【完結】雇われ見届け人 婿入り騒動

盤坂万

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梅雨入りの件

名張陣屋

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「それでご当主は」

 できるだけ厳かな声を出そうと新三郎は試みたがなかなかうまくいかない。咳払いで誤魔化しつつ書院に控える者たちに目を配った。中庭に続く襖はぴたりと閉じてあり、梅雨の最中に蒸し暑いことこの上ない。
 上座は空けられており、その両脇に領士らが居並ぶ。新三郎らは書院の真ん中で上座に向かって席を占めていた。新三郎の左後方に忠馬、右後方に加也。当然ながら三人とも帯刀は認められず、全員無刀である。
 見る限り領士の面々はみな若い。老職にあたるものが一人も見当たらないのが気になった。

「我らの殿はお知らせした通り病臥されておる」
「はあ」

 返事をしたのは陣屋へ到着した折に出迎えた横田太右衛門という家老職の男だ。やはり年若く見え、新三郎より二つ三つ程度年嵩に思える。初瀬街道で誰何すいかした七條喜兵衛もそこに居、二人の向かいに座る小沢宇右衛門という怜悧さを売りにしたような男をあわせた三人が、この場の上位者であるらしい。
 忠馬から、当主の宮内は仮病との報告を聞いていたので、新三郎は思わず気の抜けた返事をしてしまった。そもそも末期の世継願いで来訪しているのだから、当主の宮内は病に臥せっていると話すのは当然だ。
 もう一度咳払いをして、世継願いの願書を拝見する、と言うと小沢宇右衛門が脇に備えていた三方を捧げ持って膝行してくる。新三郎はそれを受け取るや、ぱっと広げて右から左へと目を動かす。そこには事前に聞かされていた実子の名はなく、二本松藩丹羽家より婿養子を迎えると言う、末期養子願いに変えられていた。
 末期養子の願いは世継届と同時に行うため手続き上は問題がない。ただ新三郎の目が留まったのは、婿養子を迎える宮内の娘の項目に、塔子の名が記載されていたことだった。

「お尋ねいたすがよろしいか」

 願書からつと目を上げて、上位者の席にいる三人に、順番に視線を送る。最上位の横田が「何なりと」と答えたので、新三郎は横田に目をとめた。

「宮内様のご養女である、塔子という女子おなごのことです」

 背後の二人が反応をするのを感じて新三郎はふと苦笑いが表情に滲んだ。私情のことではないが、新三郎がその名を口にすれば動揺するのも無理からぬ話である。苦笑いを引っ込めて新三郎は一段声を高めた。

「養女に迎えたのはいつのことで、この件は藤堂家の御本家は承知おきのことでしょうか」
「さて、詳しいことは殿にしかわからぬ」

 新三郎は舌打ちしたくなるのを堪えた。こちらが若いと見てか、口の利き方も判らぬようだ。別段、新三郎は侮りを怒りに感じているわけではない。
 ただ、正式な禄を受けていないとはいえ新三郎は幕府直臣で公儀の役目を負っている。翻って横田らは陪々臣だ。戦国の往時であれば臣下の臣下は臣下にあらずの言も通ろうが、時と場を弁えればそのような態度は不利であること極まりない。それくらいのことが判らぬとは、と呆れるのである。
 その程度の見識で独立立藩とは、主人である藤堂宮内の器も知れるというものだ、と新三郎は断じる気分になった。

「この度の末期養子願いについて経緯を伺いたい。事前に承っておりましたのは御実子の世継願いと御目見おまみえの段取りについてのご相談であったと憶えておりまするが、いまここにあるのは末期養子願い。この件についても本藩の和泉守様はご承知おきでしょうか」

 敢えて幕府への直接の進奏であることについては触れなかった。迂遠にそのことを言ったのだが、横田は無表情のまま首を横に振るばかりだ。

「その件も殿にしか詳しいことは判らぬ。御願いの儀については願書にすべて形式が整っており申す。それについては幕閣の皆様もご承知のはず。今さら荻野殿が御審査されるには及ばないのでは?」

 反対に横田らの方でも戸惑いが見え始めていた。受け答えをしている横田本人は何とか鉄面皮を演じていたが、次席以下に座を占める小沢や七條は慌ただしく目配せを送り合っている。どうなっておるのだ。見届け人はただの連絡役にすぎぬのではなかったのか。わからぬ。なにゆえ願書の吟味をするのか。わからぬ。

「横田殿は誤解をされていますよ。私がするのは確認であり審査ではありません」
「であれば、これ以上我らから申し上げることはござらん。どうかそのまま御受領くだされ」

 横田の物言いは無礼を通り過ぎて不遜なものだった。既に諦めている新三郎よりも、後方で控えている忠馬と加也の方が怒り心頭である。手元に差料があれば抜いていたかもしれぬほど腹立ちの潮位は満水に至っている様子だ。新三郎は再度苦笑するほかない。

「なるほど。それでは役目通り、判元の確認をさせて頂きましょう。宮内様のご病床へご案内くだされ」

 言うや立ち上がる新三郎に、横田は今度は大いに慌てて追うように腰を浮かせた。

「申したように殿は病臥されておる。見舞いは不調法につき控えられたし」
「なんだ貴君ら、判元未届のならいをご存知ないのか。例え危篤にあられようと判元の確認は征夷大将軍による威令ですぞ。命に代えようとも果たされるべきことでござる。まさか既に冥府へお旅立ちになったなどとは申されますまいな」
「それは……」

 新三郎の大見得が決まって横田らは動きを止めた。口ごもる様子にその疑いは増す。本当に病気なのか、それとも他に何か隠していることがあるのか。いずれにせよ侮りが過ぎる。
 その時襖がすっと空き、廊下に小さくうずくまる女の姿が見えた。新三郎はすぐにそれが塔子であるとわかった。それは加也も同じようで、小さく「塔子どの」と口の中でつぶやく。

「ご使者様、養父ちち上のもとへご案内いたします」
「む、お頼み申します」

 感情を表情に出さないように気張ったがだめだ。名張にいる間にいずれ顔を合わすこともあるだろうと考えていたが、この間、この場でとはまったく思わなかった。
 心臓が高鳴る、手が小さく震える。耳朶が熱を帯びてくる。新三郎と塔子を順に目で追って加也は小さくため息をついたようである。隣にいて忠馬はそれに気が付いたが、口に出しては「では参りましょう」とだけ言った。
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