【完結】雇われ見届け人 婿入り騒動

盤坂万

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工藤家の件

余談

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 生意気な弟を送り出してから、荻野主馬しゅめは寝間でうつ伏せになっていた。妻女の麻乃あさのが痛む腰をさすってくれているのだが、真冬でもぽかぽかと暖かい麻乃の掌は、傷んだ腰に大変心地が良い。庭で啼く百舌鳥の声を聞いているうちに、ぽろりと言葉が主馬の口元からこぼれた。

「新三郎は出たのか」
「ええ、ついさきほど」
「飯は、食って行ったか」
「それはもう、たらふく」

 麻乃の力加減が良い塩梅あんばいで、主馬はとろとろと眠気を感じ始めている。眠たさのせいか、日ごろは固く閉ざしている思考が開いているようで、主馬は用心しかけたが誰が聞くわけでもないと思い直し、出るに任せて話した。

わしは新三郎に嫌われておる」
「そのようなこと、ないとおもいますけど」
「いや。上役や同僚にへつらう追従ついしょう侍だなどと思っておるのだろう」
「御役目に必要なことでございます」

 時折、「いたた」とうめきつつも、麻乃の手の動きに合わせて心地よさげに溜息をもらす。

「森玄蕃げんばの仕事を手伝いおるのは儂への嫌がらせだろう。先だっては堀田様にも嫌味を言われてしもうた」
「言わせておけばよいのです。それはあなた様が注目されている証左ですし、新三郎さんの働きが目覚ましいからでございましょう。優秀な弟を持ったと、荻野家として誇らしいことじゃないですか」
「ふふふ、それは良いな。物は考えようだの」
「そうですよ。でも……」

 そこまで言って麻乃は言葉を飲み込んだ。ふと顎を持ち上げて主馬は妻女の顔を覗き込む。少し齢をとったようにも思うが、この角度から見る麻乃も佳い、などと人知れず惚気けた気分になる。主馬と目があって、麻乃はわずかに微笑んだ。

「身を固める気があるのかないのか、もう二十六でございましょう。わたくしはそれのみが心配で」
「さてな」

 そう返事をして主馬は目を伏せた。

「もしかしたら藤堂のことで根に持っているのかもしれん」
「お取り潰しで破談になったという、新三郎さんの婿入り先だった?」
「そう。当主の宗右衛門そううえもん殿が急死してな。婚約はしておったが婿入り前だったせいで早々にお取り潰しになったのだ。本家筋にあたる伊勢の藤堂様からもお口添えがなく、版元の届にも不備があったゆえ」

 当時、すでに家を継いでいた主馬は、この取り潰し話を撤回させるのにかなり運動をした。亡父の残した財を遣って幕閣にも働きかけたが、当の藤堂家本家が勝手を許したため頓挫してしまった経緯がある。
 結局取り潰しの決定を覆すことができず、心を決めていた新三郎は宙ぶらりんの状態になってしまった。そのことがあってから、何件も訪れる縁談を、新三郎は一度も話すら聞こうとしなくなったのである。

「それで、藤堂家の皆様はどうなされたのです」
「領地のあった伊勢に立ち帰ったと聞いた。妻女の実家はあちらだからな。藤堂様は一門が際立って多いから身寄りくらいはあろう。子細は知らぬが、路頭に迷うようなこともあるまい。それに元々裕福な家だった。宗右衛門どのの葬儀の時にいくらか費えの足しにと用意したが、手切れ金とでも思い違いをされてしまったか固辞されての」
「相手方のお嬢さん、なんといいましたか。たしか塔子さん……」

 主馬はうつぶせた姿勢のままよく憶えているものだと思った。
 その塔子が近頃になって江戸に戻ってきていることがわかっている。示し合わせていたのか、新三郎がときどき逢っていることも主馬は知っている。
 この頃目立って新三郎が反抗的なこともそうだし、版元見届はんもとみとどけなどという仕事に関わっていることも、そうしたことに起因しているのではないかと、邪推しがちな主馬なのである。

「新三郎は儂を恨んでおるのだろうなあ」

 主馬のぼやきは半ば寝言になっていた。妻女が気付いた時には、荻野家の当主は静かな寝息を立てていた。
 さっきまで時折啼いていた百舌鳥も、今はどこかへ飛び去ったか気配すらしない。麻乃は主馬が痛がる腰の当たりをそっと撫で続けている。
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