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10・魔法が上達したので、 

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「う…… ひっく…… 」
「泣かなくても大丈夫だよ」
 言うとわたしは腰を落として先ほどから泣くじゃくっている男の子の顔を覗き込む。
「だって、にゃーが…… 」
 涙の止まらない男の子の腕に下がったちいさなバスケットの中では、掌ほどの大きさしかない斑の仔猫がぐったりと横たわっていた。
「ちょっと見せてもらっていい? 」
 言って、そっとバスケットを手にする。
 中庭の井戸の端に腰を下ろし、そのバスケットを膝の上に置いた。
 仔猫はもうほとんど動いていないけど、胸の辺りがかすかに上下していた。
 
 大丈夫、まだ間に合う…… 
 
 わたしは先王からもらった紅い宝石を握り締め瞼を落とす。

 視界の闇に浮かび上がる無数の赤い細い糸。
 あちこちから派生し複雑に絡み合って伸びるその糸が生命の根幹を支える通路みたいなものだと最近ようやくわかった。
 
 イメージの中でこの流れを止めたり太くしたりすることであちこちの事象が変わってくる。
 そう理解できた。
 
 そっと目を開けると、わたしの傍らでちいさな仔猫がみゃぁとか弱い声を上げた。
「わぁ! 」
 耳元で歓声が上がる。
「本当に生き返ったね。
 魔女のお姉ちゃんありがとう! 」
 さっきまで流れつづけていた涙でくしゃくしゃのままの顔で笑顔をつくり、わたしに向ける。
 そしてバスケットを下げて駆け去ってゆく。
 その後ろ姿を目にわたしは一つ息をつくとつぶやいた。
「よかった。かろうじてまだ息があって…… 」
 
 魔女ってもっと皆に忌み嫌われる存在だと思っていたんだけど…… 
 ここの人たちは違うみたい。
 
 むしろ、あれやこれや頼ってくれる。
 おかげで能力の使い方にも随分慣れ上達した。
 ついでにその限界もなんとなくわかったような気がする。
 
 消えかけた命までなら何とかなるけど、完全に消えてしまうと手遅れみたい、とか。
 全くの無から有を作り出すのは無理、とか。
 
「それにしても…… 」
 つぶやいてわたしは空を見上げる。
 
 あれから、もう何日になるんだろう? 
 待っているのに、こんなにずっと待っているのに。
 手紙どころか何の報告さえも入ってこない。

 気がつくと、知らずあの顔を探しているわたしがいる。
 そしてその姿が見出せないことに胸が締め付けられた。

「随分と上達したみたいですね、珊瑚様」
 不意にその視界にキューヴの顔が飛び込んできて言った。
「キューヴ? 」
 思いがけない人の姿にわたしは顔をほころばせる。
「いつ戻ったの? 」
 言いながらわたしはもう一つの姿を探す。
「残念ですが、殿下は王都の方にまっすぐに戻りました」
 少し申し訳なさそうにキューヴは言った。
「じゃ、戦は収まったの? 」
「はい。とりあえずはですが。
 それで、殿下はその報告もあって王都へ向かったんですよ。
 僕は珊瑚様の様子を見て来いと言い付かりました」
「そっか…… 」
 少しだけ心が躍った分、それが叶えられなくて、気落ちする。
 胸が痛んだ。
 
 どうして殿下は、まっすぐにここに来てくれないんだろう?
 あんな中途半端なままで送り出して、すっごく心配してるのに。
 
 なんて思ってしまう。
 
「じゃ、わたしが王都に行ったら駄目かな? 」
 ふと思い立って訊いてみる。
「あんな大怪我のあとだもん。
 治したこっちとしては痕が気になるから。
 ……何しろこっちは新米なんだし、ね? 」
「すみません。
 珊瑚様は王都に入れないんです」
 辛そうにキューヴは言う。
「王都には現国王様付きの魔女様がいらっしゃいますから。
 昔から召還魔女は狭い場所に二人はいられないんです。
 お互いの能力がぶつかり合って何が起こるかわからないので。
 特に珊瑚様の能力は強いようですから、まだ聖域に近いこの砦からお出しできないんです」
「そう、なんだ…… 」
 わたしは少しだけ肩を落とす。
「そんな顔しないでください、珊瑚様。
 殿下は元気ですよ。
 今まで見たことないくらいに。
 傷だってそれこそ後遺症のかけらも全く見えないくらいしっかり治っています」
 言ってキューヴは励ますようにわたしに笑みを向けてくれる。
「それに、殿下もすぐに戻ってくるはずですから。
 召還魔女とそれを遣う者はできるだけ絆を深めておく必要がありますからね。
 殿下だってそんなに長いこと王都にはいないと思いますよ」
「……うん」
 これ以上わがままはいえなくて、わたしは小さく頷いた。
 
