かけがえのない君に告ぐ

春原しずく

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第二章 恋に落ちた日

第十五話

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その日の夕方も、ジュエルと下校した。天気予報がはずれたせいで、通り雨に思いっきり降られてびしょ濡れになってしまったけれど、美美子はさしてそれを気にしなかった。道行く人たちが不思議そうな表情で振り返っても、少しも気に留めず、隣を歩くジュエルに微笑みかけた。
幸せな時間だった。
冷たい秋雨に降られても、制服が水浸しになっても、最高に幸せなひとときだと心底思えた。
いまのいままで、世の恋人たちの気持ちがちっとも理解できなかったけれど、その疑問はジュエルへの気持ちを知った時点で見事についえた。
──幸せだった。
昨日まで見てきた世界と同じ場所を歩いているはずなのに、目にするもの、視界を過ぎるもののすべてが、清らかなものに見えた。
恋を知った。愛に触れた。心を通わす喜びを十六にしてはじめて得た。
もしかすると、それはちょっとだけ不幸なことなのかもしれない。「ジュエルを失ったら」と想像するだけで、胸が苦しくなるから。いつか相手が心変わりして、自分の元を去っていくかもしれないから。「そんな未来は来ない」という保証はどこにもないから。
ファンタジーを好む気持ちは胸にある。魂の底で燃えている。
けれど、それを上回るほどの強い熱を肌身はだみに感じるのだ。「恋」という名の苛烈な炎を。「愛」という名の尊いぬくみを。
「美美子ちゃん」
ジュエルが名を呼ぶ。
「うん」
美美子はすぐさま返事をする。
「美美子ちゃん」
ジュエルがまたも名前を呼ぶ。
「なあに?」
美美子はすぐに返事を返す。
雨が少しんできた頃、ジュエルがふいに立ち止まって言った。
ひとけのない住宅街の中、二人して見つめ合う。
雲間くもまから顔を出した太陽が、地上に息づく街をくまなく照らす。世界に光が満ちてゆく。
「私、……怖いんだよね」ジュエルが言った。
「もしも君が死んじゃったらと思うと、怖くて泣いてしまいそうになる」
口早くちばやにそう告白した彼の顔は、いつになく悲しげな色を帯びていた。いまにも壊れそうな、──泣いてしまいそうな表情。驚くほどに繊細な表情でもある。
「ジュエル……」
美美子は恋人の目の前に素早く移動した。それから、彼の肩を丁寧に抱いて、
「私もよ」
と一言返した。
「私もあなたを失うのが怖いわ。たとえ好き合っていても、死んだら逢えなくなるものね」
世界が光る。
ついさっきまで雨にまみれていた世界が、安らかな日射しを受けて、生き返ったように輝き出す。
「でも、起こってもいないことにおびえてもどうしようもないと思うの。死んだら逢えない。失ったら二度と逢えない。それは真実なのかもしれないわね」
「うん……」
ジュエルが泣きそうな顔でうなずく。まるで迷子になった幼子おさなごのように、悲しげな目をして。
「愛なんて死んだら終わりなのかもしれない。愛なんて、ちりや砂のように儚くてもろいものなのかもしれない。だけど、その『いつか』はまだ始まってもいないのよ。
だから、私たち、できるだけ笑っていましょうよ。そして、一緒にいる間だけでも楽しく暮らしましょう」
顔を上げ、ジュエルの瞳をしっかり捕らえ、力強く繰り返した。「できるだけ笑っていましょう」と。我が心にも言い聞かせるように、強く。
「……そうだね」
数秒が経過したのち、ジュエルが呟いた。「永遠なんてないのかもしれないけれど、私たちには『いま』という時間があるんだもんね。心は、ここにあるもんね」
美美子は深くうなずいた。

世界が光る。
ジュエルが唇を寄せてくる。

雨上がりの空の下、なにも告げずにまぶたを閉じる。
豊かな体温を宿した唇、たったひとりの愛する人の唇を受け止めるために、まぶたを閉じゆく。

【続く】
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