The RUNE of BELLBREST

カミロワキ

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The night before

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 その国の名はアノバルレという。北方の山脈と南方の海洋に挟まれた大きな国だ。
 国名の由来を問われると古い時代を彩りし王族から賜った恩寵おんちょうであると答えるしかない。建国から約400年、記録した文献を僅わずかに残し、当事者たちはすでに声も届かぬ空の上にいるのだから。
 それに、正しい意味を声に出さずとも数百年に渡って綴つづられた歴史書たちが王国の由緒を示している。

 国は賢雄な人間の王が統治している。自然の恵みあふれる豊かな土地が広がり、その上を数えきれないほど多くの生命が闊歩かっぽしている。その中でも王と同種の【人間族】は特に、彼の威光を借りて大地に我物顔で足形を残してゆくのだった。
 さらに王城の目下にある都いわゆる城下街は、国家間を往来する多種多様な人間と、市場に並ぶ各国産品の交流で日中賑わいを見せる。 
 また、王都の西側の活気ある産業道路は夜深くになっても煌びやかで眠ることを知らず。逆に北側の貧民街では、街を照らすのは月の光と国営警備隊の手元で揺らめく篝火の灯りだけとなった。
 そんな輝かしい栄華を誇るアノバルレには、対を為すような暗く深い闇の部分も存在するのだった。


 ――ある夜のこと、街とは正反対に影を落として寝静まる王城の廊下で1つの足音が響き渡った。
 暗い影に塗りつぶされた廊下に反響した足音は王城に仕える優秀な魔術師のものだった。その魔術師は焦る表情で、まるで誰かに追われるかのように何度も自分の来た後方を確認しながら走っていた。
 魔術師は長い廊下を懸命に走りながら、壁に飾られた数々の芸術作品には目もくれず、前方に現れたひとつの扉へと向かっていた。
 少しばかり減速した彼は扉の前に到着すると、余程急いでいるのだろう、ノックも無しに握り手を回し、廊下を駆けた速度のまま勢いよく入室した。

 飛び込むように入った部屋は、誰もおらず整理されたベッドと化粧棚だけが置かれた来客用の部屋だった。照明灯もなく、唯一の窓から月明りが差し込んでいた。
 休息も粧かし込む必要もない魔術師は希望を見つけたようで、一目散に光へ駆け寄ってその窓を開ける。窓の向こうは冷たい風が吹く何もない空中で、目下は見慣れた石造りの地面ではなくその代わりとして光を飲み込む暗闇の絨毯じゅうたんが敷かれていた。

「やあ、何をそんなに慌てているんだ。」

 初めから潜んでいたのか、魔法か何かで突如として現れたのか、焦る魔術師の背後、月明りの届かない入り扉の陰にそれは姿を見せた。いや、姿を見せたというよりは存在を現したというのが正しいと思われる。なぜなら、それは真っ黒な扉の影に不気味な目と口がついているだけで、正体が明らかではなかったからだ。

「どうした、貴様は宮廷魔術師だろう?、ならばなぜこの王城から逃げようとするのだ。仕えるべき主人も、魔術師としての栄誉もここにあるというのに‥‥」

 月明かりが差し込む窓に片手片足を掛けたまま、風で揺れる法衣を押えて魔術師は雄弁に語る影の方へと振り向いた。

「‥‥私は貴方に仕えた覚えはありません。そして、私が居座り仕えようと思うほどの大器うつわを持つ者も城には残っていない。だからこうやって窓から飛びだそうとしているのです。貴方が仰る名誉など重すぎて、飛ぶには邪魔なものでしかない。」

「‥‥クラウベルはどこだ?、あれは幼いが、上の兄たちよりも優秀な力を持っているだろう、将来も有望だ。」

 他人をまるで交渉材料かのように扱う影の悪し様にため息を吐く。影には月明りの逆光で見えなかったかもしれないが、魔術師の表情は失望に染まる呆れ顔となっていた。

「‥‥言ったはずです。仕えようと思う器はないと、優秀な彼女はすでに勘付いて行動している。今頃はこの城の外に逃げ出していることでしょう。‥‥そして私も、」

「――ッ、待て!」

 化粧棚を揺らして駆け寄った影の魔手が延びるも、魔術師は窓を蹴り飛び出して紙一重かみひとえでそれをかわすのだった。

「このオレからは逃げられないぞ!」

「‥‥かまいません。‥‥いずれまた会う機会が訪れるでしょう。そのときは私の友人の話でもします。‥‥それでは、」

 いかなる理由か窓枠を越えられず悔しがる様子の影を背に、城を飛び出した魔術師は月明かりの下で鳥のように軽やかに空を舞う。やがて月の光も影の視線も届かないほど遠くまで飛ぶと、深い闇夜の中へとその姿を晦くらましたのだった。
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