かけがえのない君に告ぐ

春原しずく

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第三章 光は去らず

第十話

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「やっと二人きりになれたね。本当は、ずっと前からこうしたかったのだけれど」
一歩一歩、遅々ちちたる速度で前に進みながら、ともえが言う。
星が瞬く空の下、表情なき彼のおもてを街灯の明かりが照らす。
美美子は肩を震わせた。バリアが割れたそのとき、手足が一瞬痺れたような気がしたが、それよりも歩む巴のほうに意識を奪われた。
巴が歩く。
二人の距離が縮まる。
芝生しばふを踏む音がこんなに不吉なものに思えたことは、いまだかつてなかった。
「嫌……」
もはやあとずさる力すら湧かない。助けとなる人々が不在であるいま、頼れるものがまるでないいま、危機的状況は酷くなる一方だ。
「大丈夫だよ。命は奪わないから」
巴が笑う。普段の彼女からは想像もつかないような、明るい笑みだ。
けれど、それは美美子の心にさらなる恐怖をもたらすのみであった。彼がいかになだめてこようが、恐れとおびえは深まるばかりだ。
襲われる。
……強姦される。
ジュエルと愛を誓い合ったのに、彼を──裏切ってしまう。
「嫌……。お願い、やめて。やめてよ……」
壊れたスピーカーのように、「嫌」「やめて」と繰り返す。
巴はなおも笑う。完全勝利を確信した者だけが浮かべうる不遜ふそんな笑みである。
「怖がらなくてもいいんだよ。龍源寺りゅうげんじさん、君はただ横になっていればいいんだから。気持ちいい目に遭うだけなんだから」
その場に座り込んだ美美子のすぐ前に、巴が立つ。──上月巴こうづきともえでなく、「新月巴しんげつともえ」として。ヒトでなく、化神けしんとして。神として。
「神様に愛される幸せというものを、私がしっかり教えてあげるね」
制服のリボンをほどいた巴が、美しく笑みながら告げる。
美美子は泣いた。いまさら泣いてみたところで状況が一変するわけではないと心得てはいるのだが、それでも泣かずにはいられなかった。
(私の馬鹿……! どうして、ひとりでこんなところに来ちゃったのよ……)
しかし、いくらおのれをののしったところで、どうにかなるものではない。巴を恨んだところで、どうにかなるものでもない。罠を罠と見抜けなかった自分に非があるのだから──。
巴の手がリボンを手放す。風になびく花びらのような動きを見せながら、リボンが地面に落ちていく……。
──と。
空気の質が変わった。
色やにおいが変化したのではない。
しかし、美美子は直感的に悟った。芝生しばふに覆われた広場に新たな「なにか」が現れた結果、空気の質が大きく変わったのだ、と──。
「……ああ、王子様が来ちゃったか」
笑みを収め、いつもの無表情に戻った巴が軽く舌打ちをする。

軽い足音が鳴った。高所から芝生の上に降りたときに鳴る、小さな足音だ。
「なにをしているの!」
大気までもを震わせるような大声で、制服姿のジュエルが叫んだ。「美美子ちゃんを泣かせたりなんかして……。許せない!」

激しい怒気どきを満面に浮かべながら、彼は言った。
「上月さん。……いや、新月巴! 私は君を絶対に許さない。美美子ちゃんをいじめたむくい、いますぐに受けてもらうよ!」

【続く】
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