かけがえのない君に告ぐ

春原しずく

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第二章 恋に落ちた日

第十六話

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唇にとどまるキスの余韻を思うと、たとえようのない幸福感があふれ出てくる。
雨上がりの帰り道、恋人と交わしたくちづけの味は蜜のように甘かった。
でも、美美子は知っている。この幸せは永遠に続くものではないのだと。いつか必ず終わりを迎えるものなのだと。
幸福な時はいずれ終わる。愛情や恋心で、死という運命を乗り越えられるわけがない。神はどうか知れないが、人間は永遠とは程遠い生き物なのである。
幸せは長く続かない。
──しかし、だからこそ、充実した時間を積み上げようと思うのだ。「死」という名のタイムリミットにおびえて暮らすよりも、前向きに愛を示して生きたほうがずっといい。
あの世に金は持っていけないが、思い出は持っていける。「誰かを強く愛した」という記憶も持っていける。
だから、ジュエルと過ごす日々を大事にしようと決めた。
恋は人を臆病にする。
愛は人に勇気を与える。
恋愛には、「恋」と「愛」という二つの側面がある。人を臆病にする一方、勇気づけてくれたりもする。
胸の底から泉のように湧き出てくるこの感情を、止めることなどできない。恋情れんじょうも愛情も、いまの美美子にとってはもはや酸素のように自然なものなのだから。


「美美子ちゃん、ジュエルちゃんを呼んできてくれないかしら」
夕食の支度したくをしていた母が、料理を作り終えるなりそう告げた。
「あとは私がするから、庭にいるあの子を連れてきてほしいのよ」
「うん。わかった」
美美子はエプロンを脱ぐと、それを棚の中に丸めて入れ、台所を出た。
(確か、ジュエルは「清めの儀式」というものをしているんだっけ……)
ジュエルはただのM性ではない。現人神あらひとがみたる化神けしんである。
化神や呪宝会じゅほうかいが実際に携わっている活動の中身は、知らない。「世にはびこるけがれを浄化している」という話しか知らない。
なんらかの理由があって活動内容秘匿《ひとく》していると思うのだが、それは美美子の推論すいろんでしかなかった。
化神たちは人民じんみんのために動いている。呪宝会は、悪しきものから人々を守るために動いている。
政府はそう説明しているのだが、やはり詳細は述べずにいる。なんのために戦っているのか、悪しきものとはなんなのか、具体的な話はまったくしないのである。
だから、美美子は少しわくわくしていた。もしかしたら、清めの儀式に臨むジュエルの姿を見ることができるかもしれないから。神様としての彼を直接拝めることができるかもしれないから。
(私って、やっぱりファンタジーが好きなのね)
恋に落ちても趣味嗜好を変えぬ自分に、苦笑いをこぼしてしまう。いつもいつでも、恋愛の最中であってもファンタジーを求めてしまう私って、本当に物好きだわ。ええ、本当に、どうしようもないぐらいの物好き。

玄関でお気に入りの白いサンダルを履き、外に向かう。
扉の先には、太陽の光に包まれた家々の姿があった。真っ赤な日射しに染め上げられた街の姿が。見慣れた景色が。

しかし、数え切れぬほど見てきた風景でも素晴らしく尊いものに見えた。
どうやら恋をすると、物の見方までもが大きく変化してしまうらしい。

【続く】
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