 でも…… 
 やっぱり顔が見られないのは切ない。
 
 わたしは何度目かのため息をこぼす。
 
「では、そろそろ時間なので僕は失礼しますね」
 空を見上げて太陽の位置を確認しながらキューヴは言う。
「珊瑚様随分魔術が上達したと、報告しておきます。
 それから…… 
 寂しがっていたとも」
「え? 」
 心を見透かされたようでわたしは少し上気して顔が染まってゆくのがわかる。
 その顔を目に、キューヴはいたずらっ子みたいに軽く笑ってウインクした。
「もしかしてわたし何か口走った? 」
「いいえ、でもだだもれです」
 キューヴは笑った。
 
 
「珊瑚さま、こんなところにいらしたんですか? 」
 去ってゆくキューヴの姿を見送っていると、砦の中からアゲートが駆けてくる。
「お時間がございましたらお部屋に来ていただけますか? 」
「はい? 」
「ちょっと、お付き合いしていただきたいことがあるんです」
 言って促すようにアゲートはわたしの背中を押した。
「なに? 」
 押し込められるように部屋に入れられるとそこにはいつもキッチンで下働きをしている若いメイドの姿がある。
「お身体のサイズはからせてもらっていいですか? 」
 アゲートと一緒に笑いかけてきた。
 
 
 アゲート達と一日はしゃぎ回ったあと、一人残された部屋でわたしはため息をつく。
 きっとわたしは随分酷い顔をしているんだと思う。
 だからアゲート達が一生懸命わたしの気を引き立てようとしてくれている。
 わかっている。
 だから、これでも一生懸命普通を装っているつもりなんだけど…… 
 
 殿下の顔を思い出すと切なすぎて胸が苦しくなる。
 だけど同時に不安にもなる。
 こんなに側にいられないなんて…… 
 きっと殿下はわたしのことなんてなんとも思っていないんじゃないかなって。
 ほとんど暗くなってしまった部屋で、ベッドの端に腰掛けてそんなことを考えていると、ふと頬を何かが伝った。
 
 本当は…… 
 側にいて欲しい。
 ずっとわたしだけを見ていて欲しい。
 
 そんな風に思ってしまうのはいけないことなんだろうか? 
 どんなに願っても叶わないのかな…… 
 
 頬を伝ったものが顎から滴り落ちて膝の上で握り締めたわたしの手の甲をぬらす。
 
 ……もう、いいや! 
 わたしはそのままベッドの中に潜り込む。
 
 忘れてしまおう。
 きっと一晩眠れば涙だって乾くはず。
 わたしは毛布の下でぎゅっと目を閉じた。
 
 
 ……なんだろう? 
 額に優しい感触が残る。
 胸がきゅんって絞られたような感覚を伴って…… 
 
 ぼんやりと目を開いてわたしはベッドを降りた。
 なんか瞼が腫れぼったい。
 そっか、わたし夕べ泣きながら寝ちゃったんだ…… 
 のろのろと部屋の片隅におかれた洗面台の前に立ち顔を洗う。
「珊瑚様、起きていらっしゃいますか? 」
 ドアの向こうからアゲートの声がする。
「うん」
 目の周りをよく洗ってマッサージして少しはマシな顔になったのを確認してわたしはドアを開ける。
「どうしたんですか? そのお顔…… 」
 それでもやっぱりわかっちゃうみたいで、わたしの顔を見るなりアゲートは目を丸くする。
「ちょっと待っていてくださいね」
 慌てて部屋を出ると螺旋階段を下りてゆく音が響いた。
 
「これ暫く瞼に当てていてくださいね」
 程なくして戻ってきたアゲートは掌くらいの大きさをした薄い布袋を差し出した。
 言われるままに瞼に乗せると少し暖かくて気持ちいい。
 ついでにハーブか何かの青臭味を含んだ優しい匂いがする。
「ありがと…… 」
 もう一度ベッドに横になり瞼の上から伝わってくる心地いい温度に癒されながらわたしは言った。
 ハーブの香りのせいか気持ちまでほぐれてゆく気がする。
「そのお顔では殿下の前におだしできませんから」
 アゲートはあからさまなため息をこぼす。
「殿下帰ってきているの? 」
 思わず起き上がろうとしたところをアゲートに押さえつけられた。
「ええ、夕べ遅く、と言うか、今朝早くと言うか…… 
 もう暫くじっとしていてくださいね」
 
 あれは…… 
 
 わたしはベッドに横になったまま額に手を乗せる。
 もしかしてあの優しい感覚は夢じゃなかったのかな…… 
 
「さ、もういいですよ」
 暫くして瞼の上の布袋が熱を失うとアゲートはわたしの躯を引き起こす。
「お支度、急いでくださいね。
 殿下が先ほどからお待ちです」
「それ、アゲートが言う? 」
 着替えを手伝ってもらいながらわたしは声をあげた。
「ですが、あのお顔ではわたくしどもがお叱りを受けてしまいますから」
 乞われるように言われてそれ以上は何も言えなかった。
 
 
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