35 / 103
第二章 恋に落ちた日
第十五話
しおりを挟む
その日の夕方も、ジュエルと下校した。天気予報がはずれたせいで、通り雨に思いっきり降られてびしょ濡れになってしまったけれど、美美子はさしてそれを気にしなかった。道行く人たちが不思議そうな表情で振り返っても、少しも気に留めず、隣を歩くジュエルに微笑みかけた。
幸せな時間だった。
冷たい秋雨に降られても、制服が水浸しになっても、最高に幸せなひとときだと心底思えた。
いまのいままで、世の恋人たちの気持ちがちっとも理解できなかったけれど、その疑問はジュエルへの気持ちを知った時点で見事についえた。
──幸せだった。
昨日まで見てきた世界と同じ場所を歩いているはずなのに、目にするもの、視界を過ぎるもののすべてが、清らかなものに見えた。
恋を知った。愛に触れた。心を通わす喜びを十六にしてはじめて得た。
もしかすると、それはちょっとだけ不幸なことなのかもしれない。「ジュエルを失ったら」と想像するだけで、胸が苦しくなるから。いつか相手が心変わりして、自分の元を去っていくかもしれないから。「そんな未来は来ない」という保証はどこにもないから。
ファンタジーを好む気持ちは胸にある。魂の底で燃えている。
けれど、それを上回るほどの強い熱を肌身に感じるのだ。「恋」という名の苛烈な炎を。「愛」という名の尊いぬくみを。
「美美子ちゃん」
ジュエルが名を呼ぶ。
「うん」
美美子はすぐさま返事をする。
「美美子ちゃん」
ジュエルがまたも名前を呼ぶ。
「なあに?」
美美子はすぐに返事を返す。
雨が少し止んできた頃、ジュエルがふいに立ち止まって言った。
ひとけのない住宅街の中、二人して見つめ合う。
雲間から顔を出した太陽が、地上に息づく街をくまなく照らす。世界に光が満ちてゆく。
「私、……怖いんだよね」ジュエルが言った。
「もしも君が死んじゃったらと思うと、怖くて泣いてしまいそうになる」
口早にそう告白した彼の顔は、いつになく悲しげな色を帯びていた。いまにも壊れそうな、──泣いてしまいそうな表情。驚くほどに繊細な表情でもある。
「ジュエル……」
美美子は恋人の目の前に素早く移動した。それから、彼の肩を丁寧に抱いて、
「私もよ」
と一言返した。
「私もあなたを失うのが怖いわ。たとえ好き合っていても、死んだら逢えなくなるものね」
世界が光る。
ついさっきまで雨にまみれていた世界が、安らかな日射しを受けて、生き返ったように輝き出す。
「でも、起こってもいないことにおびえてもどうしようもないと思うの。死んだら逢えない。失ったら二度と逢えない。それは真実なのかもしれないわね」
「うん……」
ジュエルが泣きそうな顔でうなずく。まるで迷子になった幼子のように、悲しげな目をして。
「愛なんて死んだら終わりなのかもしれない。愛なんて、塵や砂のように儚くて脆いものなのかもしれない。だけど、その『いつか』はまだ始まってもいないのよ。
だから、私たち、できるだけ笑っていましょうよ。そして、一緒にいる間だけでも楽しく暮らしましょう」
顔を上げ、ジュエルの瞳をしっかり捕らえ、力強く繰り返した。「できるだけ笑っていましょう」と。我が心にも言い聞かせるように、強く。
「……そうだね」
数秒が経過したのち、ジュエルが呟いた。「永遠なんてないのかもしれないけれど、私たちには『いま』という時間があるんだもんね。心は、ここにあるもんね」
美美子は深くうなずいた。
世界が光る。
ジュエルが唇を寄せてくる。
雨上がりの空の下、なにも告げずにまぶたを閉じる。
豊かな体温を宿した唇、たったひとりの愛する人の唇を受け止めるために、まぶたを閉じゆく。
【続く】
幸せな時間だった。
冷たい秋雨に降られても、制服が水浸しになっても、最高に幸せなひとときだと心底思えた。
いまのいままで、世の恋人たちの気持ちがちっとも理解できなかったけれど、その疑問はジュエルへの気持ちを知った時点で見事についえた。
──幸せだった。
昨日まで見てきた世界と同じ場所を歩いているはずなのに、目にするもの、視界を過ぎるもののすべてが、清らかなものに見えた。
恋を知った。愛に触れた。心を通わす喜びを十六にしてはじめて得た。
もしかすると、それはちょっとだけ不幸なことなのかもしれない。「ジュエルを失ったら」と想像するだけで、胸が苦しくなるから。いつか相手が心変わりして、自分の元を去っていくかもしれないから。「そんな未来は来ない」という保証はどこにもないから。
ファンタジーを好む気持ちは胸にある。魂の底で燃えている。
けれど、それを上回るほどの強い熱を肌身に感じるのだ。「恋」という名の苛烈な炎を。「愛」という名の尊いぬくみを。
「美美子ちゃん」
ジュエルが名を呼ぶ。
「うん」
美美子はすぐさま返事をする。
「美美子ちゃん」
ジュエルがまたも名前を呼ぶ。
「なあに?」
美美子はすぐに返事を返す。
雨が少し止んできた頃、ジュエルがふいに立ち止まって言った。
ひとけのない住宅街の中、二人して見つめ合う。
雲間から顔を出した太陽が、地上に息づく街をくまなく照らす。世界に光が満ちてゆく。
「私、……怖いんだよね」ジュエルが言った。
「もしも君が死んじゃったらと思うと、怖くて泣いてしまいそうになる」
口早にそう告白した彼の顔は、いつになく悲しげな色を帯びていた。いまにも壊れそうな、──泣いてしまいそうな表情。驚くほどに繊細な表情でもある。
「ジュエル……」
美美子は恋人の目の前に素早く移動した。それから、彼の肩を丁寧に抱いて、
「私もよ」
と一言返した。
「私もあなたを失うのが怖いわ。たとえ好き合っていても、死んだら逢えなくなるものね」
世界が光る。
ついさっきまで雨にまみれていた世界が、安らかな日射しを受けて、生き返ったように輝き出す。
「でも、起こってもいないことにおびえてもどうしようもないと思うの。死んだら逢えない。失ったら二度と逢えない。それは真実なのかもしれないわね」
「うん……」
ジュエルが泣きそうな顔でうなずく。まるで迷子になった幼子のように、悲しげな目をして。
「愛なんて死んだら終わりなのかもしれない。愛なんて、塵や砂のように儚くて脆いものなのかもしれない。だけど、その『いつか』はまだ始まってもいないのよ。
だから、私たち、できるだけ笑っていましょうよ。そして、一緒にいる間だけでも楽しく暮らしましょう」
顔を上げ、ジュエルの瞳をしっかり捕らえ、力強く繰り返した。「できるだけ笑っていましょう」と。我が心にも言い聞かせるように、強く。
「……そうだね」
数秒が経過したのち、ジュエルが呟いた。「永遠なんてないのかもしれないけれど、私たちには『いま』という時間があるんだもんね。心は、ここにあるもんね」
美美子は深くうなずいた。
世界が光る。
ジュエルが唇を寄せてくる。
雨上がりの空の下、なにも告げずにまぶたを閉じる。
豊かな体温を宿した唇、たったひとりの愛する人の唇を受け止めるために、まぶたを閉じゆく。
【続く】
0
あなたにおすすめの小説
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる