしくは外見を売り物にする仕事に従事じゅうじしている」と言われても、素直に信じ切れそうなほどだ。あふれんばかりの色香いろかが、その人の体の至るところから煙のように立ちのぼっている。
ジュエルが異国の美姫びきだとすると、その人物はまるで、古代中国に生きた女帝じょていのようだった。生まれながらに他人からかしづかれることを運命づけられた皇妃こうひのようでもあった。
美美子はじっと相手の目を見る。女は少しも動じない。
しばらくの間、無言を貫いてみたところ、
「私の名前は久永求ひさながもとむというわ。よろしくね、美美子さん」
と、女が名乗りを上げた。
静けさ漂う道の上にて、二人、声なく見つめ合う。
スズメの鳴き声のみが耳に響く。
「……私たち、初対面のはずですよね?」
言って、美美子は正面に立つその人物の胸許を見た。そこには、百合の花をしたブローチが留まっていた。
(このひと、M性だ……)
美美子は一歩あとずさった。そして、眼前がんぜんに佇むM性の顔を仰ぎ見た。

スリーデイズ以降、残された女性たちが二つの性に分かれた際、ひとつの問題が人々の上にのしかかった。「M性とF性をどうやって見分ければよいか」という問題であった。
これまで何度も繰り返してきたように、M性は男性器を持っている。
しかし、彼らの外見はF性とほぼ変わりない。筋肉量だってそう多くないし、ひげだって生えてはいないのだ。

だが、「それでは生活するうえで不便だ」と多くの者が声を上げた。
ゆえに、「M性は、その衣服に百合の花を模したブローチを留めなければならない」という法律が制定《せいてい》されたのである。

【続く】
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